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あのたび -美味しいハノイ-

 ベトナムに入ると、まだ3月前だというのに蒸し暑かった。ここから約1年間長い夏を経験することになる。寒い冬は苦手なのでボクには嬉しい気候だ。 

 国境の町ラオカイからハノイへ向かう電車の中で、ドイツ人デザイナーのトーマスとオーストラリア人学生のグレイグと知り合った。一緒に国境を越えたコージくんとともに4人のボックス席に座ってトランプなどをして交流した。電車といっても2003年当時のベトナムではスピードが遅いのでハノイ駅に到着するのは深夜近かった。
 駅を降りた途端、ものすごい数の客引きが集まってくる。強引に荷物やリュックを引っ張ってくる奴もいる。俺のバイクタクシーに乗れとかこっちの宿に来いという奴らだ。これがアジアの活気だ。安宿街までは少し距離がある。歩けないこともないが外は暗い。
 一人では困ったと思うが、結局4人で一緒にタクシーに乗り料金をシェアしたらいいだろうということになった。助かった。主に交渉はトーマスが行った。

 現在ではGrabという配車サービスが東南アジア各国で展開されていてスマホで呼んでスマホで決済できる。めんどくさい値段交渉は不要だし、ドライバーの評価も見えるので騙されたりぼったくられたり変な所へ連れて行かれることもない。ほんの20年で劇的に便利な世の中になったもんだ。
※参考動画:Grabの使い方↓

 宿や旅行会社が集まる旧市街でタクシーを降り今度は宿を探すことになった。がすでに0時を過ぎている。現在ではやはりスマホで事前に予約するのだろうが、2003年当時はネットカフェが街に数軒あるかないかという程度。
 バックパッカーは街に着いて、それから歩いて自分で探すのが主流である。部屋を見せてもらい値段を聞き交渉し、それを何回か繰り返して最も自分好みのところをみつけて泊まるというのがセオリー。大きい街だとおなじ通りに何軒も宿があるので探しやすくはある。
 が大きい荷物を持って暑い中を歩き回るのはしんどいので、ボクの場合はそこそこ安ければとりあえず最初の宿で一泊と決めてしまうことが多かった。気に入らなかったら次の日にまた探せばいい。

 トーマスはせっかくだから4人で一緒に泊まろうと言い張った。ここでドイツ人の頑固さを知ることになった。ある宿の受付で4人で泊まれるか? と聞き、駄目なら他の宿、駄目なら次とどんどん歩くのに付き合わされた。もう夜遅いから、ボクらはバラバラでもいいからとコージくんと相談するのだがトーマスは引かない。ハノイのベトナム人も4人分の宿代をつかむチャンスとばかりに、4人部屋は無いのにあると言って交渉してくる。傍目には面白いのだろうがさすがに疲れた。
 結局2人部屋の床にマットレスを2個敷いて、どうだ4人部屋だというベトナム人に対し、だったら1人2$で4人で8$だとトーマスが交渉しようやく宿が決まった。寝た時間は午前2時半だった。

 この時代のベトナムでは普通にアメリカ$が流通していた。長距離バスや電車、宿代なんかは$で支払うことが多く。屋台の食事とか1$より小さい額を支払うときベトナム・ドンを使うという状況であった。

 ハノイの街は美味かった。ベトナムの味が日本人の口に合うのだと思う。市場で食べた揚げ春巻、その辺の路上で売っているライスペーパー巻のオムレツ風もやし(?)、揚餃子スープ、バインミー(フランスパンにいろいろ挟んだサンドイッチ)…。見るもの何でもうまそうだし、どれを食べても安くて実際バカウマでハズレ無し。
 4人で酒盛りをするのにボクはダラットワインを2$で買って帰った。ダラットはベトナム中部の高地で、新婚旅行の土地として選ばれる涼しい所。そこで作ったワインということになる。みんなで買ってきたものをシェアして飲み食いするのは非常に楽しい。ココで飲んだダラットワインが旅行中で一番うまかった。
 東南アジアを10何カ国か巡ったが食べ物が一番美味かったのはダントツでベトナム、しかもハノイだった。

ベトナムルート

(つづく)


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