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「セイバーメトリクス」を初めて知った時の話

 前々回,掲載させていただいたnote”【#自己紹介】野球という壁にぶつかって"が思った以上に沢山の方に拝読いただき,とてもびっくりしました。読んでくださった方,ありがとうございます。なかなかツイッターだけでは話してこれなかった経験則,言い方を変えればしょーもない自分語りだったのですが,多くの人にnoteにして伝えることでまたひとつ「壁」を超えられたかな、、、と思ったり。

 そんな今回は現代野球に欠かせない「セイバーメトリクス」,この概念に初めて触れた時の話でもしようかなと思います。

(以下,自分の経験則をつらつらと書いていくだけであり,セイバーのエトセトラを語るわけではありません。ご注意を!)


現代野球を変えた「セイバーメトリクス」

 1800年代後半から今日に至るまでの約1世紀。野球,ベースボールというスポーツの在り方は目まぐるしく変貌を遂げてきた。だが,一番の化学反応が起きたのは1970年代後半からの「野球 × 統計学」の邂逅ではないだろうか。それまで深く有用性が信じられていた「盗塁数」であったり「送りバント」,「打率」よりも「四球」や「長打率」に視点を当てる前時代をぶち壊す分析。ビル・ジェームズという男が野球というスポーツに「セイバーメトリクス」という名の化合物を作り出したのだ。

 それを実際にアウトプットしたのが2002年のビリー・ビーンGM率いるオークランド・アスレチックスだろう。他球団に比べ,資金力に劣るアスレチックスはこのセイバーメトリクスを活用したチーム編成を行い,103勝を挙げてア・リーグ西地区優勝を果たす。

 現在では資金力の有無にかかわらず,セイバーメトリクスを活用したチーム編成は基本の「き」の字であり,そこに軍事レーダー技術用いて投手の回転数や打者の打球速度などを混ぜ込み,もはや「データ野球戦国時代」の様相を呈している。日本野球においても,近年爆発的に知見が広がっているところであり,最近ではセイバーメトリクスに対するお股ニキ(@omatacom)氏著作の新書が発売されたのも記憶に新しいのではないだろうか。

「セイバーメトリクス」との初対決

 冒頭でもお話したとおり,私は小中学校時代に軟式野球をやっていた。そこで刷り込まれた常識は「見逃し三振は絶対ダメ!」「フライアウトはダメ!転がせ!」「無死一塁ではバント!」というもの。もちろん大人が言うことなのだからそれを信じていたし,プロ野球の試合を見るときもこの常識に基づいて観戦していた。

 転機は高校時代。自分だけの携帯電話を手にしたのだ。今まで贔屓の阪神の勝敗は10時を過ぎないと始まらないスポーツニュースか,次の日に届く朝刊でしか分からなかった。

 携帯電話は素晴らしい!現在進行形で結果が分かるし,ニュース記事も読めるのだ。自分ではプレーしなくなったものの,今まで以上に「観る」方の野球に傾倒していくこととなる。

 間もないある日,いつものように阪神の試合結果などを見るためにどっかのまとめサイトを閲覧していた。スクロール中,僕の視界に「OPS」というアルファベットが飛び込んできた。「おーぴーえす???」
 調べてみるとあら単純。「出塁率と長打率を足したもの」。「いやいやいやwww足したからなんやねんwww」というのが当時の率直な感想である。そもそもその時は長打率の算出方法すら曖昧だったのは内緒。

 僕の知っていた指標と呼べるものは「打率」,「打点」,「本塁打数」,「盗塁数」などのごくごく在り来たりなものだけである。そもそも「長打率」なんてそれまでの野球人生で知っている必要は無かったから。

 なんでも,このOPSは僕の知っている「打率」や「打点」に比べて得点に対する相関係数が高いなのだとか。もっといえばA選手とB選手を比べた時により優れた選手を見抜く際の新しいものさしなのだ。
 結論から言うと理解が追い付かなかった。相関係数ってなによ!!私に分かる訳ないじゃない!何言ってるのよあなた!ってノリだ。

 考えても見てほしい。今までの私の中にあった常識に新たな常識が突き付けられたのだ。それも,伊達に7年間野球をしていた訳じゃない。けれども大人が一言も教えてくれなかった真実がそこにはあった。

 この拒否反応はさらに大きいものとなる。

 僕は2010年から2015年まで阪神に在籍していたマット・マートンが大好きだった。初年度と同時にイチローの持つ210安打の記録を塗り替えた僕のヒーローだった。打率も高いしヒットもたくさん。センターも守ってたし盗塁も結構してたし,歴代でも指折りの助っ人・球界随一のスーパースターだとさえ思っていた。
 しかし,このOPSという魔物は無常にもマートンを否定してきた。マートンは打率は高いものの,四球数や長打数が特出していた訳ではなかった為に2010年や首位打者を獲得した2014年でも.800代後半に留まっていた。今からすれば.800代後半でも立派なものではあるが,当時の私の感情からするとかなりのショックだった。数字上,マートンより優れた打者は多くいたのだ。ただそこには理があった。統計学で武装された確固たる理が。

 次第に,この小さな小さな「セイバーメトリクス」との出会いは興味へと移り変わっていく。まだこんなにも知らない野球の世界があるのかと。

「セイバーメトリクス」を知ってから

 その後,僕はセイバーに憑りつかれていくことになる。野球の試合をテレビ観戦するにもOPSやらデルタのUZRなどを気にするように。いわば「にわかセイバー」である。「僕,こんな野球の真実知ってますわよオホホホ」と声高らかに野球選手を論評していった。阪神戦を観てても,2番に大和を配置すれば「和田!なにやってんねん!」とキレてたし,1アウト1塁のツーストライクからバントを強行する古典的日本野球に辟易していた。揚げ足取りにセイバーを利用していた感じ。

 ある時立ち返ると,「純粋に野球を見る事ができなくなっている」ことに気づく。純粋 という曖昧な言葉を使って申し訳ないが,皆さんも思い出してほしい。小学校の時に「ホームラン打て!」だとか「三振とれ!」とか「この選手足速いから盗塁できる!」などと呟きながら野球を親子で観ていたことはないだろうか?
 決して「今と昔,どっちが楽しく野球を観れている?」なんて聞いてる訳ではない。

 むしろ僕自身としてはセイバーメトリクスを知ってからの方が断然野球を楽しめている。

 ただ,もうあの時のように「純粋」な気持ちで野球を見る事ができないことに少し胸にくるものがある。ノスタルジックに浸るつもりはないが,「打率」や「打点」だけしか知らなかった時代でも,マートンが最強打者と信じて疑わなかった時代でも十分に野球観戦を噛みしめられていた。


 余談ではあるがツイッター上では「バレンティンWAR」問題やいわゆる「数筋」というワードで界隈がピリつくことがある。議論するのは大いに結構であると思うが,この場を借りて考えを少し述べたい。

①そもそもセイバーをどのように使って選手をどのように評価しようが別にいいのではないか(ただし自己満足に帰結するものに限る。選手を誹謗中傷するために用いるべきではない)

②でもセイバーは多面的に野球を分析したものなのだから「0か100か」で判断するのはもったいない

③正解がない分野なのにレッテル張ってシロクロつけようってのはおかしい

 ってな感じの日和見万歳!ってなもんです。特に③。こんな事にリソース割く暇があるのだったら野球観ましょう。正解が無いものに正解を見出すのは結構ですし,議論や対論が生まれるのは当然のことだと思います。ただそれを子供の喧嘩みたいに「自分の考えと違う奴は間違ってる!」とレッテル貼りするのは自分だけの独り言として完結してほしい、、、というのがささいな願いであります。「バレンティンはWAR0だから不要!」って叫ぶ人や「あいつは数筋だからー」と叫ぶ人がいるのであればすぐにやめてもらいたい。せっかくビル・ジェームズがセイバーメトリクスという財産を授けてくれたのだから。

 

 

 

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