なぜ、太宰は中也を嫌い、殺したがるのか。

※ごめんなさい、Side ABは未読です。誰か貸してくれ!
※一応アニメを確認のために視聴してますが、おかしいところ、ツッコミどころがあったらTwitterで教えてね!

『文豪ストレイドッグス』は魅力的な物語です。
さまざまな文豪の名を持つキャラクターたちが、それぞれの著作やエピソードに基づいた異能力を発揮する冒険譚です。

その中で、一際読者人気が高いキャラクターといえば、双黒——太宰治と中原中也でしょう。その二人は、出会ってから7年間ずっと啀(いが)み合い、太宰に至っては7年間にも渡ってずっと中也を殺すことを考えていたというのだから物騒です。
どうして、そんなにも二人は啀み合うのでしょうか。そして、どうして太宰は中也を殺したいほど憎むのでしょうか。
今回はそこにメスを入れて考察していきます。
結論から述べてもいいのですが、丁寧に考察していかないと、ただのお前の妄想だろ、と思われてしまうような突飛なアイデアなので、ご了承ください。

まずは、原作者、朝霧カフカ先生と、太宰治、中原中也の関係を紐解いてみましょう。
以下、史実の人物の表記と、対応する『文豪ストレイドッグス』のキャラの呼称を確認します。

太宰治(太宰)、中原中也(中也)、坂口安吾(安吾)、織田作之助(オダサク)、芥川龍之介(芥川)、アルチュール・ランボー(ランボオ)、ポール・ヴェルレーヌ(ヴェルレエヌ)、アンドレ・ジッド(ジイド)と表記していきます。
史実か文ストの話か、混同されないようにご注意願います。

さて、ク〜〜〜イズ!!!
文ストの主人公は誰でしょーーーか。
なに、太宰? せーーーかい!!!

のっけからふざけてすみません。
でもこれ、意外と誤解しがちなポイントですよね。
『文豪ストレイドッグス』の主人公は太宰です。敦くんではありません。
語り部は敦くんですが、『名探偵ホームズ』を読んだ時に、主人公を語り部であるワトソン博士と思うでしょうか。
多分、多くの人は実際に活躍するホームズこそが主人公だと答えるでしょう。

では、なぜ太宰が主人公なのでしょうか。
それは、カフカ先生が太宰治の大ファンで、太宰治に心酔していて、太宰として自分の作品の中に登場させた挙句、自己投影してしまっているからです。
それを明確に指し示す証拠は、はっきりと存在するわけではありません。
ただ、何かの対談の中で、『人間失格』というタイトルからすんなり「無効化能力」を思いついた、とおっしゃっていたように思います。

https://www.pixivision.net/ja/a/2029
これは別の対談ですが。

おそらく、太宰の無効化能力、『人間失格』を思いついたところから、文ストのストーリーは出発したのではないでしょうか。
それを盛り上げてくれるのは、語り部の敦くんですが、彼は設定に難儀したのではないかと。
何はともあれ、作中でも最強と名高い能力はいくつかあります(中也の『汚れつちまつた悲しみに』やオダサクの『天衣無縫』)が、それらに匹敵、あるいは凌駕するのが『人間失格』の無効化能力です。それだけ強力な異能力を持たせたこと、また史実の太宰治やその周辺のキャラクターを入念に検証しているであろうストーリーからして、太宰は間違いなく主人公(もしくはワンオブ主人公)でしょう。
僕個人としては、双黒の二人がダブル主人公なのではないかと。敦くんが中也と邂逅しないことや、語り部として異様に活躍しているところから、ダブル主人公は太宰&敦じゃないのか、とおっしゃる方が多いとは思いますが。
ただ、敦くんが中也と本編では絶対に出会わないところが、とても気になります。(今回は省きますが)

太宰周辺の人物では、芥川だけが史実からかなり捻じ曲げられています。
史実では太宰治が芥川龍之介の大ファンであり、芥川賞を渇望し、芥川龍之介の自殺に衝撃を受けたのとは、真逆の展開と言えます。
逆にいうと、それ以外はかなり史実に忠実なんです。
そこを踏まえて、史実の太宰治と中原中也を比較してみましょう。
参考になるのはこちらのページ。

https://sakka.club/work/2019/12/dazai-nakahara/

中原中也というのは、文ストのイメージからすると意外なほど、お坊ちゃんであり、そして勉学にも秀でていました。
代々開業医を営んでいた名家の長男。
アテネ・フランセを経由して、現在の東京外国語大学の仏文科を卒業。
神童と謳われ、厳しい英才教育と懲罰的体罰を受けていたようで、Wikipediaによると、「成績優秀で、戦闘的でありながらひょうきんなところがありクラスの人気者だったという。中也の両親は教育熱心で、フクが予習復習を受け持ち、謙助は納屋に閉じ込めたり煙草の火を踵に押し当てるなど厳しい懲罰を与えた。湯田温泉の風紀がよくないのを心配して外で遊ぶのを禁じ、溺れるのを恐れて水泳もさせなかった。」そうである。
ああ、この時に水泳をしていれば(嘆息)
(以前、Twitterで留学していたという記述をしてしまいましたが、間違いです。留学を目指しただけでした)
現在の日本大学や早稲田大学を志望していましたが、なかなか合格できず。ようやく入学できた東京外国語大学の夜学も、卒業時の成績は中程度。

しかしながら、この経歴でも太宰治の矜持を傷つけるには十分でした。
太宰治もフランス語に傾倒していましたが、東京帝国大学を学費未納で除籍されているのです。
太宰治本人が悪い部分もあり、名家の出身であるにも関わらず妓女と結婚しようとして本家を除籍、つまり勘当されてしまったのです。(しかもその間にも浮気三昧。本当に人間失格ですよ、先生……)
もしも太宰治が勘当されていなければ、帝大卒業として十分にプライドを満たすことができたでしょう。
もっとも、太宰治の実家と比べても、中原中也の実家は桁外れの富豪であったため、そこでやはりプライドが傷ついたのかもしれませんが。
資力は圧倒的に中原家が上回っていました。
何しろ、300円という金額を、ポンと中原中也の同人誌出版のために出しているのですから。
明治30年頃の物価は、このサイトによると1円の重みが2万円くらいではなかったか、とされています。
(単純な比較では1円=3,800円としていますが)
https://manabow.com/zatsugaku/column06/2.html

300円*2万円=600万円。
我が子にポンと出せるでしょうか?
出せないですよ、普通は。
ド貧乏に喘ぐ太宰治にとって、資力でも才能でも上回る中原中也はまさに「目の上のたんこぶ」。
才覚を認めつつも、素直に賞賛することはできなかったのではないでしょうか。
実際には、だいぶ中原中也という人間を評価していたらしいということが、先に指摘した檀一雄の本により明らかになっていますけれど。

となると、太宰治に心酔して太宰治に傾倒しているカフカ先生は、中原中也という人物をどのように評価するでしょうか。
いけすかないけれど、能力的には認めざるを得ない。
こんなところでしょう。
実力も太宰治と伯仲。双黒として文ストのストーリーで「相棒」を任せられるのは中原中也をおいて他にはいなかった。もちろん、素直には認めることができないから毎回酷い目に遭わせるけれど、それでも太宰治がその実力を存分に評価していたから、決して蔑ろにすることもできない。中也を殺すなんてもってのほか。
絶対に、中也を話の中で殺すことはできないのです。
中也が、物語に欠かせない「駒」であることとともに、メタ的な部分で中也は物語の中核にいるのです。

ここで少し箸休めの余談となりますが、なぜ中也とヴェルレエヌは兄弟設定だったのでしょうか。
それはおそらく、この考察が役立ちます。
http://yamadakenji.la.coocan.jp/nakahara.htm

つまり、ヴェルレエヌが中也を求める本編は、ポール・ヴェルレーヌを求める中原中也の裏返しであったのだろうと推測できるわけです。ポール・ヴェルレーヌは中原中也の創作という根源の部分に、大いに影響を与えました。

これもさらにさらに余談ですが、ポール・ヴェルレーヌとアルチュール・ランボーはいわば恋人関係のような存在でしたので、必然、文ストでは相棒のような関係性に落ち着いたのでしょう。
この辺りの話としては、あのレオナルド・ディカプリオが主演した『太陽と月に背いて』がまさにそのまんまの禁断の愛を描いています。

さて、ここから話は本題に近づいていきます。
なぜ、太宰は中也を嫌悪するのか。
ヒントは、「本」です。つまり、「白紙の文学書」。

これが誰の異能なのか、というのも『文豪ストレイドッグス』を考察する上で最大の謎です。
率直に言えば、僕は「荒覇吐を埋め込まれる前の、中也本来の異能により生み出された特異な物質」であると考えています。
実は、中原中也には詩人としての顔だけでなく、こっそりと執筆した小説が存在すると言われているのです。
これは以前にTwitterで紹介しましたが、それこそ「白紙の文学書」のモデルではないのか、と考えたわけです。
一般的には夏目先生の異能と解釈するのが普通でしょうが。
以前の記事で紹介したように、太宰治は中原中也の能力を高く買った上で、ともに同人誌を執筆している間柄ですから、その存在のことを十分知っていたのではないでしょうか。
もちろん、太宰治に傾倒するカフカ先生も。

ここで話はビーストに飛びます。
ビーストの太宰は、自身の異能力により本の能力を打ち破り、本の外側である本編の太宰から記憶を受け取っています。
そこで、ビーストの太宰は「親友 オダサク」が生存して小説を執筆する唯一の世界線であるビースト軸を守るために命をかけるわけです。
奇妙に感じなかったでしょうか。
どうして、この世界では親友どころか知己ですらない探偵社員のオダサクのために、太宰は命を賭けたのでしょうか。

ビーストの物語を、オダサクや太宰が救済されるための物語である——そう考える考察は非常に多いです。
僕の結論は、まだ先延ばしにしておきましょう。
間違いなく言えるのは、「そうじゃない」ってことです。
太宰にとって「死」が「救済の一つ」であることは確かですが、しかし同時に、「オダサクの小説を読みたかった」とも述懐しています。必ずしも「死」が彼を救ったとは言えないはずです。
それでも「死」を選んだ太宰にとって、それは大いなる目的のための一つだったとしたら。
それこそが、ビーストが書かれた目的です。

では、本題です。
なぜ、太宰は中也を嫌悪するのか。

それは、オダサクを殺したのが中也だから。

そう考えるととてもすんなり落ちるのです。
もちろん、オダサクを直接に殺したのはジイドです。
『天衣無縫』と『狭き門』の多重発動によって特異点が生じ、相打ちという結末を迎えてオダサクは死亡しました。
しかし、なぜジイドとオダサクが戦わねばならなかったのか。
それはポートマフィア首領の森鴎外の策略が原因でしたね。
「異能開業許可証」を得ることを目的とした森鴎外によって、安吾は三重間諜に仕立て上げられ、ミミックがヨコハマに上陸、そしてオダサクは——。
だから太宰は安吾を許さないわけですが、これって実はおかしいんですよ。
当時の安吾は下っ端の潜入捜査官。異能力も隠匿していたので、奇妙な報告書をあげるだけの謎の構成員。
森鴎外の目には、そうとしか映らなかったはずです。特務課のエージェントであることが露見した時点で、異能力者とはバレていたでしょうが。
それでも安吾が森鴎外に泳がされたのは、特務課の密命で動いていることを利用するほかに、太宰の友人だったからだと僕は考えます。
なぜなら、安吾は森鴎外にとってプランBであると同時に、太宰に対する目眩しだったから。

なら本命は誰だったのか。
それこそ、太宰に次いで森鴎外から絶大な信頼を寄せられていた中也だったと考えるのが妥当でしょう。
実は中原中也とアンドレ・ジイドには、翻訳者と小説家という関係があります。これをカフカ先生が見落とすはずがない。
中也が、特命を帯びた使者としてミミックをヨコハマに引き入れたと考えたらどうでしょうか。もちろん、最終的にポートマフィアとミミックはお互いに潰し合うのですから、中也がポートマフィアの構成員だとは知らせずに。
考えてみて欲しいのですが、読者の皆さんが森鴎外であったとき、ろくに戦績のない安吾にそんな重大な役割を与えるでしょうか。
しかも森鴎外は合理化の権化。無駄などあり得ないはず——。
そして太宰もまさか、当時は信頼を寄せる相棒である中也が、大胆にも自分を裏切って己の全く知らない行動を取るとは予想外だったのではないでしょうか。

こうして、森鴎外の策略により、太宰は中也の裏切りを知らないまま、親友オダサクの死の責任を安吾と森鴎外だけに負わせることになりました。

でも、「本」の影響で記憶の転送が起こったのは、果たして一方通行だったのでしょうか。
中也の裏切りを知る太宰という世界線が「本」の「可能世界」の中にあったならば、その太宰から本編軸の太宰も情報を得ていた可能性はないのでしょうか。
だから、太宰は幼少時より将来に出会う中也によって大切な親友を喪うことを「あらかじめ知っていた」可能性がある。
であれば、戦いの最中、中也の能力こそが戦いを切り開く切り札であり、有効な戦力、手札であることを理解して排除できないでいたけれど、出会った時から辛辣に当たり続け、それこそ命を奪おうと画策していた理由も納得がいきます。
何しろ、7年間、殺害方法を検討し続けていた程ですから。

7年間、ですよ。
君、ポートマフィアを4年前に離れているじゃないか。
執念深すぎない???

そりゃそうですよね、だって中也のせいで親友は死んだんだから。
「グッド・バイ」なんて言いたくもなります。

でも、実のところ、本当は──ビーストの太宰ほか、何人もの太宰がずーっと7年間、それぞれおのおの、中也を殺す策だけを考えていたのでは?
本編軸の太宰はその記憶を受け取って検証していたとしたら。

これで先ほどの問いの答えが分かったのではないでしょうか。
ビーストは、「救済」などでは決してない。
カフカ先生と太宰による、中也への徹底的な「嫌がらせ」の物語なのです。

みなさん、太宰が中也を決して許さないでイジメ抜く理由、ご理解いただけたでしょうか。

追伸
この考察を書くにあたり、アニメ「黒の時代」を再度視聴しまして、ヨハネによる福音書第12章24節がジイドとオダサクに引用されていることが発覚しました。
……ドストエフスキーの『罪と罰』で引用されていた一節、です。
全て、魔人の掌の上。
そ、そんな……。

追記
『一粒の麦もし死なずば』(1926)
『罪と罰』(1866)
ジイドは、作品をレシ(物語)、ソチ(茶番劇)、ロマン(小説)と分類しており、唯一のロマン、『贋金つくり』(1925)はドストエフスキーやイギリス文学者の影響を多大に受けたとされている。
これは、確実にドストエフスキーの影。

追記その2
安吾はマフィアの諜報員で、機密性の高い情報は殆ど安吾を介して外部とやり取りされる。
黒の時代、冒頭部での説明です。
太宰は直後、写真撮影をねだるのですが、そうしないともう撮れないと思ったからと言い訳します。
……君、知ってたよね、この後の展開。

当初この考察を書いていたときよりは、森鴎外からの安吾の評価は多少高かったかも知れません、が……いざとなれば、ミミックごと殺してしまえ。
そう思っていませんでしたか、首領──?

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