世界の終わりとハードボイルドワンダーランドについて

私は多分一番好きな作家を1人上げろと言われたら村上春樹になってしまうのだろう。というぐらい、村上春樹の何かしらをずっと読んでいる。もちろん作品によって好きの度合いが違うけれど、この人の文章を読んでいると精神が安定するというか、文章自体が感情的ではなく一定の温度を保っているので心が落ち着くのかもしれない。ずっとこの人の文章を読んで生きてきたのでそういう風に自分がつくられているのかもしれない。そう考えるともう約20年ずっと村上春樹を読んでいるのだ。なんとすごい。

「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」は村上春樹作品の中でも人気のものだと思う。私も、初めて読んだ10代の時はこれが一番好きだった。春樹作品の中でもファンタジー色が強く、冒険小説のようなストーリーがかっこよくて好きだったのだ。
しかし、20代で再びこの本を読んだ時、なんてひどい話なのだろうと思った。この物語の主人公は自分の意志とは関係なく研究者の手によって脳に回路を作られ精神世界に閉じ込められてしまう。そんなひどい話はない。

それ以来、「ひどい話」というイメージが自分の中でついてしまったままずっと読んでいなかったのだが、ふと気になって10年ぶりぐらいに読んだ。

エレベーターはきわめて緩慢な速度で上昇をつづけていた。

「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド(上)」村上春樹著

という文章から始まる物語。どこか分からない広いエレベーターの中にいる描写がしばらく続く。主人公は計算士という架空の職業についており、ズボンのポケットに小銭をたくさん入れている。それを、ポケットに手を入れ、枚数を数えるだけで合計金額が出せるのだ。

私は壁にもたれて両手をポケットにつっこみ、もう一度小銭の計算をはじめた。3750円だった。何の苦労もない。あっという間にすんでしまう。
3750円?
計算が違っている。
どこかで私はミスを犯してしまったのだ。

「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド(上)」村上春樹著


分かってはいたが、この物語は1ページ目からもう面白いし、この出だしの部分が本当にわくわくするしかっこいい。そうなんだよなあ、かっこいいんだよなあ、すごいよなあ。と思いながら文庫版上下巻を時間をかけて読み終えた。
もちろん物語のストーリーは変わっていないので、私が以前ひどいと思った部分のストーリーもそのままだ。けれど、なるほど、そこには救いがあるのかもしれない。と思った。



「その世界では、失ったものすべてを取り戻すことができる。それはそこにあるのです。」



勝手に精神世界に行かされることになった主人公に、元凶の博士はそう言う。あなたの存在が終わるわけではないのだと。

主人公の年齢は30代半ばだ。30代半ばというのは10代や20代とは違う。ある程度生きたし、もちろんまだまだ生きたいけれど、ある程度生きたこの人生のなかで、それなりに疲れてしまうこともたくさんあった。でも生きなければいけない。生きることは素晴らしいと思う。けれど、明日が来るのが怖い日もある。

今まで自分が失ってきたものを全て取り戻し、心穏やかに暮らすことのできる精神の世界に、眠るように行けると言われたらそれは素敵なことだという気もしてしまう。



主人公は、「僕はこの世界にそれなりに満足していた。どこにも行きたくない。不死もいりません。年をとっていくのは辛いこともあるけど、僕だけが年とっていくわけじゃない。みんな同じように年をとっていくんです。」

と、自分をこんな状況にしてしまった博士に訴える。私はこのシーンが好きだ。まさに、生きるとはそういうことだと私自身が思っているからだ。

しかし彼はその後、「たいした人生じゃないし、もうどうでもいい。」となげやりなことも言う。さっき自分の人生を気に入っていると言ったのも、「言葉のあやだよ。どんな軍隊にも旗は必要なんだ」という言葉で終わらせてしまう。おそらく、その全てが本心なのだと読んでいて感じた。そもそも一言でまとめられるものではないのだ。



私はこの本を、20年近く前に文庫で買っている。5、6回の引越しにもずっと連れて来ているのでもうボロボロで、謎のシミもついている。買い直そうかとも思うのだが、この時代の新潮文庫のこの書体と文字の小ささがとても好きなのだ。今は文庫本はどれも文字が大きくて読みやすくなってしまった。けれども私は平成14年に刷られた新潮文庫の文字の小ささが本当に好きだ。

下巻の文庫の裏表紙にある作品紹介文の最後は、「村上春樹のメッセージが、君に届くか!?」で締められており、私はこの一文のこともとても好きだ。

先日本屋さんで見たら、現代の最新版にはこの一文はなくなってしまっていた。この時代に買ったこの文庫にしか、この問いかけは書かれていないのだ。

果たして村上春樹のメッセージは私に届いているのだろうか?
年々理解が深まるような気がしているものの、まだまだ全く足りていないのかもしれない。


人生であと何度この本を読むかは分からないけれど、次に読んだ時また新たな発見があればそれはそれでおもしろいと思う。けれどきっと何もなくても、私はまたこの物語を読むはずだ。

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