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どうしてBTSは理想の男性に思えるのか

これはのっけから答えてしまおう!

吉本ばななさんの著書に『イヤシノウタ』という本があり、巻末に彼女のお父様で評論家であった吉本隆明さんとの対談が載っている。

僕は一度だけ太宰(治 ※パクチー注)と会ったことがあるんですが、(略)「おまえは男の本質っていうのはなんだか知ってるか?」と問い返されて、なまじ半端なことを言ったらいけないと思うから、「わかりません」って答えたら、「男の本質はマザーシップだ」と言ったんです。

マザーーーシップ!!!!!!

そっかぁあーーー☆.。.:ヽ(゚∀゚*)ノ.。.:*☆ーーー!!!!

パクチーはこれを読んで、すっごい腑に落ちて!すっごい興奮したんですけど!みなさんはいかがでしょうか!

注:母船ではない

「ねえねえ、男の本質って何か知ってる?太宰治が言うにはマザーシップなんだって!!」と人に興奮気味で話すと、だいたい意味が通じない。もしくは「母船」だと思われるが、やはりそれでも通じていない。

男の本質は、母性だよ!

それで、「…ああ!」となる人もあまりいない。しかし、BTSが好きなあなたなら、なんとなく思い当たることがなかろうか。彼らの、あんなところや、あんなところや、あんなところに。

BTSのメンバーたちが、世界でファンを獲得している理由はいくつもあろう。その中の一つに、彼らを通してわたしたちが見ている「新しい男性像」というのがあると思う。それは自分のウェットな部分を、別の強いもので覆い隠そうとしない点、彼らが「マウント」の価値観から脱している点である。BTSのメンバー同士のコミュニケーションを見慣れたファンからは、それらはさして特別なことではないが、実社会のコミュニティを見てみると、なかなか稀有で、特徴的に思われる。

実際に男性が2人以上いると、まず弱みは隠すし、何気なくマウント取ろうとし合うね。それは「俺の方がオスとして上だ」と群れの中でアピールしないではおれない、男性が持つ本能なのだろう。しかしここで興味深いのが、太宰氏の言う「母性」が男性の「本質」と言っている点である。

男性が「俺の方がオスとして上だ」と、そのアピール力を試される時、その時点で母性は問われない。原始的に言うなら、パワー、フィジカル。現代的に言うなら、地位、財力。しかし男性が自分の家族をケアしなければならなくなった時、母性は必須になる。その男性の家族になるものにとってみれば、それ、「男性の本質に母性があるかどうか」にその男性の真価があると言っても過言ではない!!

そもそも「母性」とはなんだ。パクチーはちゃんと考えたことがない。しかしちょっと考えてみよう。「愛」の形のひとつであるのは確かだろう。

一般的に、男性は女性より「ケア」というのが上手くないと言われる。「お世話」のことである。「手入れ」のことである。パクチーは「feed」というイメージが好きだ。包む。守る。保つ。対象が健やかな状態を保つよう、いつも見守っている、必要な時に必要な分手を差し伸べる。必要以上には出さない。手を出したり引っ込めたりすることである。それは相手を、見るともなく、見守っているということである。

また、順位をつけない、ということも一つ特徴になるんじゃないかと思う。いっぺんに複数の対象を見守っていても、薄まらない。愛情に格差がない。

そしてそれらはいつも、自分の都合で行われるのではない。自分を満たすため、何かと引き換えるために行われるのではない。自分をすり減らして与えるようでもない。

つまり、視界の端にいつも愛する人がいて、調子がどうか、変わった様子がないか、気にかけているということである。辛そうにしていたら、何を言うでもなく駆け寄って、その悲しみに寄り添うことである。やがて涙が止まって前を向いた時、すっと下がって相手に任せることである。相手の存在を、損得でジャッジしないことである。また、自分が相手に使うエネルギーを、損得で勘定しないことである。

持てるエネルギーのすべてを明け渡しても、自分が減ることなく、しっかり安定していることである。相手が前向きになる言葉、励まされる言葉、労わる言葉を惜しまないことである。相手のその形のまま、伸びようとする形のまま受け入れることである。相手の中の本質を見る力のことである。

「Love yourself」が自己から自己に向けての無条件の肯定であるならば、「母性」とは、自己から他者に向けられた無条件の肯定、と、一番簡単でシンプルな表現であれば、そう言えると思う。

BTSのメンバーたちから、男性性と違う性質のエネルギーが発せられているのを、わたしたちは知っています。彼らが時折見せてくれるウィークやウェットな部分はわたしたちに、「あなたがそれを見せてくれるなら、その時は見ないふりをしたりしないし、弱さを見せることを罪悪に思わなくていいんだよ」と、という「弱さ」を受け入れるしなやかさを感じることができる。彼らの天真爛漫さや無垢さや無防備さは、他意のない笑顔は、周囲を明るく無条件に照らす力に満ちている。そこには上下関係はなく、彼らから男性性の「パワー」「男らしさ」の要素を外しても、彼らのアイデンティティが損なわれないことの現れでもある。あるいは、「パワー」を持たない弱者、幼いもの、小さなもの、女性に対して、対等に対峙する用意があるのだということを、見てとることもできる。

これらは男性性に象徴される「オレ、は、お前、より、上」という「オレ」から見た視点の、「オレ」が中心の世界と真逆の世界です。そしてわたしたちはその真逆のエネルギーを感じた時に、憩い、癒され、安心し、緩み、心を温め、明日も頑張ろうと思うのである。

自分の人生にそれらの要素があったらどんなに素敵でしょう。いつも絶えず身近にあったらどんなに素晴らしいでしょう。そのエネルギーの中で、自分を育み、相手が成長し、小さな命が守られ、エネルギーが対等に循環していく。

理想じゃないか…。

いかがであろうか。興奮しているのはパクチーだけなんだろうか。「男性の本質に母性がある」ことの真価を、少しでもお伝えすることができたかしらん…。

かと言って忘れちゃいけない

かと言って忘れちゃいけないのよ。彼らが「男らしい」かどうかって言ったら、そりゃあそこははっきりと、「男らしい」。じゃあ男性の世界のマウントで言ったらどうかと言えば、フィジカル、最高です、ステイタス、最高です、ケンカに強いファイター気質は弱いかもしれないけれど、別にそんなのなくていいし、問題解決能力は素晴らしく高そうである。

パクチーは、この優れた「男性性」を持つ男性が、「母性」を表現している、という点において、BTSは世界で素晴らしいモデルだと感じるんです。「あー…ニュータイプだー…、ニュー人類だー…、人類、進歩しました…」というような。「オレの方が、いっぱい獲物獲って来れるぜ」という従来型の男性像が、その優れた男性性だけで社会の中で地位を成立させていたところから一歩先に進んで、これからの社会で地位を成立させている男性は本質に母性を持ち始めている。それは人類として次のステップに入っているのじゃないか、とパクチーは思っちゃうのである。わあ。最高やん。男性性はその特質として、他者を排除し優位を保つこともしうるが、母性は他者を傷つけない。男性が本質に母性を持つことは、人類の本質に関わる問題になり得るんである。

男性の母性に対して、女性はどうするか

男性が本質に母性を表現し始めたら、それに対等な女性はどうあったらいいのだろう。

女性はどっちも持ってるから、そのままでいいのでは!

どちらも持っている女性が、その特質を生かす方へといくならば、それはすなわちその人の人間性が高まっていくということとイコールである。シンプルに、女性は、その人自身の宇宙を展開して、その人そのものを生きていけばいいのではなかろうか。

ここで話題にしている「母性」が、「子供を産んだ女性が子供に対して持つもの」と小さくカテゴリーできる範囲に収まるものについてではないことは、もうご理解いただけているかと思う。男性が母性を持つのと同じように、その女性に「母性」があるならば、それは年齢も、子供のあるなしにも関わりなく、他の生きとし生けるものを無条件に肯定する力のことを、今そう呼んでいる。

しかしその大きさや、表現のタイプは、それぞれ違うし、何を通して獲得するか、何を通してより豊かに表現されるかも違うであろう。

「母性」は目的でも手段でもない。

その人のあり方そのもの、考え、世界の認識の仕方から、その人の肉体、行動に連動して発せられるものである。「自己」から「他者」に向かって発しているエネルギー、そこから出来るだけネガティビティを、エゴを抜いていくと、それは無条件の肯定、無条件の愛になっていく。他者に対して、他の生きとし生けるものに対して、発する考え、発する言葉、行動。その目的はなんだろう。そこに目的はあるだろうか。目的のないポジティブな行為、それは母性と呼ばれるものの一部なのではないだろうか。

それほど難しいことではないとパクチーは思う。例えば友達が、隣で少し喉が辛そうにしている。自分が飴を袋いっぱい持っていたら、その友達にひとつあげるのは、自分にとってどうということもない。あげてしまった後は、あげたことを忘れてしまえるくらいの行為、であるかもしれない。

でも残りがわずかだったら、あげるかどうか、自分に必要になるかもしれないことを想像して躊躇するかもしれない。なけなしのお小遣いで買ったものなら、誰かに分けることはできないと思うかもしれない。

自分にとって、何でもなくあげられる「飴ひと粒」は何に相当するだろうか。「袋いっぱいの飴」は何に相当するだろうか。それは自分が喜びをもって学び、獲得していく過程で備わっていくものなのではないだろうか。その人が自分の世界を、宇宙を豊かにしていくに伴って満ちていくエネルギー。「袋いっぱいの飴」は、その副産物なのじゃないかと思う。

「母性」は、現実のリアルの「飴ひと粒」から、実現することもできる。


今日はこれでおしまいです。
それではまたね。


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ところで、マザーシップとは、調べてみたら英語では「母船」の意味しかなかったよ!母性は英語でmotherhoodなんだね。でも下記のリンクによると、「母性」と思ったことで合っているみたい。下記を参考にしました。

http://www.tatsuru.com/tokyo/html/tfk.20.html



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