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橋の上から(何でもない思い出)

 
 橋を渡る時、下を流れる川をのぞき込むのが私の習慣だ。水面とアオサギと、ひび割れた護岸ブロック。たいてい、それ以外は何もないのに。
 あんまり眺めてたら、周りからは変な人だと思われるかな。大型トラックが通るたびに、橋の上の私は揺さぶられる。すこし不安な気持ちは今も、子供の頃も、同じ。


 国道153号線は、名古屋市から出たとたんに田んぼに包囲される。天白川と交差する橋の上は、車ばかりが多く、歩道を行くには寂しい。とりわけ、台風が過ぎたあとの夕方は、9月でも寒く、帰りを急かされるような気がする。

 その橋は、私にとって、バスケットのゴールがある公園に向かう道の途中でもある。小学校高学年になると、よく放課後に友達と連れ立って自転車で遊びに行った。学区の外にあるので、本当は先生から「勝手に行ってはいけない」と注意されていたけれど、学区の中にはゴールのある公園は一つも無かった。前カゴに入れたゴムのボールが跳ねて飛び出ないように気をつけながら、自転車で橋の上を駆けていた。

 
 午前中に台風が去ったその日、なぜ出かけたのかは覚えていないけれど、私はその橋を一人で通った。下をのぞき込むと、川の水はいつもより暗くて、分厚くて、重たそうだった。それでいて、何かがうごめいているような。

 小さい時、東海豪雨があった時には、このあたりの田んぼは水に浸かったと母親が言ってたっけ。私が覚えているのは、近所の盛り土が大雨で崩れたことにその家の飼い犬が驚いて、それ以来、急に大人しくなったことくらい。

 橋の上からは、川に沿って広がる田んぼと、その両脇にひしめく家々が黄色く照らされて見える。夕日はちょうど田んぼの向こうに落ちそう。やけに大きな広告看板、うなる鉄塔、記念病院に向かう救急車のサイレン、行き交う車の切れ間には、地下鉄の音もわずかに聞こえる。
 
 車の中の人には、そんなこと分かりっこない。もしかしたら「小学生が橋の上に一人きりで危ない」とすら思われているかもしれない。まあ、暗くなる前に帰った方が良いことは確かなのだけど。

 その日、私はしばらくの間、橋の手すりに両肘を乗せていた。


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最近、すてきなガイド文庫を手にして、ほくほくした気持ちになっていたとべかえるです。

「AITSCHLAND」(アイチランド)

せっかくの気持ちは、何か形にしておこうと思ったので、、、ガイドの足しにもならないような、私のR153の思い出を書いてみました。
おやすみなさい。

とべかえる


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