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源氏物語 現代語訳 須磨 その5

 七月になり、再び宮中に上がられます。お上も未だ格別にご寵愛なさっておられますので、人の謗りもものともなさらず、以前同様にお側から離されることなく、事あるごとに怨まれたり、かと思えばしっぽりと情愛を交わされたりなさっておられます。朧月夜の君のお顔立ちはいたく艶めいて清らかなのですが、心中は源氏の君への想いが溢れ、なんとも畏れ多いことでございます。

管弦の催しの際、「その人がいないのはやはり物足りないね。ましてや同じように思う人は世間には相当多いんじゃないかしら。何事につけ光が足りないような心地がしてならないねぇ。」そう仰っては、「亡き院の遺されたお言葉に背いてしまったよ。きっと罰があたるね……。」と涙ぐんでおられますので、女君も堪えきれません。

「この世は、生きていたところで所詮は味気ないもの、そう思い知らされてしまってからは、長生きしようなんて気はさらさらなくなりましたよ。私が死んだら、さて貴女はどう思われるでしょうね。先だっての生き別れほどには悲しんでくれないだろうな、と思えば妬けて仕方がない。『生ける世に』なんて、何も分かっちゃいない人の台詞だよね。」と打ち解けたご様子で、深い深い想いを込めて仰られましたのを拝見し、とめどなくほろほろと涙が零れますと、「それ見たことか、その涙はどちらに向けて零れた涙かね。」となじられました。「未だに私に子供がいないのが不満なのだよ。東宮を院の御遺言のように考えてはいるけれど、この先のいざこざを思えば、申し訳ないと思ってしまう……。」、世の政を御心をないがしろにして動かそうとなさっておられる方々がいらっしゃいますのを、お若い気弱な御性質ですので、無念に思われることも多いようでございます。

 須磨にはいたく心震わせる秋風が吹き、海までは若干の距離がありますけれど、行平中納言が「関吹き越ゆる」と詠じた浦波が夜毎夜毎甚だ間近に聞こえ、二つとないほどの風情を漂わせるものはこういう場所の秋なのでございます。御前に控える者も少なくなり、皆々が寝入った頃、お一人だけ目を覚まされて枕から頭を上げ四方より吹き荒ぶ嵐に耳を傾けておられますと、波がすぐそこまで押し寄せてきているかのような錯覚に囚われ、思わず知らず零れ落ちた涙で枕もしとどに濡れそぼっておりました。琴を一寸ばかり掻き鳴らしただけで、ご自身でも吃驚するくらいの凄みで響き渡りましたので思わず手を止められ、

たまらなく恋しくて泣く泣き声にそっくりの浦波は、いつも気にかけている都から吹く風が運んでくるあの人の泣き声かもしれない……

と歌うように口ずさまれますと、近習たちが皆目を覚まし、うっとり聞き惚れておりますうちに、たちまち都が恋しくなり、やるせない想いを抱えたまま起き直してこっそり鼻をかんだりいたしております。正直この者達はどう思っているのだろう、仕える私一人のせいで、ほんとうは片時も離れたくない親兄弟の住む家と別れ、こんな所で流浪している……、そう思えば甚だ痛々しく、私がこうして気落ちしていては一層気が滅入るであろうとお気付きになり、昼間はなにくれと話かけるなどなさって気を紛らわされ、手持ち無沙汰のまま何種類もの色のついた紙を継ぎ合わせて手習いをなさったり、貴重な唐の絹布などに様々な絵を描かれた屏風の表面などは、惚れ惚れするほど見応えがございます。かつては人伝に聞いておられた海山の景色を、遥かに頭に浮かべるだけでしたけれど、今やその光景を眼前にご覧になり、実に想像すら及ばぬ磯の有り様を見事に描き出されておられます。「昨今評判の千枝、常則あたりを呼び寄せて色付けさせてみたいものよ。」と周りはもったいながっております。気さくで上機嫌なお姿を拝見して、世の憂さも忘れ去り、お近くでお仕え出来るだけで嬉しくてたまらず、常に四五人ほどの者がお側に控えております。

 前栽の花々がとりどりに咲き乱れ、情緒が増した夕暮れ時、海が遠く眺められる廊に立たれた艶姿の麗しさ清らかさは、土地が土地だけに到底この世のものとも思えません。着なれて柔らかくなった白い綾に、薄紫のお召し物を重ねられ、濃い色目の直衣の帯も解き加減に寛がれた出で立ちで、「釈迦牟尼仏弟子」と名乗られては悠々と読経なさっておられるお姿もまたこの世にまたとないものでございます。遥か彼方の沖に、何艘もの舟が歌声も高らかに騒ぎ立てながら漕ぎ進んでゆくのが聞こえます。仄見えるその影は、まるで小さな鳥が浮かんでいるようで心許なくなります、雁が一列になって飛ぶ鳴き声が、楫の音と混じりあって聞こえます、そんな光景を眺めやりながら、自然と流れ落ちる涙を拭われるお手つきが黒い数珠に照り映えて、故郷に残した女への恋しさに乱れる皆々の心を慰めてゆくのでした。

雁は故郷を恋しがる者の仲間なのだろうか、旅の空を飛ぶ声がやたらと悲しく聞こえてしまう

と仰られますと、良清が、

次から次へと想い出が脳裏を駆け巡ります、雁はその頃の友人というわけでもありませんのに

続いて民部大輔、

自ら進んで故郷を捨てて鳴く雁を、かつては縁もゆかりもないものと思っていました

前の右近の将監は、

故郷を離れて旅の空をゆく雁も、列に遅れさえしなければ淋しくもなんともないのです

万が一はぐれてしまったら、どうすればよろしいのでしょう、と云います。この度父親が常陸介に任じられて下って行ったのにも同行せず、こうしてこちらでお仕えしているのでした。内心忸怩たるものはあるようなのですが、表立っては溌剌と振る舞い、かけらもそんな素振りは見せません。

 月がいたく煌びやかに昇り、そう云えば十五夜であったと気付かれます、しみじみ宮中の管弦の遊びが懐かしく恋しく、都のあちらこちらの方々もこの月を眺めておられるだろうなと想いを馳せられながら、月の顔をただ一心に見守っていらっしゃいます。「二千里外故人心」と白楽天の詩を口ずさまれますのに、いつものように近習たちは落涙を禁じ得ません。入道宮が「霧や隔つる」と仰られたあの宵のことがたまらなく恋しく、様々な場面がよみがえり、よよと声をあげて泣かれておられます。「夜も更けましたので……」と申し上げますが、一向にお床につかれません。

月を観ている時だけは束の間心が慰められる、再び帰れる月の宮は遥か彼方だけれど

 その夜、お上が実に懐かしそうに昔話をなさっておられたお姿が、院によく似ておられたのも恋しく思い出され、「恩賜の御衣は今此に在り」と道真公の詩を口にされつつようやく御寝所に入られました。

この世をただ憂き物とのみ思うわけではない、右を向いても左を見ても懐かしさや感動で袖は濡れるのだ

 ちょうどその頃、大宰大弐が筑紫より上京してきました。いかにも羽振りよく一族郎党を引き連れ、娘たちが大勢いますから窮屈ということで、北の方は海路で上られます。海岸線伝いに風景を愛でながらの旅で、須磨は他所より風光明媚なところですから興味津々です、しかも今まさに源氏の君がおいでになると聞けば、浮気な若い娘たちは、わけもなく船内にいるだけで恥ずかしくなり動悸が止まりません。ましてやかつて五節の舞を舞って源氏の君の御目にとまった君は、綱手を引いて須磨をゆき過ぎることさえ歯痒いのですけれど、遥か向こうから琴の声を風が運んできて、お住まいのご様子、お人柄が、奏でられる音色と相まって、感じやすい者は一人残らず感涙に咽びます。

帥こと大宰大弐がご挨拶申し上げます。

「遥か彼方の地より上京してまいりまして、まずは近いうちにお伺いし、ぜひとも都のお話をお聞かせいただきたいと思っておりましたが、思いもよらないこのような所にいらっしゃいますとは、今しも御宿の前をゆき過ぎようとしておりますけれど、畏れ多くも胸が痛みましてございます。親しくお付き合いしております人々や、お世話になっております誰それ達が、須磨まで出迎えに来てくれており、取り込んでおりますので憚るべきと考えましてお伺いしかねます。近日中に改めて参る所存でございます。」

などと申し上げました。子の筑前守が代わりに参上いたします。この息子は源氏の君が蔵人に推して目をかけてやった者ですから、ことのほか悲しくただならぬ事と感じておりますが、周囲の目がありますので、謗りを受けぬよう早々に立ち去りました。「都を離れてからというもの、かつて親しくしていた人達とも気軽に逢えなくなってしまったのに、わざわざこんな風に立ち寄ってくれるとは。」と仰られます。お返しの文にもそのように書かれてありました。筑前守は泣きながら帰り、お住まいのご様子を伝えます。大弐をはじめとする迎えの者達は、不吉なほど取り乱して泣き狂いました。五節の君は文面を練りに練って後ほどお便りいたします。

琴の音色に引き留められた綱手縄、立ち去りがたく戸惑っているこの心をお分かりでしょうか

女の側からのこのようなはしたない言上、どうぞお赦しください、と認められておりました。ご覧になりながら思わず笑みが漏れ、いたくはにかんでおられます。

私への想いが綱を引き留め躊躇っているのなら、この須磨の浦を素通りなんてとうてい出来まいね

自分でもよもやこんな所で漁ろうとは思ってもみませんでしたよ。

と書かれてありました。駅の長官がめでたくも詩を頂戴した道真公の故事もございます、ましてや源氏の君と契った五節の君ですから、父たち一行から離れて一人ここに留まりたい衝動に駆られております。

 都では、日増しにお上を筆頭に源氏の君を恋しがり慕う機運が高まっております。就中東宮におかれましては、日夜思い出されてはこっそり涙を拭われておられます。そのお姿を拝見する乳母たち、取り分け命婦の君は胸が締め付けられております。入道の宮は、ひたすら東宮の事のみが心痛の種ですから、源氏の君までもがこのように流浪の身となられたことで、天を仰がれ悲嘆に暮れておられます。

 腹違いの皇子達や、昵懇だった上達部たちも、当初こそお見舞いの文を遣わされたりされておりました。気の利いた漢詩を作り合ってやり取りなさっては、その一部始終が世に漏れ称賛されたりいたしましたので、おのずと大后のお耳にも届き、逆鱗に触れてしまいました。

「朝廷から罰を受けた者は、自由気儘に好きなものを食べることさえ許されないのですよ、それがどうです、こじゃれた家に住んで、世間をしたり顔で批判したり、またそれに鹿を馬と云った愚か者さながらに追従するとは言語道断。」などとこき下ろされたことが伝わって、それからというもの勘気を蒙ることを恐れ、お便りする者もとんといなくなってしまいました。

 二条院の姫君はと申しますと、時が経っても一向に胸のつかえが取れません。東の対で源氏の君にお仕えしておりました女房たちも、西の対に移った当初は、それほどの女人でもないだろうとたかをくくっておりましたが、お近くで拝見し馴染んでまいりますと、お姿の好ましさお淑やかさはもちろんのこと、行き届いたお心配りと思いやりの深さに感激し、一人として職を辞する者もおりません。それ相応の身分の女房には、ちらりとお姿をお見せになることもあるようです。綺羅星のごとくおいでになる想い人の中で、特別扱いを受けていらっしゃるのももっともだと、つくづく納得しております。


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