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源氏物語 現代語訳 紅葉賀その2

 一方の幼い方は、親しむにつれ、性質もお顔もますますよくなられ、無邪気に源氏の君にまとわりついていらっしゃいます。しばらくの間は邸内の者にすら正体を明かしたくないとのお考えから、今なお離れた対のお部屋を入念に整え、ご自身も朝も晩も出入りされては、ありとあらゆる事を教えて差し上げます、自らお手本を書かれてお習字の稽古をなさったり、まるでずっと別居なさっていた娘をお迎えしたかのように思われておいでです。政所、家司をはじめとして、特別に姫付きのお世話係をお命じになり、何不自由なく過ごされるよう仕えさせておられます。家の者たちは、惟光を除き全員ただただ気を揉んでおります。父君の兵部卿宮も一切ご存じありません。

 姫君は今でも時折、かつての日々を思い起こされた際には、なによりまず亡き尼君を慕われることが多いようです。源氏の君がいらっしゃる時は気が紛れておいでですが、夜ともなりますと、時々源氏の君がお泊まりになられることもありますが、なにぶんあちらこちらと忍び歩きに勤しまれておいでですので、日暮れとともに出掛けられてしまいますから、つい慕ってついてゆこうとなさることもあり、源氏の君は愛着の度合いがいや増してしまわれるのでした。二三日宮中に参内されそのまま左大臣邸にお泊まりになられる時などは、非道く落ち込まれたりもなさいますので、源氏の君も心が痛まれ、まるで母のない子を持ったかのようなお気持ちになり、忍び歩きされるにもつい後ろめたさを感じておられます。僧都はそのようないきさつを耳にされ、いくぶん訝しみながらも喜ばしいことと思っておいでです。尼君の御法事を営まれる際にも、源氏の君がご臨席になられ、厳かかつ丁重に弔われました。

 里退がりなさっておられる藤壺の三条宮に、その後のご様子が知りたくてたまらない源氏の君がお伺いいたしますと、命婦、中納言の君、中務といったあたりの女房たちが対応いたします。ずいぶん水くさい扱いをなさるじゃないかと憮然となさいますが、なんとか気を取り直して差し障りのない世間話なぞなさっておられますところに、藤壺の兄君であられる兵部卿宮がおいでになりました。

 源氏の君が来ておられるとお聞きになり、ご対面となりました。まことに雅やかで、色っぽくなよなよとしておられますので、源氏の君はこの宮を女にして扱ったらさぞ愉しいであろうと内心妄想なさったりなどされ、あちらでもこちらでもご縁があるものですから、ぐっと親近感をお持ちになり、いささか砕けたお話もなさいます。方や兵部卿宮も、源氏の君のご様子がいつにもましてざっくばらんでいらっしゃるのをご覧になり、まことに素晴らしいと感心され、よもやご自身の娘婿とは思いもよらず、女にしてみたらさぞかし面白いだろうなと、名うての浮気者のお心で夢想されておいでです。

 日も暮れてまいりましたので、兵部卿宮が御簾の内に入られますのを、源氏の君はやたらと羨ましがられます、かつてはお上の特別な御取り計らいで御簾の内お側近くで誰も介さずお話申し上げたものを、今やこうまでご自分を避けておられることにいたく傷ついておられるのは、どうしようもないこととは申せ、お気の毒でございます。「頻繁にご機嫌伺いに参らねばならないはずですが、殊更のご用事がなければ自とご無沙汰してしまいます。何事かございました際にはお知らせいただけますと幸に存じます。」と捨て台詞のような堅苦しいご伝言を残されお帰りになられました。命婦もなす術もなく、藤壺宮のお加減も、以前より遥かに退っ引きならない状況とのご認識から、頑なにお心を閉ざされておられますので、重苦しい気分のままただおいたわしいとご同情申し上げるのみで、何ら動きのないまま時は過ぎてゆきました。なんというやるせない契りであったのかと、お互いに懊悩を極めておられます。

 姫君の乳母少納言は、思いがけず興味深いお二人を見ることになったものです、これもひとえに亡き尼君が姫の将来のお幸せを願い、日々御仏にお祈り申し上げておられたご利益でしょう、としみじみ感慨に耽っております。源氏の君には左大臣家の姫という歴とした奥方様がおいでになります、その上あちらこちらにお情けをかけられておられる方々もおいでになり、姫が大人になられた暁にはおそらく面倒な事がおこるでろうと今から気を揉んでおります。とは云うものの、只今は格別に想いをかけてくださっておられるのが、なんとも心強く感じられるのでした。母方の祖父母の喪は三ヶ月で明けますので、十二月末に喪服をお脱がせいたします、ご両親ご不在のまま成長なさいましたので、目も綾なきらびやかな色合いではなく、紅、紫、山吹の無地の織物で仕立てた御小袿などをお召しになられますが、かえって今風で実に洒落ておられます。

 源氏の君は元旦の儀式に参列なさいます際に、ふとお覗きになられました。「おやおや、今日からはもう大人ですね。」と仰って微笑んでおられますのが、まことにもって見目美しく愛嬌たっぷりのご様子です。方や姫君は、いつの間にやら人形を並べて忙しそうになさっておられます。三尺の対のお厨子に、あれもこれもとお道具を設えられ、源氏の君が作らせられた玩具の御殿を辺り一面に散らかして遊んでおられます。「鬼を祓うと云って、犬君がこれを壊してしまったので、直しているんです。」といかにも大事のように受けとめておられます。「ほんとだ、困った悪戯者がいたものです。どうぞご心配なく、今直させますからね。今日はめでたい元旦ですから、涙は禁物ですよ。」そう仰ってものものしくお出掛けになられますのを、家の者たちが端まで出てきてお見送りいたしますと、姫君も立ってお見送りになられ、すぐさま人形たちの内の源氏の君を綺麗綺麗にされ、参内の真似事をおさせになります。

「年が明けましたので、今年からは少し大人におなりくださいませ。十歳を越えられた方は、雛遊びはお避けになるものでございますよ。このように夫君もお出来遊ばされたのですから、それ相応にお淑やかに接していただかねばなりません。お髪を整えるだけで面倒くさそうになさるのはもってのほかでございます。」などと少納言がお小言を申します。雛遊びばかりに夢中になられるのを恥じていただきたいと心を鬼にして申し上げたのですが、当の姫君は、ということは私は夫を持ったということなのね、この人たちの夫と呼ばれている男たちはあんなにもむさ苦しいのに、私の夫君ときたらあんなに若くて見目麗しい男なのね、と今ようやく覚られたのでした。なんのかんのと申しましても、お歳を重ねられた証拠でしょう。こんな風に何かにつけて幼く振る舞われるのが、邸内の人たちの目にはずいぶん奇異に映っておりましたが、よもやこれがこちらのご夫婦ならではの御交歓であるとはゆめさら思ってもいないのでした。

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