やりたいことがない という心情

これは私の場合の話しであり、停滞する梅雨前線のように21歳のときからずっと頭上にもやもやとしているテーマであり、いま現在も解決できず繰り返される悩みであるので、

この記事では「でも」「だって」を連発することになると思う。

解決策を書くわけでもない。

なぜ、わたしがこんなことになってしまったのか、他人事のように書くだけである。



大学4年・就活

この時期になって初めて、わたしは人生とはを考えた。
具体的にいうと『この先何をして食っていくのか』。

わからなかった。

私は何ができる?何が好き?何をしたい?

いままで周りに生かされて、全身をがっちり四方から支えられ、なにかあれば救急隊のように助けが来た生活のツケだ。

勉強だけしていればよかった。周りの友達も、親も先生も、大学に向かう道だけを教えてくれた。

だけど、友達や親や先生が悪いわけではないのだ。みんな、『大学を出たら働く』ということ、そんな当たり前のことは知っていたのだ。初期装備だったのだ。

わたしは知らなかった。大学入学で全身全霊完全ゴールを果たして、プツッと終わった。そんなことを考える必要性も感じなかった。



就活の意味もわからず、なんでみんな急にスイッチをいれたロボットのように就活モードになるのかほんっっっっっっとうに理解できなかった。本当に。

だから、しなかった。

自己分析「う〜ん君は、研究職!あるいは心理カウンセリング!あるいはサービス業!あるいは営業事務!チャンスがあれば自営業!」


やりたいことがないとお母さんの運転する車の助手席で泣いた。帰省して、スーパーに買い物にいく途中だったかも。

「やりたくなかろうが、生きてくためにやるものなの!」

一番嫌なことを言われる。図星だから。そんなことわかってるから。


いままでイッツ・ア・スモールワールドに乗っていたのに、瞬きして開けたら目の前がええじゃないかに変わってるみたいな気分。

でもみんなはそれを知ってるの。イッツアスモールワールドが唐突になくなることを、どこかでなぜか知っている。私を置いて、ええじゃないかええじゃないかヨイヨイヨイ言いながら流れていく。



わたしは結局、覚悟がなかった。

『社会の歯車』にすらなれないのに、かといって自分に特別な『ナニカ』があるわけでもない。かといって、田舎に戻って小さな工場で『その他大勢のうちの1』になる生活もできない。

無能にプライドだけが備わってしまった。

カス。どうみてもカス。手持ちに回ってきたら速攻捨てられるカード。

同情の余地はない。



はたらく ということはどんな仕事だろうと 努力 をする必要がある。

小学生の教科書第一ページにも書かれていそうなことを、わたしは最近やっと知った。

やりたいことをやるなら、全てを捨てて情熱を注ぎ込まなければならないし、それをして成功するとも限らない。

その覚悟がないなら、黙って列に並んで、文句を言わず賃金をもらう努力をしなければならない。

それもできないのなら・・・・・




それから5年

クズなのに図々しくもなんとか生きて、一度会社に就職して、また留学もして、そんな悩みから逃げられたと思ったのに、わたしは現在また無職だ。

振り出しに戻った。

いや、ずうっと同じ悩みは頭上にあった。

ここがわたしの居場所なのか?やりたいことはこれか?いまわたしは何に向かって走っているのか?



このnoteをもし偶然たまたま見てしまった人は、「何言ってんだこいつ、甘ったれやがって。黙って金稼げ」と思うだろう。

わたしもそう思う。だから書いた。

できるのにできない。心がどんどん締め付けられている感じがする。


世界のどこかに、こんな捻くれた人間も生きているということをファンタジーのようにとらえていただければ、と思う。




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