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書店パトロール㊲ そんなに〜ファンじゃない〜♪

安部公房の生誕100周年だという。

なので、『芸術新潮』で特集が組まれていた。

私は安部公房をあまり読んだことはなく、『砂の女』、『方舟さくら丸』、『箱男』、くらいである。

と、いうのも、安部公房の本は読んでいるうちに文字通り異界に連れて行かれてしまう。『サイレント・ヒル』の1のように、歩いているうちにだんだんおかしな世界に踏み込んでいく。
然し、『砂の女』はまだ観念的ではあるが、わかりやすい話だと思ったが、『方舟さくら丸』あたりはキツかった。何より、何か、こう、時代のせいかわからないが、今読むと風俗描写が古臭く感じる。

『砂の女』は映画も観ている。監督は勅使河原宏。芸術家である。
彼の『利休』に関して、三國連太郎が、やはり本物ばかり揃える人なので、国宝級のもので撮影をして怖かった、と語っていたが、1番怖いのは三國連太郎である

安部公房は私には理解が追いつかない作家だが、明らかに頭一つ飛び抜けているのはわかる。然し、あまり美しさを感じることはない。

そんな私は、平凡社の別冊太陽の『横溝正史』を買おうかと逡巡しつつ、2,750円という高額に悩んでいた。

探偵小説の鬼。すごい渾名だ。かっこいい。鬼っていうのは憧れるものがある。そういう、邪悪なるものに憧れる心がある。
有り難いのは、幼き頃は天使であり、大人に成るにつれて堕天して悪魔に近づいていくことだ。人間は天使から悪魔に生まれ変わる生き物である。
幼き頃は純粋であり、善悪の彼岸にいない。残酷なのは無知なだけであり、悪魔を自覚するのは大人である。だから、私は文章の悪魔に焦がれている。

探偵、それは悪魔たちの探りを入れることだ。人間が悪魔の腹の中を探ることだ。
その探偵小説の鬼。鬼。写真もキレイだ。先程書いた芸術新潮の『安部公房』も初版本の書影なども多く、無論太陽、今作もビジュアルがとてつもないほどに美しいのだ。

然し、私が横溝正史の小説をそんなに読んでいないことが、購入に歯止めをかけた(またかい!)

そんな私に、もう1冊の雑誌が誘惑する。可愛らしい舞妓さんか芸妓さんのイラストが描かれたカーサブルータスの増刊。

今、京都市京セラ美術館で村上隆の個展、『村上隆 もののけ 京都』が開催されている。

この特集が組まれており、個展の作品や京都にまつわる色々などを充実した内容でまとめてある。
私は別に村上隆の作品は好きでも嫌いでもないが、惹かれるものがあるのはわかる。村上隆の著作を読んで、彼の作品が複数のレイヤーと合理的な思考のもとに生み出されているのも理解できる。とにかく売るのが上手いのは、やはり琴線に触れるものを捉えるのが上手いのだと思う。

雑誌の表紙のレイアウトを見ていても、1番多くの人がこの雑誌を手に取るだろう。汎ゆる方面でブランディングが成されていて、その結果、価値は跳ね上がる。
問題は、価値と本質は別物であって、本質とは本来価値ないものにも宿るし、寧ろ価値のないものこそ本質である。

私はこの雑誌も買いたい衝動を堪えて、1冊、前から欲しかった文庫本を手に取る。『「私」という男の生涯』。なんというタイトルだ。

石原慎太郎の自伝的な本の文庫化である。
石原慎太郎も、私はあまり理解を寄せている作家ではないが、この人も魅力的な人ではある。
私にとり、創作というもので価値観が異なれど、魅力的な人、というのはたくさんいる。性格は嫌いだが、作品は気になる、というやつだ。
こういう自伝などを読むと、その人の人となりが少しは理解できる。そうすると、案外気の合うところもあったりして、意外にまた1人、好きな人ができるものだ。



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