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あのダメ出しは俺にも当てはまるかもしれない

とは、最近読んだ市村正親の『役者ほど素敵な商売はない』にあった言葉である。

この本は、彼が役者になってからの自伝的な本で、まぁ語りおろしなのだろうが、今まで市村正親さんが演じてこられた役柄や、出会ってきた舞台人などに関して書かれていて、非常に面白かった。

私はタレント本が好きなのである。ぶっちゃけると、文学よりもタレント本が好きである。なぜならば、大抵の文学作品はうんこだからであって、傑作はなぞ指折り数えるほどしかないからである。
まぁ、これはオーバーに書いているが、めったに傑作なぞには出会えない、ということである。

今年の芥川賞も、『東京都同情塔』が受賞し、生成AIで書かれた箇所が云々で話題になっていたが、現時点で、刹那で忘れられている。

私は『東京都同情塔』を読んでいないので(今回は実は気になるので読んでみたい、装丁もかっこいい。)なんとも言えないのだが、やはり最早形骸化しているのは否めないし、毎年2回、回により複数受賞者が出るのは、それはもう、確かに純文学の新人作家への賞だとしても、販促のための賞だとしても、権威が無くなるのは当然である。
直木賞も2名出ていたが、万城目学さんの受賞は、どうしても2007年のマーティン・スコセッシの『ディパーテッド』での功労賞、的な受賞、そろそろ獲らせてあげようか、的な、そういうのを感じる。
スコセッシは『タクシードライバー』も、『レイジング・ブル』も、『グッドフェローズ』も、まぁ最近の『ウルフ・オブ・ウォールストリート』がアカデミー賞監督賞ノミネートで、『ディパーテッド』が獲るのはどう考えてもおかしな話である。私は『ディパーテッド』は傑作だとは思うが、然し、70年代〜90年代の傑作と比べると格落ちは否めないだろう。

まぁ、最近は色々な業界で大御所が大ダメージを負う案件も多いが、文壇もそういうきな臭い話は多いので、いつか炎上しそうである。

さて、この本には劇団四季時代、退団後など、様々な演出家が登場するが、やはり浅利慶太氏、蜷川幸雄氏のインパクトが大きい。

どちらも凄いダメ出しをしてくるようで、蜷川幸雄の話は素人でもよく耳に入ってくる話だが、この、市村正親ですら全員の前で罵倒する、という、恐るべき演出の鬼、というか、まぁ、それは、私も話半分でしか知らないため事実かわからないし、最近は、そういう鬼軍曹的な監督やコーチ、演出家は実はモラハラパワハラで後で問題になる、という匂いもないではないが、然し、この、市村正親の、あのダメ出しは俺にも当てはまるかもしれない、という考えは、とても重要なことである。

人の振り見て我が振り直せ、とはなかなか難しいことだ。他人が怒られている様を自分ごとのように考えることは大切なことだ。

人が怒られているのを聞いて、襟を正す人がいる。若しくは、俺はああならないように上手くやろう、と考える人も。どちらも大切なことである。後者は要領がいい、というか、上に兄や姉がいる人間などに付きやすい能力だが、前者はとても真っ直ぐで好感が持てる。

最悪なのは、他人が怒られているを見てへへへと笑っているパターンや、自分とは違う世界の話である、と、そもそも意識すらできない、完全に他人事として考えている場合であろう。

人類は、数百億〜数千億の人間の失敗によりここまで来たわけであり、我々もまだその途中なのである。
先人はたくさんの過ちを犯してきたのだ。その結果、この世の理から人権意識まで、様々なことが向上している。まぁ、何十億年後に、地球は太陽に吸い込まれるそうで、そう考えると、意味はないのかもしれないが。

私は、劇団四季の舞台では、『美女と野獣』、『コーラスライン』、『ノートルダムの鐘』しか観たことがないため、演劇に明るくないが、あの、劇場の持つ非日常感というのは凄い。
映画館も非日常ではあるが、あれはランクはCだが、劇場だとAまで跳ね上がる(どういうランクだ)。
で、舞台美術、というのは美しいものが多くて、私は存じ上げなかったのだが、金森馨さんという美術家が作った舞台の凄さを論じる項があり、とても興味を抱いた。曰く、舞台芸術のスーパースターなのだという。
なので、この本を買おうかめちゃくちゃ逡巡しているわけだが、うーん、悩む。



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