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眠れる美女は代筆なのか

まじ?それは面白そうな話だねぇ、的な表情をしつつ、ちゃんとアピールもしている。
常にセクシーさを忘れない、三島さんは変態紳士である。

代筆という文化がある。

要は、他の人が書いた作品を、別の人の名義で発表・出版することである。
ゴーストライターもそうだろう。

芸能人の本なんか、大体は語りおろしで、それをライターが体裁を整える。本人が書くことはあまりないだろう。大抵の芸能人作家の本は、本人が書いていないと私は思っている。書いていたとしても、相当の手直しが入っているだろう。
例えば、矢沢永吉の『成り上がり』なんかは、コピーライターの糸井重里が彼へのインタビューを元に書いた作品である。
これも代筆のようなものだが、川端康成の作品は代筆のものが多い。

『乙女の港』という少女小説は、女性初の芥川賞作家の中里恒子の作品である。

彼女は川端康成の弟子だから、他にも代筆作品がある。
川端康成の代表作の一つ、『眠れる美女』は三島由紀夫の代筆という噂がある。

『眠れる美女』は、会員制の秘密クラブの話で、そこでは老人しか入ることができない(そして、致すことは出来ない)。
そして、そこは海辺の旅館風の場所で、仲居につれられて部屋に通されると、美しい娘が薬で眠らされている。その娘と添い寝したり、身体を触ったりするクラブなわけだが、それに主人公はハマる。
まぁ、変態小説である。
映画版もたくさんある。原田芳雄が出ている、『山の音』とフュージョンした珍作もあるし、海外でも映画化されている。このシチュエーションが、世界中の変態芸術家どもに受けるのだろう。

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何か、川端康成の小説は女性の美しさを精緻に書くように言われるが、、読んでいるとひどく傲慢な作者の心理も伺える。それは初期から一貫しているから、『禽獣』などを書くのだろう。

『禽獣』は禽獣の類を家で飼いまくるおっさんの話だが、これは川端康成本人で、この主人公も又、生きものも、女性も、全て観察するような眼でじっとりと、乾いた文体で描く。

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川端は、旅芸人や芸者、カジノフォーリーの踊り子や女中など、弱い立場の女性と、金持ちのブルジョワ乃至は身分の高い男性との関係という構図があまりにも多く、これは多分に指摘されている。
『掌の小説』の中の一編の『雪』も、そういう話で、主人公は正月になると、奥さんと離れて、幻ホテルと自分だけが呼ぶホテルに泊まって過ごすのが習わしなのだが、そこで夢を見る。その夢の中では、大きな鳥が飛んできて、そこには、自分が今まで愛した女たちが乗っていて、どの女と話そうかな、とか考えている話である。
多分自分の話だと思うが、なんという未練だらけの男なのだろうか。
『みづうみ』においても、主人公は電車で乗り合わせた美しい人と、すれ違うだけの関係で終わることに、深い哀しみを覚えている、という台詞があるが、全方位で女好きである。

まぁ、御大の女好きの話は置いておいて、この『眠れる美女』は三島が書いた説があって、それは原稿の字が綺麗すぎるとか、様々な証言はあるが、証拠はない。
然し、原稿が川端にしては綺麗すぎるから、というのは、流石に川端に失礼ではないか。

ちなみに、新潮社版の『眠れる美女』には『片腕』という傑作があって、その幻想小説が頗る面白いし、美しいし、妖しい。これを書ける人間はやはり天才だし、新感覚派の面目躍如である。
美女が片腕を一晩貸してくれる話で、その片腕の描写がきめ細やかで綺麗なのである。

川端康成は代筆疑惑作品が多すぎて、その辺り謎めいているのを調べるのも、面白いだろう。

現在も、本当は代作だった、とか、相当に別の人が手直ししている、とか、コネで受賞した、とかは腐るほどある話だと思う。無論、ほとんどは清廉潔白であろうが、100%はないだろう。

こういう話も、詳らかになればいいなぁと思う。ゴシップが大好きなんで。


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