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BUMP OF CHICKEN『宇宙飛行士への手紙』を読む

(BUMP OF CHICKENは)レベルの高い合格点を超える楽曲オールウェイズ出してくれる。
その中でも屈指の名曲。『宇宙飛行士への手紙』の歌詞について、自分なりの解釈を書いていこうと思います。

〈言葉〉〈時間〉の限界

『宇宙飛行士への手紙』は、〈稲妻〉を目撃し、それに感動するところから始まります。

  蜘蛛の巣みたいな稲妻が 空を粉々に砕いて消えた
  ジャンル分け出来ないドキドキ 幼い足 ただ走らせた

  どうやったって無理なんだ 知らない記憶を知る事は
  言葉で伝えても 伝わったのは言葉だけ

しかし、その感動をうまく共有することができない。なぜなら〈言葉〉には限界があるからです。言語化できないために「ジャンル分け出来ないドキドキ」としか形容できないわけです。

  出来るだけ離れないで いたいと願うのは
  出会う前の君に 僕は絶対出会えないから
  今もいつか過去になって 取り戻せなくなるから
  それが未来の 今のうちに ちゃんと取り戻しておきたいから

  どこにだって一緒に行こう お揃いの記憶を集めよう
  何回だって話をしよう 忘れないように教え合おう

〈言葉〉に加えて、〈時間〉にも限りがあります。なぜなら、過去は取り戻せず、未来は不確定であるからです。〈言葉〉〈時間〉、それらの限りのために、「出来るだけ離れないでいたいと願」い、「どこにだって一緒に行こう」とするわけです。

〈稲妻〉の言語化、〈宇宙〉との対比 


  出来るだけ離れないで いたいと願うのは
  出会う前の傷を 僕にそっと見せてくれたから
  死ぬまでなんて嘘みたいな事を 本気で思うのは
  生きようとして 生き抜いた 稲妻を一緒に見られたから

出来るだけ離れないでいたいと願う。それは、過去は取り戻せず、未来は不確定であるために、今に生を凝縮するという在り方です。〈稲妻〉とは、一瞬にきらめいて一瞬に散る、今にすべてをかける生き方です。そうした〈稲妻〉の生き方と、自分自身の在り方が重なる。そこから、今に生を凝縮する〈稲妻〉の生き方に感動をしたのだと、「ジャンル分け出来な」かったはずのドキドキが「生きようとして生き抜いた稲妻」と明確に言語化されているわけです。

そのようにして生きていると、出会えなかったはずの過去の〈あなた〉と、「出会う前の傷を」見ることで出会うことができる。一瞬のきらめきでしかないために、ともに目撃することすら難しい〈稲妻〉に巡り合える。そこから、言語化できなかった感動が言語化される。〈あなた〉と出会った偶然や〈稲妻〉を目撃する偶然、その確率の分母の膨大さに〈宇宙〉を感じる。限界があるはずの〈言葉〉と〈時間〉が、拡張されていく。そこに無限の可能性を感じ、永遠を実感する。

限りの中に価値を見出す


  そしていつか星になって また一人になるから
  笑い合った 過去がずっと 未来まで守ってくれるから

〈言葉〉〈時間〉の限りのために、〈稲妻〉の如く今に生を凝縮する。その先に限界を超えた無限の〈宇宙〉を見出す。本来、嘆かわしいはずの限界こそが、価値を生み出している。そのことが、「笑い合った過去がずっと未来まで守ってくれる」という言葉に表現されています。

〈言葉〉〈時間〉という有限。〈稲妻〉という生き方。〈宇宙〉という無限。『宇宙飛行士への手紙』とは、これらの対比の中で、人生を肯定的に捉えるという詩なのです。そのために、無限の可能性を見出せる、宇宙飛行士(いつか死んで"星"になる=〈時間〉に限りある)である私たちへ、唄ではなく限りある〈言葉〉で綴る手紙を送ろうとする、そんなタイトルになっているわけです。



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