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インドネシアで人生初入院-“外国人”になって感じたこと-

実はインドネシアに来て3週間目、腸チフスという感染症に罹ってしまい、2泊3日の人生初入院をしています。
インドネシアの病院で感じたことをつらつらと書いていこうと思います。



医療に限っては、Tidak apa apa(インドネシア語で大丈夫なんとかなるさの意味)精神ではだめということがわかった。
インドネシア人がいくら大丈夫と言っても、検査しなければならないことや、確かめなければならないこともある。
それもやっぱり、自分の身は自分で守らなければならないということなんだと自覚した。

入院してみて、外国語であれこれ聞かれるのはとても大変。
お腹痛かったり、体調が悪い時に外国語を話すのすら本当に大変なことなのに、外国語で書かれた慣れない手続きをして、すごいたくさんのサインをして、慣れないベッドで寝て、何を待ってる時間かわからず待つというのは、想像以上に辛いことだった。

それでもみんな優しくて、なんとか伝えようとしてくれる人が多かった。
それに明るいし、一人でよく来たね!とも言ってくれたり、笑わせてくれるし、12と20を言い間違えた私のことも明るく笑ってくれる。
もちろんGoogle翻訳の存在には感謝すぎるけど!

でも、ほしいものや気になることは、自分で言って、自分で取りに行かなければならない。
待っていて受け身でいたら、助けてもらえない。
日本と同じ医療が受けられると期待していてはだめだと言われたけれど、本当にその通りだと身を持って感じた。
点滴が終わったら自分で看護師さんを呼ばないと、血が逆流して文字通り痛い目見るのは自分だ。後で持ってくるから待っててねの言葉を信じて2時間も3時間も待っていても、来てくれない時は本当に来てくれない。忘れてしまってるのかもしれないし、引き継ぎがうまくいかなかったのかもしれない。もちろん何かしら理由はあるんだろうけど、それでも来ないものは来ないんだから、しつこく、来るまで呼ぶしかない。やってもらえるまで、諦めずにお願いするしかない。
これは、元気な時ですら体力が必要なのに、体がしんどい時なんてなおさら大変。
でも生きなければ!病気を早く治さなければ!
私は絶対に生きてやるんだ!!ここで死んでたまるか!という気持ちで、してもらわなければならないことはしてもらいに行く。
そんな風に生きていく力を、いま少しずつ身につけていっているところなんだと思う。きっと。
あと半年、ここで生きていくぞ!わたし!
病気になって、むしろ強くなった。

彼氏が私はサイヤ人だと言ってくれたけど、本当に私はサイヤ人かもしれない笑
嫌でも強くならざるを得ないこの環境にも感謝。




ところで医療面では、やさしい○○語というものがどんどん浸透していってほしいと思った。(○○には現地語が入る)

診察の番号札の取り方も、口頭での呼び出しも、「外国人」にとっては読めないし聞き取れないしで、本当に大変。
インドネシア語のリスニング練習にはなったけど、失神しそうなお腹の激痛の時にまで、リスニング練習ヘイカモン!なんてまじで言ってられない。

私はほんーの少しインドネシア語を勉強しているけど、インドネシア人にとって普通の速さで話されると目眩が起こるくらいに訳がわからないというレベルです。
そのレベルの私でも、理解できる看護師さんやお医者さんがいる。この人の言うことならわかる、この人の言うことはほとんどわからない、などと人による。
たぶん、やさしいインドネシア語、つまり外国人にわかりやすいインドネシア語を使ってくれているかどうかな気がする。
わかりやすいインドネシア語を使ってくれると安心するし、歩み寄ってくれているようでとても嬉しい。インドネシアに日本語を話せるスタッフがいてほしいだなんてそんな傲慢なことは思わないけど、インドネシア人が簡単なインドネシア語を使ってくれると助かるしありがたい。
それは、在日外国人にも言えることで、医療の現場にはやさしい日本語が浸透してほしいと身を持って思った。

それから、「こんにちは」「ありがとう」と言ってくれるのはとても嬉しいので、私もいろんな国の挨拶とお礼が言えるようになっておきたいし、知らなければ、あなたの母国語でありがとうは何と言うの?と聞いてみたいと思う。そうしてくれた時、すごく嬉しくて、それだけで少し不安が和らいだから。

病院でもたくさんのカルチャーショックや文化交流ができて、良い経験だった。たしかに強くなったな、私。

おわりです。ありがとうございました。

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