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小説冒頭試し読み

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文學界noteに掲載されている、小説の冒頭試し読み記事をまとめました。
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記事一覧

【冒頭特別公開!】旗原理沙子「私は無人島」【第129回文學界新人賞受賞作】

第129回文學界新人賞は、応募総数2120篇の中から5篇を最終候補とし、3月8日に青山七恵、阿部和重、金原ひとみ、中村文則、村田沙耶香の5選考委員による選考が行われ、旗原理沙子さんの「私は無人島」、福海隆さんの「日曜日(付随する19枚のパルプ)」が受賞作に決定しました。今回は、受賞作「私は無人島」の冒頭8000字を公開いたします。 ◆プロフィール 旗原理沙子(はたはら・りさこ) 1987年群馬県生まれ。東京、大阪などで育つ。三十六歳。共立女子大学文芸学部卒業。  思い返

【冒頭特別公開!】福海隆「日曜日(付随する19枚のパルプ)」【第129回文學界新人賞受賞作】

第129回文學界新人賞は、応募総数2120篇の中から5篇を最終候補とし、3月8日に青山七恵、阿部和重、金原ひとみ、中村文則、村田沙耶香の5選考委員による選考が行われ、旗原理沙子さんの「私は無人島」、福海隆さんの「日曜日(付随する19枚のパルプ)」が受賞作に決定しました。今回は、受賞作「日曜日(付随する19枚のパルプ)」の冒頭8000字を公開いたします。 ◆プロフィール 福海隆(ふくみたかし) 1991年生まれ。京都府在住。会社員。 10  精液が枕を飛び越して壁に届い

【創作】三木三奈「アイスネルワイゼン」

 子供がうつらうつらしはじめたところで、琴音は足を組み直した。太ももに手をのせ、ピアノの屋根の上、四つの写真立てを眺める。端から順に、子供の写真、家族の写真、子供の写真、子供の写真。メトロノームは隣の食器棚の中、ワイングラスの横に並んでいる。琴音は腕時計を見おろすとため息をつき、子供の横顔を見つめた。頭がゆらゆらと前に傾いて楽譜にあたりそうになると、子供はびくついて目を開いた。 「寝てたでしょ」  琴音が言うと、子供は目をつむったまま、にやりとした。 「疲れちゃった?」

【創作】石原燃「いくつかの輪郭とその断片」

 月光  緩い上り坂の先に大きな月が出ている。  春だというのに滲んだところがない。  ネットのニュースによれば、感染症の流行で、世界中の人が家に引きこもり、車や飛行機が止まった結果、水や空気が澄み、遠くの山々がくっきりと見えるようになったらしい。立ち止まって、写真を撮ろうとスマホを向けた。けれど、画面で見る月は小さく、黒い紙にパンチで穴を開けたようにしか見えない。  写真を諦め、スマホを下げると、空色のジャンパーを着た香川さんが少し先で待っているのが目に入った。身体が小さ

【創作 短期集中連載】小林エリカ「風船爆弾フォリーズ」

うゐのおくやま けふこえて あさきゆめみし ゑひもせす 一 この街は、あの震災から十二年目の年を迎える。 春が来る。 靖国神社に、千鳥ヶ淵に、英国大使館前に、桜の花が満開だった。 わたしは、小学校一年生になる。 お祝いつづきの春だった。 桜の花が咲いて散る。 バラ模様のレースショールと揃いのパラソルに絹の手袋。淡いコバルトにクリーム色を重ねた春の野の裾まわしの着物。 この街は、春の装いに身を包んで浮足立つ人たちで賑わっていた。 ウェーブをつけた髪にダイヤがちりばめられた

【創作】九段理江「しをかくうま」

 誰かいるのか?  ヒは問う。返事はない。ヒの問いがヒの体の中でこだまする。誰かいるのか? 誰かいるのか? 誰かいるのか?  声はたしかに聞こえる。どこから聞こえてくるのかわからない。聞こえ始めたころはとくに気にしていなかった声だった。だが次第に音が大きくなるにつれ、自分の頭がつくりだした声なのか、それとも頭の外からの声なのか、出所を知らなくてはならなくなった。それを突き止めないことには、どれほど頭の中に言葉を増やそうと、いくら急いで歩みを進めようと、どこへも行けないのだとふ

【創作】乗代雄介「それは誠」

 修学旅行から帰った翌日のしかも土曜日に学校があるのはどうかと思うけど、僕だって特別な事情がなければ風邪で寝込んでるなんて言い訳せず、ちゃんと登校したはずだ。でも今日だけじゃないんだな。僕は明日も明後日も寝込んでて、あと何十日か、事情次第じゃ何百日でもおかしくない。事情っていうのは、今始まったこれ――高校二年の東京修学旅行の思い出――をいつ書き終えるのかということだ。  例の居心地悪い自然な導入ってやつになる前に、僕の作業環境を書いておく必要がある。築五十年弱、リフォーム済み

第128回文學界新人賞受賞作 市川沙央「ハンチバック」 

<head> <title>『都内最大級のハプバに潜入したら港区女子と即ハメ3Pできた話(前編)』</title> <div>渋谷駅から徒歩10分。</div> <div>一輪のバラが傾く看板を目印にオレは欲望の城へと辿り着いた。</div> <div>どうも、ライターのミキオです。今回は、ハプニングバーの超有名店「×××××」に潜入取材してまいりました。ではさっそくレッツゴー。</div> <div>ペアーズでマッチングしたワセジョのSちゃんと肩を並べて入店。(待ち合わせ場

【創作】小佐野彈 「サブロク」 

 YouTubeの画面のなかでは、ダボダボの黒いパーカーに、ダボダボのスノーパンツ姿の若い男が、「やべえ!」「これはえぐい」と言いながら、楽しげに友人とじゃれている。 「いやー、死にたくないっすよー。生きて帰りてえ!」  ステッカーだらけの黒いヘルメットをかぶった男の声は若々しくて、少年らしさを感じさせる。 「だいじょうぶ! 死なねーって! 最悪、しくっても半身不随だから!」  撮影者は、半身不随、などと穏やかならぬことを口にしているというのに、口調はどこまでも明るく

「ICO」 上田岳弘

発売中の「文學界」7月号より上田岳弘さんの短編「ICO」の冒頭をお届けします。  ICOは孤独である。  と同時に孤独ではない。  なぜなら――  *  ICOはiPhone13の前で踊っている。  なぜなら――、  なぜなら彼女はTikTokerだから。いや正確に言えば、彼女はTikTokerでもある、というべきか。あくまでそれは彼女を説明するための一つの要素に過ぎないのだから。  しかし取り急ぎ今彼女について説明するのなら、TikTokerであるとするのが

『雨滴は続く』 西村賢太 4

「文學界」で連載され、最終回執筆中に著者が急逝したために未完となった、西村賢太さんの『雨滴は続く』(文藝春秋刊、488頁、定価2200円)が単行本にまとまりました。  発売を記念して、1章から4章までを順に無料公開いたします。 四  年が改まって二〇〇五年となっても、貫多はまだ『群青』誌に提出する三十枚ものに手を付ける気にはなれなかった。  一つには、すでにシノプシスは出来上がっているのだから、あとはそれに沿っていつだって書けるなぞ云う、ヘンに余裕をこいている部分もあっ

『雨滴は続く』 西村賢太 3

「文學界」で連載され、最終回執筆中に著者が急逝したために未完となった、西村賢太さんの『雨滴は続く』(文藝春秋刊、488頁、定価2200円)が単行本にまとまりました。  発売を記念して、1章から4章までを順に無料公開いたします。 三  しかしながら、とあれ千載一遇と云うべき好機―それはあくまでも藤澤淸造の〝歿後弟子〟たる資格を得るに当たっての好機であるが―を掴んだかたちの貫多は、まずは件の短篇のネタ繰りに没入した。  誰であったか昔の作家で、自らの人生の歩みを題材とすれば

『雨滴は続く』 西村賢太 2

「文學界」で連載され、最終回執筆中に著者が急逝したために未完となった、西村賢太さんの『雨滴は続く』(文藝春秋刊、488頁、定価2200円)が単行本にまとまりました。  発売を記念して、1章から4章までを順に無料公開いたします。 二  だから購談社の、『群青』編輯者との約束の当日を迎えたとき、貫多の得意な気分は弥が上にも絶頂の昂ぶりをみせていた。  午後二時過ぎになって宿を出た、その足の運びはいつになく軽ろやかであり、姿勢も平生の俯向き加減のものとは大きく異なる、まるで意

『雨滴は続く』 西村賢太 1

「文學界」で連載され、最終回執筆中に著者が急逝したために未完となった、西村賢太さんの『雨滴は続く』(文藝春秋刊、488頁、定価2200円)が単行本にまとまりました。 後年の西村さんのキャラクターは広く知られていますが、本作に描かれているのは、それが確立される以前、小説家としてデビューする前後の北町貫多=西村賢太の姿。何者かになろうともがく貫多の、言わば”遅すぎた青春”篇です。  発売を記念して、1章から4章までを順に無料公開いたします。 一  このところの北町貫多は、甚だ