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【書評】花田菜々子|静かに酔う人の美しさ――木村衣有子『BOOKSのんべえ お酒で味わう日本文学32選』

 お酒が弱い自分にとって、お酒が出てくる文学というのは決して自分が体験できない世界だ。それはいつも憧れの対象でもあり、同時に疎外感を感じるものでもある。だから『BOOKSのんべえ お酒で味わう日本文学32選』と、もうタイトルからして酒飲みたちが歓喜しそうな本を手にして、ページを開く自分は半信半疑のような気持ちでいた。これは飲むことと読むことが大好きな人のための本であり、自分には面白く読めない本なのでは、と。

 しかし、序盤の数ページでその心配は一気に払拭された。

 冒頭で紹介されるのは滝口悠生さんの『茄子の輝き』に登場するレモンサワー。日本におけるレモンサワーの歴史を紐解きながら、店も人もいったん離れてしまえばそれっきりになってしまう、「情の途切れる時」を描いた作品の魅力にせまる。通常、文学の中のお酒が紹介されるときというのは、情や絆、あるいは悲哀など、お酒がもたらすセンチメンタルさが礼賛されがちなのだが、そうではない面に光を当てる木村衣有子さんの批評眼に心が躍り出し、するするとあっという間に読み終えてしまった。

 自分が大好きな近年の名作から、名前は知っているけど読んだことはない文豪のものまで、そしてお酒がおいしそうな話だけではなく、酔っている人を冷たく観察するものや断酒をすすめるものまで、時代もテーマもまったく異なる文学を次々に味わえるのが何とも楽しい。食文化についての著書が多い木村さんだからこそ、お酒についての調べごとも半端ではない。酒造メーカーの人も、日本文化を研究している人も、この本は歴史的な資料として保存しておいたほうがいいのでは? と思うくらいに詳しく書かれていて、お酒の蘊蓄が好きな人にもすすめたくなる本だ。

 予想に違わず木村さんご自身はのんべえだという。しかし、大病をしてからはお酒と少し距離を置いているともいう。それゆえだろうか、「お酒が出てくる文学って最高だよね!」とハイテンションで酔っているような姿は文章にみじんも感じられず、背筋を伸ばしたまま静かに飲み、酔っている人のような美しさが本書の全体に貫かれている。

 そういえば子どもの頃に本に出てきた異国の知らない食べものは、いつもとてもおいしそうで、いったいどんな味がするんだろう? と想像しながら眠りについたものだ。想像上の「おいしさ」は現実を上回っていたのではないかと思う。大人になってからは知らない食べものがほとんどなくなってそのよろこびを忘れていたが、もしかしたらその意味ではのんべえよりも下戸のほうが「お酒文学」をおいしく味わえているのかもしれない。そんなことを思わせてくれる1冊だった。

(初出「文學界」2023年5月号)

■ プロフィール

花田菜々子(はなだ・ななこ)
蟹ブックス店主、作家。79年生まれ。『シングルファーザーの年下彼氏の子ども2人と格闘しまくって考えた「家族とは何なのか問題」のこと』(河出書房新社)。


■ トークイベントのお知らせ

5月12日に、『BOOKSのんべえ』の著者である木村衣有子さんと、本書評をご執筆された花田菜々子さんのトークイベントが高円寺の蟹ブックスさんで開催されます。ぜひ奮ってご参加ください!

『BOOKSのんべえ お酒で味わう日本文学32選』刊行記念トークイベント日時:5月12日(金)20:15〜21:45
会場:蟹ブックス
注意事項:オフラインイベントのみとなります。配信等はございません。
参加費:
・イベント参加のみ…1000円(税込)
・イベント参加+本の購入…2600円(税込)
定員:20名
お申し込み方法:Peatixにて受付いたします。



「文學界」2023年5月号 目次

第128回 文學界新人賞決定発表 受賞作全文掲載
市川沙央(いちかわ・さおう)「ハンチバック」
私の身体は生きるために壊れてきた――強烈な生命力とユーモアが選考会に衝撃を与えた、ある女性の闘いの記録!

【選評】阿部和重・金原ひとみ・青山七恵・中村文則・村田沙耶香

【創作】山田詠美「肌馬の系譜」

【特集】12人の“幻想”短篇競作
山尾悠子「メランコリア」
諏訪哲史「昏色(くれいろ)の都」
沼田真佑「茶会」
石沢麻依「マルギット・Kの鏡像」
谷崎由依「天の岩戸ごっこ」
高原英理「ラサンドーハ手稿」
川野芽生「奇病庭園(抄)」
マーサ・ナカムラ「串」
坂崎かおる「母の散歩」
大木芙沙子「うなぎ」
大濱普美子「開花」
吉村萬壱「ニトロシンドローム」

【鼎談】
いとうせいこう×奥泉光×渡邊英理「「(再)開発文学」としての中上健次」
ダルンデンヌ兄弟×小野正嗣「現代の奴隷制を告発する」

【対談】王谷晶×西森路代「新しいセクシーさをめぐって」
【エッセイ】吉川一義「プルースト没後百年のパリ」

【追悼 大江健三郎】
蓮實重彦「ある寒い季節に、あなたは戸外で遥か遠くの何かをじっと見すえておられた」
多和田葉子「個人的な思い出」
町田康「狂熱と鬱屈」
中村文則「再読する(リリード)、ということ」
〈対談〉島田雅彦×朝吹真理子「理性と凶暴さと」
松浦寿輝「誠実と猛烈」
安藤礼二「大江さんからの最後の手紙」
阿部和重「Across The Universe――大江健三郎追悼」
長嶋有「もう、大江さん!」
星野智幸「「大江健三郎という権威」を批判する大江さん」
横尾忠則「散歩中の会話」

【巻頭表現】大塚凱「裸眼」
【エセー】山﨑修平「SPとNMS」/鴻池留衣「シン・仮面ライダーのエロさ」

【強力連載陣】砂川文次/金原ひとみ/綿矢りさ/宮本輝/奈倉有里/王谷晶/辻田真佐憲/藤原麻里菜/成田悠輔/平民金子/津村記久子/高橋弘希/松浦寿輝/犬山紙子/柴田聡子/河野真太郎/住本麻子

【文學界図書室】遠野遥『浮遊』(渡辺祐真)/中森明夫『TRY48』(宮崎智之)/千葉一幹『失格でもいいじゃないの――太宰治の罪と愛』(青木耕平)/木村衣有子『BOOKSのんべえ』(花田菜々子)(*本稿)

表紙画=柳智之「河野多惠子」

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