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文豪の香りがする思い出の道後温泉


2006年7月23から7月25日まで四国、松山、高松に旅行道後温泉に行ったことが日記帳に記されていた。朝の6時40分に家をタクシーで出てANAで松山空港まで行った。8時30分には羽田空港に到着したので、空港内の食堂で朝飯を食べた。全員別々のカレーをたのんだ。息子はビーフ、瑠璃子は野菜、敦はポークと言った具合だ。

11時台の羽田発の飛行機に乗り、松山空港に到着した。空港からリムジンバスで松山市内まで行き、宿泊先のANAホテルで早めにチェックインして、市内見学に出掛けた。実は春に3人はニューヨーク・ボストン旅行に行ってきたばかりだった。まだ小学5年生の息子は、夏休みが始まってばかりで、すぐに二泊三日の旅行に付き合わされたので、乗り気では無かった。「また、行くの。家でのんびりしたいよ」と言っても、一人で留守番をするには、寂しすぎるので、付いてきたと言う感じだった。だいいち、息子ほど家が好きな男はいないと思う。とりあえず、家から出たくない。決して、引きこもりでなく、家が好きなのだ。

その日は、松山は市電が発達しているので、どこに行くにも市電の行く先さえ分かれば、間違えなく行く先につける。「まず、今日は松山城に行こう」と言う敦に提案で大街道駅に止まる市電を探して、市電の初乗りを体験した。到着駅から歩いていくとロープウェイ乗り場があった。標高132mの勝山にそびえ立つ松山城は、歴史的に見ても貴重な現存12天守の一つだ。ロープウェイに乗って、本丸の天守閣を目指して登った。門を何度も潜ったが、「結構、広いのね。驚いちゃった」と瑠璃子が甘く見ていたのか結構距離があったことに文句を言った。

天守からの眺めは、松山中を見渡せる高さだった。城は、敵から守るためのものだと実感した。帰りは、リフトに乗って降りることにした。「リフトに乗ると遊園地に来たみたいになるね」と息子が笑った。ちょうどいい時間にホテルに着いた3人は、ホテルのレストランで食べた。食後、飲み物を道後の温泉町まで繰り出して、「漱石ビールジョッキー」「坊っちゃんビールグラス」「えだ豆」ジュースなどを麦酒館と言う酒屋で買ってホテルの部屋で飲むことにした。

「道後温泉に入るのと高松の本場の讃岐うどんを食わなきゃ」と勝手に敦が旅行のスケジュールを管理していた。わざわざ、翌日の7月24日に高速バスを使って高松まで讃岐うどんを食べに行った。バスの方が時間はかかるが、電車より格段に料金が安い。予備知識もないのに、高松に行って讃岐うどんを食うと言うすごい事をしでかした敦。駅前のセルフのうどん屋に飛び込んで、常連客がやっているように会計後うどんを自分で温めてからタンクに蛇口があったので、蛇口から出汁を入れるまで、自分達でやった。緊張しまくった家族であった。「はなまるうどん」で慣れてはいるが、いきなりのセルフ店はハードルが高かった。衝撃的な讃岐うどん体験だった。食後、ミスタードーナッツでポンデリングとエンゼルクリームを食べてしまった。「帰りのバスまでちょっと時間があるので栗林公園に行こうか」と敦の提案で行くことにした。その後、松山に帰ってきたので、道後温泉まで市電に乗って行くことにした。

道後温泉は、まだ6時過ぎても明るい。「神之湯二階入浴券」を買って、温泉に入ることにした。旅館のような作りの温泉は、石造りの浴室に砥部焼の陶板画が飾られ、大きな円柱形の「湯釜」と呼ばれる湯口が鎮座する浴槽は、道後温泉本館の独特な雰囲気を作り出していた。湯から上がると二階に行く。神の湯の2階席では、浴衣の貸し出しや大広間でお茶・お茶菓子(おせんべい)が提供される。ダダ広い広間に通されて、温泉の後の余韻を楽しむことが出来た。「夏目漱石の坊っちゃんの世界だな」と酔いしれていた敦に「私なんか、全員白人の5人組と一緒に温泉に入っていたよ。日本人は私だけだから、緊張しちゃった」「坊っちゃんのマドンナばかりかいいな」と敦は羨ましさと、もし自分だったら、パニックになっていたかもと思ってしまった。夏目漱石の足跡を辿った訳じゃないけど、文豪の旅をしたとつくづく思い出す松山の旅だった。


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