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中学生の恋の行方



濱野京子の小説家「ウィズユー」を読み終えた。中学生の淡い恋愛を通して、重い「ヤングケアラー」の話がメインのお話だ。途中、もっと不幸になるのではないかと心配したが、豈図らんやスムーズに事が運んだので、敦は胸を撫で下ろした。話はこうだ。夜の公園でブランコにぽつんと座っている少女を見た中学三年生の男子、柏木悠人と中学二年生の富沢朱音(トミザワアカネ)が徐々に仲良くなっていくという話だが、高級マンションに住む朱音は、母親が突然病気になってしまい、家事全般や小学2年生の妹の面倒を見ることになってしまっていた。父親は、単身赴任で名古屋にいる。一方の悠人は、家出中の父親と超優秀な兄を持つ、ちょっと貧しい家庭の子供で、築40年の古いマンションに住んでいる。貧富の差と家族のあり方の対比もさることながら、朱音の突然の母親のケアに戸惑う姿が痛々しく描かれている。この小説のメインテーマは、作者自身が後書きを割いて書いた「ヤングケアラー」の存在だ。全国で37100人もいると言う現実に目を瞑るわけにはいかない思いで書いた小説だ。

貧困や虐待などに比べ、まだまだ注目されていない分野で、実態調査もされていない現実に敦も驚いた。そもそも、「子供は介護の担い手として想定されていない」ことが問題だと敦は真剣に思った。ただ、この小説は、中学生の淡い恋愛も横軸にあるので面白い。敦も、中学時代を思い出した。こんな恋愛をしてみたかったが、あいにく相手がいなかった。そんな中でも好きな女の子はいた。親友の木下康夫に今でもからかわれるのだが、「敦は、由里香にぞっこんだったからな。俺が、工業団地の彼女の家に行って、敦の代わりに告白してあげたんだからな。全く、今じゃ考えれないほどううぶだったな」とこの歳になっても言われる。たわいも無い恋心で、親友に告白を頼むという大失態をした敦は、見事に撃沈した。


思い返せば、同級生でもう一人、好きな女の子がいた。大河節子だ。中学を出るとすぐに就職をして、工員として働いていた。流石に、木下にラブレターを託すことはしなかった。何度か、ラブレターを匂わすような手紙を送った。今なら、ラインやメールで送るべきものだが。「お前、大河さんの娘さんとなんかあったのか」と母親から言われてびっくりしたことを覚えている。田舎町は、意外に狭い。結構離れた場所に住んでいるのに、親同士がつながっていた。高校時代に、野球部を途中で辞めた。暇もあり、小説をがむしゃらに読んだ時期だった。恋をしたくなった。そんな折、中学時代の友達を思い出していた。丁度、修学旅行なので、そこから手紙を書いた送ろうと思った。浅はかな考えだったが、真剣にそうした。返ってきた手紙は、元気でよかった程度の敦の思いとは逆に、浅いものだった。

何しろ、その頃は、友達の山田幸一とともに、文通がマイブームだったので、書きまくった。海外にまで手を広げて、イギリスのパティ・スミスという女の子とも文通した。末尾にいつもWith a lot of love ×××と書いてきた。×××はチュチュチュという意味だった。夢中で返事を下手な英語で書いた。大学になって、マンチェスターまで会いに行った。写真通りの綺麗が女の子だった。中流家庭の女の子で、兄弟が多かった。おしゃべり好きな母親とおしゃれな娘、そして、いきなりの歓迎は、アフタヌーンティー。「3段のティースタンド」をサンドイッチ・スコーン・ペストリーと言われるケーキの3つが紅茶とともに出された。「明日、妹の学校に連れて行こう」と母親に言われ、その日はパティの家に泊まった。考えてみれば、いい迷惑だ。ちょっとさわりだけ、家族を紹介してくれたことに感謝している。家族会議の結果、家が狭いので、パティの友達の家に荷物を持って引っ越した。画家志望の友達はちょっと小太りの女と同棲していた。毎晩、パブで飲んだ。一週間もすると旅に出たくなり、衝動的にヒッチハイクの旅に出た。スコットランド一周だ。そんな一人旅の思い出が蘇ってきた敦であった。

中学時代も高校時代もろくな思い出がなかった敦だが、大学に入った瞬間から人生が変わった。女友達も増え、恋人も出来た。薔薇色の人生とはよく言ったもんだ。それからは、恋愛、結婚とも順調に進んでいる敦だった。離婚もあったが、それも、すべに再婚して30年も経つから順調なのだろう。この小説は児童文学の部類だが、大人が読んでも楽しく作られている。恋愛初級者にも大人にも楽しめる本だと確信する。「その後の悠人と朱音の関係を見たい」と敦は思っている。中学生の時の同級生同士で結婚した杉谷夫婦がいる。今でもラブラブだ。そんな夫婦になっていればいいなと真剣に思ってしまう。二人のことが気になって仕方がない。まさに劇中にいる敦であった。

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