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銀塩モノクローム写真を体験することは、大いなる将来のクリエイター資産となる

1970年代に、もうカメラ小僧だった私は、知り合いのツテをたどって暗室作業を始めていた。当時のカメラはニコマートFTN、主力レンズはニッコール28mmF3.5だった。フィルムはフジのネオパンSSを100フィートの缶入りで買って、自分でパトローネに詰めていた。現像液はD76を使い、プラスチックのベルトタイプの現像器を使っていた。
そうしてできた35mmのネガを、知人の暗室を借りて、引き伸ばしていたのである。それは1-2か月に一度くらいの魔法の時間だった。サービス版(今のL版)や大キャビネ版(今の2L版)に引き伸ばして露光し、印画紙を現像液の中でゆらゆら揺らしていると、画像がじわじわと現れてくる。なんとも言い難き感動なのだった。そして黒と白の諧調が整ってきたところで、停止液、定着液に浸して、やっとのことで写真が出来てくるのであった。
印画紙はオリエンタルの2号(軟調)を使って、やや長めに現像液に浸して、黒がしっかりと締まってくるところまで待つのである。それが私のスタイルだった。印画紙はフジブロマイド、月光なども使ったが(まだイルフォードはそんなに使われていなかった)、なぜかオリエンタルの諧調が好きだった。
大学生になって、地方都市から東京へ移り住んだが、狭い台所には立派な角形支柱のフジの引伸機が鎮座していた。そして、1か月に1度くらいのサイクルで、写真をプリントしていたのだった。
やがて広告会社に就職して、仕事がやたら忙しくなり、住まいを会社に近いもっと狭いアパートに移したときに、残念ながら引伸機は手放してしまった。それ以降、写真はラボや写真店でDPEをお願いするようになったけれど、印刷仕事やカメラマンとの仕事で、過去のアナログ写真の体験が実地訓練として大いに役立ったことは間違いない。出来ること、出来ないこと、技術の限界や可能性をきちんと身体で分かっていたからである。

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たとえば、極端なアナログの例を挙げよう。木の枝をナイフで削って、加工するとする。木の枝を効率だけを求めて加工するなら、電動工具とかいろいろ使えるはずだ。しかしナイフで削ると、木の硬さや柔らかさ、木目、枝の様子、節のあるなし、木の皮の状態など、身体で、指や手の感覚で覚えるのである。東急ハンズで規格品を安易にちゃっちゃっと買ってくるのとは全く違うのだ。

それに類することが、写真表現にも存在する。デジタルはとにかく便利だ。構えて、向けて、押せば、写真になる。何ということもない写った写真に適当なコンセプトを無理やりくっつければ、ご立派なアーティスティック・フォトグラフィーになる。撮った人はコンテンポラリー・アーティスティック・フォトグラファーだ。昔だと「極私的」という便利な、なんというかそういった写真を撮る者をやや軽く見なすような言葉もあったっけ・・・。

絵画表現と違って、写真表現にはデッサン、クロッキーといった野球におけるバットの素振りのような、千本ノックのようなベーシックな練習方法が存在しない。それが写真表現の根本的に持っている非常に大きな欠陥なのである。だからデジカメとキーボードとモニターだけでなんとかできる世界が、この世界のすべてだと思い込んでしまう勘違い人間が大量生産されてしまうのだ。

ダゲレオタイプをやれ、というのではない。せめて銀塩のモノクロームぐらいはきちんとやって欲しいのである。このnoteですでに何度も紹介している「成田光房」には、それがある。銀塩モノクロームの技術のいろいろをきちんと伝授してくれる私塾なのである。

先日もぶらぶら出かけてみたが、相変わらずのノンシャラントなたたずまいだ。

https://naritakoubou.web.fc2.com/

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フツーの家である。

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こんな看板だけを眺めていると、のんびりし過ぎているようなのだが、ベランダにさりげなく富士写真工業製のフジB型引伸機が置いてあるのが、なかなかなのである。https://naritakoubou.web.fc2.com/

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そして私塾を主宰する成田氏はこんな感じの先生。写真術というある種の仙術を伝授する感じというか・・・。

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しかし、内部はさまざまなアート作品や写真が展示されていて、なんというかミクロコスモス的なのである。

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こんな作品群を眺めているだけでも、表現に携わる人間の姿勢というものがじわじわと身体に染み込んでくるようだ。

https://naritakoubou.web.fc2.com/

毎週土曜日の夕方から、よく飲んだり食べたりの集まりをやっているようなので、ぶらっと立ち寄ってみてほしい。初めての人は、電話をしてから訪ねてみるといい。平日でも、時間についても成田先生はフレキシブルだから大丈夫であるだろう。ちなみに私の主な役割は、この集まりで飲んでもらうお酒や食料を届けることなのである。

このような場所が、若い人たちにどのように受け取られるか、感じられるかを、私は知らないし、分からない。おそらく千差万別の反応だろうと思う。しかし、こういう場のあることを知っているとか、こういったところで銀塩モノクローム写真を体験することは、必ずや将来のクリエイター、アーティストとしての資質、資産になるはず、と私は信じている。そして、私はそうして年を重ねてきた一人なのである。

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