日本文豪研究所 庶務2係 おだぎりしんぺい

基本的に原稿書きの私は、世界をこう考えております。リアルもヴァーチャルも、物語(ストー…

日本文豪研究所 庶務2係 おだぎりしんぺい

基本的に原稿書きの私は、世界をこう考えております。リアルもヴァーチャルも、物語(ストーリー)と絵(ピクチャー)と音楽(メロディー)からできていると。そして全てのコミュニケーションの根本には、まず言葉があります。私めは言葉から物語を綴り、世界を作ろうとする者のひとりであります。

マガジン

  • ヴァチカンが最も恐れた影の幕閣井上筑後守政重 その苛烈な生涯

    井上筑後守政重とは、いまだ知られざる歴史的重要人物。江戸時代初期の大名で、家康、秀忠、家光、家綱の徳川将軍4代に仕えた。稀代の切れ者として幕政の陰で重きをなし、大目付として対切支丹政策に硬軟取り混ぜた辣腕を振るう。その姿は、マーチン・スコセッシ監督「沈黙-サイレンス」最大の悪役としてイッセー尾形氏が演じている。 隠れキリシタンを摘発し、島原の乱では参謀を務めた。また潜入した宣教師たちを拷問・転向・背教させ、ローマ教皇庁の心胆を寒からしめた。彼は日本人として初の国際的な悪名を轟かせた人物である。 しかし、彼の真の業績は「知は力なり」を実践し、西洋の科学技術、数学を、キリスト教抜きで日本に導入し、日本人の知的水準を大いに向上させたことにある。この知的基盤ゆえに、幕末の開国後にも西洋の最新技術を吸収し、植民地化を免れたのである。 彼の複雑怪奇で苛烈な生涯を、親しみやすく柔らかな講談調で語ります。

最近の記事

カメラに必須の距離計と露出計を忘れるな!

きちんとした写真を撮影しようとすると、正確な露出と正確なピント合わせが欠かせない。これがダメだと本当にどうしようもない写真になってしまう。いわゆる失敗写真である。 今の時代のデジカメは、失敗にならないようにいろいろな機構が内蔵されているので、露出とピントについてはまず失敗がない。失敗がないはずのデジカメを使っても、なお失敗するのはカメラブレ、へたくそな構図、意味不明の撮影意図など。これはもうどうしようもない。 フルマニュアルのカメラを使おうとすると、まず露出計が必要となる。

    • 「日常のこと」って何にも考えずにただまわりに流されてダラダラ生きているだけにしか過ぎないって、どうして誰も分かんないんだろうか?

      noteに書く人って、「日常のこと」がとてもとても多いんだけど、プロフィールや自己紹介をみていると、いらいらしてとてもとても困惑してしまうのだ。趣味でも「食べることが好き」「グルメ」なんてあるのにも、ただバクバク喰ってくだらない感想をこくだけだけだろー!?ん?って思ってしまうのは、私だけでしょうか? 日常のことって、日本の私小説作家が何十年も前からウジウジと悩んできたことなのだ。写真だって、1960-70年代に「極私的」なんて言葉でくくられた凡百凡庸月並みの写真群がドバドバ溢

      • 映画「室町無頼」にむっちゃ期待するゾ!

        ついにキター!のか。あの「室町無頼」が映画になると聞いて私は嬉しさで死にそうだ。原作小説は週刊誌に連載していたころから大注目であった。というのも、私はこの中に登場するかなり前から骨皮道賢に注目していたからである。注目して、国立劇場が公募していた歌舞伎台本公募に「骨皮道賢足軽戦事始(ほねかわどうけんあしがるいくさことはじめ)」という題名で、荒事歌舞伎の台本を書きあげて応募していたからである。(結果は見事に落選だ) むっちゃくちゃな室町時代は私の好きな時代で、高野秀行氏の「世界の

        • 詐欺被害に遭いながらも田中光学Tanar 35mm F2.8 L39マウントのオールドレンズを手に入れた

          私はアンチ・ライカ派である。いかにライカが素晴らしいカメラであるか、みなさんは口々に声高に大はしゃぎで語っている。確かに歴史があり、技術があり、ファンがいる。大メジャーである。野球なら巨人軍。だから私は大嫌いだ。 自分がそんなに大枚をはたいたことを自慢したいのだろうか? ビートルズが世界中の音楽シーンで大メジャーであった時代を、私は同時代として経験していた中学生から高校生だったが、みんなが誉めまくり、夢中になって大騒ぎするのを、冷ややかな目で眺めていた。嫌味で生意気なガキであ

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        • ヴァチカンが最も恐れた影の幕閣井上筑後守政重 その苛烈な生涯
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        記事

          オリンパスペンD3にストロボを付ける

          高価なフィルムを節約しつつ、日常をペンのようにメモするわがオリンパスペンD3なのだが、ストロボを使うことも考えねばならない。今のデジカメだとISO感度が自動的に変化して、超々高感度フィルム化するのだけれども、フィルムカメラはそれが出来ない。ISO100とかISO400で撮影するしかないのである。 それでストロボを使うことになるのだが、私が持っているのはとてもコンパクトなパナソニックのオートストロボ。単三電池を2本使用するだけのものである。コードもサイドに収納するので実に携帯性

          オリンパスペンD3にストロボを付ける

          オリンパスペンD3のテスト撮影、無事終了

          2023年12月に入手したオリンパスペンD3のテスト撮影を無事終了した。フィルムを現像に出し、CDにデータ化してもらって、見てみる。 なかなか満足できる仕上がりである。 ちょっと出かけた千葉県でも、カッチリと写る。いいことである。ミスといえば、ピントが目測なのでいい加減に撮るとピンボケすること。まあこれはしょうがないとあきらめる、いわばご愛嬌である。 森の木々や木の葉も細かく写るようだし、逆光の感じもいい。 こんな像もしっかりと描写する。 ただ残念なのは、CD化する時

          オリンパスペンD3のテスト撮影、無事終了

          フィルム価格高騰にハーフ版カメラで抵抗。結局オリンパスペンD3を入手した。

          前回書いた1本2000円を超えるフィルム価格に対抗するにはハーフ版のカメラが「来る」かも、という記事にかなりの反応をいただいたのはありがたかった。それだけ最近の急速なフィルム価格の暴騰に悩んでいる人が多いのである。 それで、前回はオリンパスペンEEDを購入候補に挙げたのだが、紆余曲折して結局オリンパスペンD3を入手してしまった。その変更理由は、ペンEEDは自動露出で、電池がないと自動露出調整機能が動かないから。 昔の機体だと、どうしても電池室が腐食しているものが多いので、果た

          フィルム価格高騰にハーフ版カメラで抵抗。結局オリンパスペンD3を入手した。

          これだけフィルムが高価だとハーフ版が復活するかも

          今や1本2000円を超える35mmのロールフィルム。それで36枚しか撮影できないのは苦しい。デジカメ慣れして何十枚、何百枚シャッターを切っても経済的な痛痒を全く感じなくなっている今の私たちには少なすぎる撮影枚数である。なんとかしたいと考えていると、勃然として「ハーフ版」というキーワードが浮かんだ。 そう、36mm×24mmのライカ版、35ミリフルサイズではなく、24mm×18mmのハーフ版のことである。これだと36枚撮りが72枚撮りになる。 おおー、なんと経済的なことだろう。

          これだけフィルムが高価だとハーフ版が復活するかも

          現代美術的写真作品(コンテンポラリー&フォトアート)の緊縛菩薩曼荼羅(しばられぼさつまんだら)をいかに販売するか

          仏教画にして写真作品、かつそれが曼荼羅の掛軸になった作品を私はこの何年か制作している。いろんな異なるジャンルを大幅にまたいでいる作品だ。私が調べたところだが、たぶん今までの世界の美術史にも日本の美術史にも、写真史にも、仏教史にも存在していないはずの作品である。 普通の人が考える仏教画とは、仏さまや聖者、宗教家、開祖、悟りの境地などをいろいろなモチーフにして描き出す。 写真が仏教に近づくとすれば、土門拳の名作「古寺巡礼」や最近の立木義浩の作品のように、仏像を撮影するものが多い

          現代美術的写真作品(コンテンポラリー&フォトアート)の緊縛菩薩曼荼羅(しばられぼさつまんだら)をいかに販売するか

          「薔薇を撃つもの」のヒントはリヨンに住むマダムとの雑談から

          なぜにこんな冒険サスペンス小説を書くことになったかを改めて思い出してみると、リヨンに住んでいたとあるマダムとのとりとめのないお話から始まったようである。彼女は保守派の政治的な傾向を持っていて、社会党のミッテランが大統領に就任したことを快く思っていないようだった。そのあたりを「なぜ?」「どうして?」と聞いていくうちに、ひょっとしてこんな話もありえたかもしれないとの、漠然としたアイディアを積み上げていったのである。 そのマダムとお話したのは、ご自宅だったか、カフェだったか、今とな

          「薔薇を撃つもの」のヒントはリヨンに住むマダムとの雑談から

          本当の敵はパリにいる。フランスの大物政治家の誰が失脚するのか?

          アフガニスタンに逃げた暗殺者の告白が公になれば、フランスの大物政治家が失脚するのは確実である。軍事雑誌の編集部に戻った主人公は、辣腕の編集長から急ぎ原稿を仕上げるように求められる。 書き上げた原稿を一読して、編集長は事の重大さに思わずうなった。「これは爆弾だ・・・」と。 しかし、原稿を印刷する印刷所が、突然の火事に見舞われてしまう。さらに、オリジナル原稿のコピーを1部残していた編集部に、印刷所からの急な使いと称する者が現れ、その控えの原稿もどこかへと持ち去られてしまう。(当時

          本当の敵はパリにいる。フランスの大物政治家の誰が失脚するのか?

          怪しい奴らが徘徊する混迷のアフガニスタン山岳ゲリラ戦を描く

          私の世代だと、中高生の時にはベトナム戦争があった。アメリカ帝国主義と戦うベトナム人民の戦いという図式である。そのあと中国とベトナムが戦争した。中越戦争である。この戦争について、私は?????と思ってしまった。ついこの間まで、共通の敵アメリカと一緒に戦っていたのが、なぜわざわざ戦争なんかするのだろう、と。ああー、これは単なるパワーゲームなのだ、正義だの帝国主義との闘いなんかのきれいごとは、偽装に過ぎないのだ、利権と権力が欲しいだけなのだ、と若僧ながらに認識したのである。 そこで

          怪しい奴らが徘徊する混迷のアフガニスタン山岳ゲリラ戦を描く

          冒険サスペンス小説を書くのに、自分に欠けていた体験をこうして補いつつ

          ミリタリー系の冒険サスペンス小説を書こうとした時に、私に欠けている体験があることは十分に認識していた。それは実際の軍務に服したことがない、ということだ。日本人なら自衛隊に入隊する、あるいはアメリカの傭兵学校に入学する、それともフランス外人部隊に入隊する、といった道筋があった(現在ではスペインにも外人部隊があるらしいが)のだ。 1本の小説を書くのに、そこまで考えてしまう私も大馬鹿だが・・・。 そのあたりは疑似体験で補うことにした。それは・・・ サバゲーである。プラスチックの6

          冒険サスペンス小説を書くのに、自分に欠けていた体験をこうして補いつつ

          チャドの内戦に派遣されたフランス軍将校から戦場ジャーナリストへの転身

          この小説のイントロは、チャドの内戦に介入したフランス軍がリビア空軍のミグに爆撃されるシーンから始まる。まだ当時は、カダフィ大佐が健在で、チャド北部のウラニウム鉱脈に触手を伸ばしているところであった。 結局、チャド派遣のフランス軍は損害を受け、主人公のフランス軍将校の同僚たちが何人か戦死することになる。その将校、クロードはいい加減な政治的解決を図る政治に失望し、軍を去って、軍事関係の雑誌で仕事をすることになった。軍事関係雑誌の老舗は、アメリカのSoldier of Fortu

          チャドの内戦に派遣されたフランス軍将校から戦場ジャーナリストへの転身

          そういえば、1980年代のアフガニスタンとパリが舞台の小説を書いていた

          かつて存在したソビエト連邦という国が、アフガニスタンへ軍事侵攻(1978-1989)したことがあった。ソビエト連邦とは今のロシアで(厳密には違うけれど)、世界中に共産主義の思想を広めて、自分たちの権力基盤を拡大することを国家的なお仕事としていた国である。 ソ連のアフガニスタン侵攻で、西側自由諸国は一斉に反発。モスクワオリンピックをボイコットし、ソ連の体制に反旗を翻した義勇兵、傭兵などが続々と反政府勢力に加わり、アンダーグラウンドな軍事援助もあった。今のウクライナと同じような図

          そういえば、1980年代のアフガニスタンとパリが舞台の小説を書いていた

          クリエイターの資質は鉛筆削りではっきり分かる、という厳しい現実を見ようとしない似非クリエイターどもに死を!

          バットの素振り、千本ノックというと、昭和の有名な根性マンガ「巨人の星」みたいであるが、機械やソフトウエアが進歩し過ぎるとバカが増殖するという危険性を、私は大いに喚起したいのだ。身体感覚の裏付けのない創造は、単なる記号に過ぎない。 まずは鉛筆を削ってみよう。鉛筆がなければ、まずはそれを手に入れるのだ。どこかに必ず転がっているに違いない、デジタル社会では全く無意味だと思われている鉛筆だが、それをまずはカッターで削ってみるのである。刃物を扱ったことのない人は、手や指をケガするだろう

          クリエイターの資質は鉛筆削りではっきり分かる、という厳しい現実を見ようとしない似非クリエイターどもに死を!