最近の雑記
花粉の猛威にしっかりと負けている最近。
仕事も、さまざまな期限がしっかりと迫ってきており、常に小さな不安感が同居している最近。
「今面白いと思って、好きなことをやれる会社なんでしょう、大変だとは思うけど絶対やめない方がいい」
会社の仕事が本当にしんどくてとりあえず辛く感じてしまう的な話を飲みの席でしていた時のことだった。
不思議なもので、さらっと言われたフレーズが、その時の自分にはかなりダイレクトに刺さった。かなりすんなり受け止められた。
多分、自分がこうやって言ってもらいたかったんだろうなと今は思う。
ここで面白いのは、この言葉は寄り添いの言葉にならないことがあるという点。ある人にとっては、さらに傷つける可能性も大いに孕んでいるわけで。
日本語が伝わることと
言葉を使ってコミュニケーションを取ろうとすること
同義なように見えて、全く違う次元の話だなと思う。
うるう年
閏年の時だけ開設するURLがあるらしい。
4年後の自分や、誰かに向けてメールを送るサービスとのこと。
面白そうなのでやってみることにした。
稽古が楽しくて仕方がない話
本当に今のままでいい?って思っている話
前日に岐阜タンメンに行ってアイスまで食べて楽しかったという話
まち会社は4年後もあるのか
など色々と書いてみた。
きっと4年も経てば忘れてしまうことも多そう。
今の自分がすごくときめいていることも、忘れていそうだけど、
できれば忘れたくないと思うことについて書くことにした。
本当に届くのかしら。
気にしいを極めている話
「気にしい」って、割と不便な性分だなと思う。
私の気にしいは、認知の歪みも少なからずあるので、
そこまでじゃない
ってことが結構ある。
最近の出来事でいえば、稽古が自分に関することで時間をかなり割いてしまっている時。こういう時には2人くらい自分がいて
・思ったようにできずどうしようとなっている自分
・自分のせいで稽古が進まず申し訳ない、周りは変に気を使ってないか、どう見られているかが気になる自分
いっときよりかは、認知が歪んでいる自覚はあるので
「案外そこまでは気づかれてないか」
「そこまでは意図されてないか」
と思うこともある。(この時はなぜか冷静)
人との話の中で、自分のズレを認識して調整する作業が多い気がする。
此処まで書いてやっぱり思うのは
結構不便な性分だということである。
強く優しい人でありたい話
仕事の打ち上げの飲みの席でのこと。
「梢ちゃんは、後輩ちゃんに対して優しいよね」
と言われた。意識していたことだから、まあ良いかという感覚ではあった。
「確かに、梢さん、すごく考えて言葉選んでくれているの感じる時あります」
と後輩に初めて教えてもらった。
あら、意外に伝わってしまうものだったのか。
という感覚。
自分が後輩である時、話しかけづらい状態の先輩に対して、何かを聞いたり相談したりができなくて戸惑うことがあるからというのもあった。
できるだけ、いつでも些細な相談ができるようにしていたい気持ちがある。
極論自分が受けたい対応をしたいし、されたくない対応はしてあげたくないみたいな話。
可能であればそういうのも気づかせたくない自分もいたけれど、そこまで私も器用ではなかったみたいだった。
大変さも、ピリついている感じも外には絶対伝わらないようにしたいし、そうしていたつもりだったけど、伝わってしまう時には伝わってしまっているようで。
自分の見え方と、人からの見え方には必ず距離があってギャップがある。
距離が多少あるくらいの方が案外よかったりもするのかも。
というやつ。(多分違うな)
徒然ならない状態で打ち込む中でまとめると、
考えても仕方のないことを、やはりどうしても考えてしまうみたいな、ね。
あと最近得た知見は、薬局でなんとかするより病院に行く方が安い。
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