【映画】「マルセル 靴をはいた小さな貝」感想・レビュー・解説

いやー、面白いじゃないか、マルセル。これは、メチャクチャ良い映画だった。正直、観ようかどうしようかって当落線上の映画だったんだけど、今日がファーストデイで良かった。違う日だったら、観るのを後回しにしていたかもしれない。

主人公はマルセル。彼は、どんな種類の生き物なのかよく分からないが、とにかく「靴を履いた、人間と同じ言葉を喋る、体調2.5センチの生き物」である。ある一軒家に、祖母のコニーと共に暮らしている。
かつてカップルが住んでいたその家は、その男女が突然いなくなってから空き家となり、今はAirbnbを通じて貸し出されている。そんな家にやってきたのが、映像作家のディーンである。
マルセルとコニーはそれまで、この家にやってくる人間たちから隠れて上手く共存していたのだが、ディーンとはどんなやり取りがあったのか(彼らの出会いの部分は特に描かれない)、マルセルはディーンが撮るドキュメンタリー映画の主人公になることに決めた。
実はマルセルとコニーは、以前はもっと多くの仲間と共に暮らしていた。しかし、両親を含む仲間たちが、カップルがいなくなった夜に、両親を含む仲間たちが忽然と姿を消してしまったのだ。彼らは毎週、「60ミニッツ」というテレビ番組を観ることに決めているのだが、何故かその日、テレビの前に集まったのがマルセルとコニーだけであり、それ以来、彼らはたった2人きりで過ごしている。
ディーンが撮影する映像は時々Youtubeにアップされるのだが、その内の一本がバズりにバズり、マルセルは一躍全米中の人気者になった。しかし……。

というような話です。

映画はフェイクドキュメンタリー(モキュメンタリー)のような体裁を取っている。つまり、「ディーンという登場人物が撮影したドキュメンタリー映画」という体裁で、マルセルとコニーの生活が切り取られていくというわけだ。そんなわけで、出会ったばかりの2人のやり取りも含めて非常に面白い。

体調2.5センチのマルセルは、ストップモーションで描かれている。CGを一切使っていないのかどうかは不明だが、観る限り、全部ストップモーションでやれそうな感じの映画な気はする。しかし、人間が普通に生きる世界でのストップモーションの撮影は、えげつなく大変だろうなぁ、と思う。公式HPを見ると、元々はYoutubeにアップされた短編作品だったようだが、劇場公開された映画は、制作になんと7年も掛かったそうだ。大変だわ、そりゃあ。

ストップモーションでコミカルに描かれていることもとても良かったのだけど、何よりもまずストーリーがメチャクチャ良かった。

マルセルとコニーは、ある時唐突に仲間を離れ離れになり、長い期間(人間のような感覚を保たないマルセルは把握出来ていなかったが、ディーンと出会った時点で2年ぐらい仲間と離れ離れになっていた)を2人で過ごしていた。もちろんそれは、「寂しさ」にもつながるのだが、それ以上に、実際的な生活の問題として直結する。

要するに、人手が足りないのだ。大人数いればなんとかできることも、2人ではなかなか厳しい。そこで彼らは、ありとあらゆる工夫をする。一番頭良いなと思ったのは、庭木に生っている果物を落とす方法だ。「どうやってロープを張ったんだ?」みたいな疑問はまあちょいちょいあるわけだけど、まあそれはともかく。

また、カップルが喧嘩して家を出ていってしまったことも大きな問題だ。食料が手に入らなくなったのだ。それまでは、カップルが食べていたものを上手いことくすねていたのだが、それが出来なくなった。そこで2人は、家にある本を読んだりしながら、独学で耕作を学び、食料を自分たちで作るのである。

ディーンがこの家にやってきた時点で、家の中は彼らの「工夫」で溢れていた。そんな彼らの日常生活を覗き見する感じが、まず楽しい。ディーンは基本的に、マルセルとコニーの生活に介入しないというスタンスを取っており、2人が普段どんな風に生活しているのかを映し出している、という設定になっている。

「なるほど、そんな風に生きてきたのか」という奮闘の記録が観れるというだけでも、十分に面白い。

さらに、あまり具体的には触れないが、ディーンとの会話の中に次第に「離れ離れになってしまった家族」のことは、「孤独の寂しさ」みたいな話が交じるようになってくる。特にマルセルは、普段気丈に振る舞っているのだけど、やはりどうにもならない寂しさを抱えているようだ。ディーンのYoutubeの映像のお陰で人気者になったことで、家族や仲間が見つかるかもしれないと期待を抱くこともあったが、そうあまくはない。

そういう状況の中で、寂しさを紛らわせる強がりを見せたり、何か可能性はないかと奮闘したりする姿も、とてもいい。

マルセルとコニーは、「60ミニッツ」を観ているからだろうか、人間世界のことに詳しい。どうやら、映画なんかも結構観ているようだ。だから、ディーンとの会話も、かなり知的でユーモラスなものになる。これも良い。マルセルとコニーは、新種の生物なのか、はたまた地球外生命体なのかみたいな、そういう「存在そのもの」に対する説明が一切ないのだけど、とにかく「人間世界のことにはかなり通じている」という設定を、(恐らく)「60ミニッツを観ている」という設定だけでシンプルに押し通すところも、面白いと思う。

この点に関連してもう少し。僕がこの映画で一番良かったと思うのが、「マルセル・コニーの存在そのものについて一切言及しない」という点だ。

例えばディーンであれば、普通は、「この生物は一体どこから来たんだ?」「なんで人間の言葉が話せるんだ?」「この家に来る前はどこで何をしていたのか?」など気になることは多々あるだろうし、現実にマルセルのような存在に出くわしたら、生物学者に見てもらうみたいな展開になったりもするだろう。しかしディーンはそういう行動を一切取らない。とにかく、「マルセルとかコニーのような存在がいる」ということを無批判に受け入れたことで、物語が進んでいく。

そしてこれは、世間も同じである。

マルセルの映像がネットにアップされると、すぐに人気者になるのだが、これもなかなか想像しにくい状況だ。普通なら、「ディーンが再生数を稼ぐために、マルセルなんていう生物が実在しているかのように見せかけている」みたいなことが疑われるはずだ。賛同するコメントも出てくるだろうが、間違いなく批判コメントが山のように押し寄せるはずである。

しかしこの映画では、そういう描写は一切描かれない。世間の反応について具体的に描かれる部分は少ないが、しかしそれでも、映画のラストのあの展開を含めて考えれば、「世間がマルセルの存在を疑いなくあっさり受け入れている」ということは事実だと考えるしかないと思う。

このように、ディーンも世間も、「マルセル・コニーの存在を無批判に受け入れている」という世界線で物語が展開されるわけで、そういう意味で言えば、この映画は「寓話」といえるだろう。「現実感が薄い」というわけだ。

しかし、にも拘わらず、映画を観ていて「現実感が薄い」という印象にならないのが不思議だ。

これは恐らく、1つには「モキュメンタリー」という手法を取ったことが大きいと思う。「現実を撮っている」というフェイクドキュメンタリーの手法を取ることで、映像のリアリティは格段に上がるし、それは「寓話」にしか思えないこの物語においても同じだと思う。そしてもう1つは、ラストの展開にあるだろう。これもまた、映画全体のリアリティを格段に高める要素として機能していると僕は感じた。

この「寓話にしか思えないのに、現実感がきちんとある」という描かれ方が、ファンタジーの嘘っぽさとか、現実の押し付け感みたいなものを絶妙に回避して、一個の物語としてスーッと観客の元に届くのだと思う。この「寓話にしか思えないのに、現実感がきちんとある」というのは、どことなく森見登美彦・伊坂幸太郎的という感じがあって、そういう作品が好きな人には結構合うんじゃないかなぁ、という気がした。

とにかく、メチャクチャ良い映画だった。実に良い。素晴らしい。「ストップモーションかぁ」みたいに思っている人は、ちょっと誤解があるかもしれない。ストップモーションアニメという感じではなく、ホントにリアリティのある存在としてマルセルとコニーが描き出されているのがいい。

観るかどうか迷っている人は、観た方がいいんじゃないかなと思います。

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