【映画】「私のはなし 部落のはなし」感想・レビュー・解説

面白かった。「面白い」という表現は不適切かもだけど、シンプルに面白い映画だった。205分という上映時間にはちょっと躊躇したけど、観て良かったと思う。

「部落差別」とか「被差別部落」という言葉をいつ知ったのか知らないけど、たぶん学校の授業だろう。で、その存在を知ってから、「被差別部落」というのは僕にとってずっと謎の存在だった。

もちろん、通り一遍の知識は知っている。江戸時代の穢多非人の身分がそのまま引き継がれている。全国各地に「部落」と呼ばれる地域があって、そこに住む人たちが差別を受けている。屠殺や皮革業など、一般的に「好まれない仕事」に従事していた人たちであること。こういうことは知識として知っていた。

ただ、「だからなんなんだ?」と思ってた。

穢多非人の身分が廃止されたのは1871年(明治4年)のことだそうだ。それから既に240年も経っている。もちろん、時間経過だけで解決できると思っているわけではないが、にしても、240年間も、僕からしたら「わけわからん」差別がずっと続いていることが驚きでしかないのだ。

そして、この映画を観てなんとなく僕なりに解釈はできたと思う。今まで上手く捉えきれていなかった部分がなんとなく整理された気がする。

というわけで、この記事では、『私のはなし 部落のはなし』という映画を観て僕が解釈したことを書く。あくまでも僕の解釈であり、この記事を読んで、「『私のはなし 部落のはなし』ではこんな風に描いているのか」みたいな判断をしないでほしい。あくまで、文責はすべて僕にある。

さて、僕は何か考える際に問題を整理するところから始めたいと思っている。「被差別部落」についてはまず、「差別する側」をまず分類したい。

ちなみに、早速脱線するが、僕のスタンスを書いておこう。僕は「部落出身」だという理由で差別的な意識を持つことはない、と思っている。正直、「部落出身だから差別される」ことの意味がさっぱり分からないのだ。ただし、同時に、僕は「私は部落出身です」と言う人に出会ったこともない。もしかしたら自分がこれまで関わってきた人の中に部落出身の人がいたかもしれないが、少なくとも正確な情報としてそれを認識したことはない。僕の生まれ育った場所も、その後住んだいくつかの地域でも、「あそこは部落だよ」みたいな話を聞いたことはなく、正直なところ「まったく馴染みのない事柄」である。だから、「私は部落出身です」という人に実際に会った時に、自分がどういう反応をするのか、正確には分からない。

また、僕は基本的に「全般的に差別意識を持っていない」と思っているが、しかし同時に、「『差別意識を持っていない』という認識の怖さ」も自覚しているつもりだ。「差別」というのは、「差別を受ける側」の意識の方が当然高く、「差別をする側」の意識は圧倒的に低い場合が多い。だから、「差別意識はない」と思っていても、僕の言動から誰かが「差別的な思想」を読み取る可能性はゼロではない、とは認識している。

映画の中で、兵庫県の食肉センター長みたいな人が、

【差別意識を持っているという自覚を持つことが大事なんや】

みたいなことを言っていたが、まさにその通りだと思う。だから僕は、「『全般的にあらゆることにフラットな、差別意識のない人間だ』という風に思いつつ、同時に『差別意識がゼロなんてことはない』とも考えている」と書いておこうと思う。

これが僕の基本となるスタンスだ。

それでは「差別をする側」の分類からしていこう。僕はざっくりと、

①部落に限らず差別意識を持っている人
②「血の繋がり」を重視する人
③その他

の3つに分けたいと思う。そして、①②についてはこの記事では無視する、という話をしばらく展開していくつもりだ。「差別を無くす」という意味では①~③のすべてに対処すべきだが、この記事では「部落差別ってそもそも何なん?」という理解のために書いていくつもりなので、その参考にならない①②は除外する、というわけだ。

①については、部落がどうのということと関係なく、「基本的に『誰かを貶めること』でしか自分を肯定できない」「『誰かを貶めること』で自身の全能感を実感したい」というような人だ。こういう人は、別に対象はなんでも良くて、とにかく「叩く要素がある存在なら何でも差別的になる」のだと思う。こういう人のことはあまり考えても仕方ないのでこの記事では考えることを除外する。

また②については、「共感はまったくできないが、理解はできる」という意味で除外したい。僕は、「血の繋がり」をそもそもまったく重視しない。「血の繋がった家族」より「話が通じる他人」の方が関係としては遥かに大事だと思っているほどだ。また、「血が汚れている」「血筋が悪い」みたいな表現も、正直何を言っているのか理解できない。もちろん、医学の進歩により「遺伝する病気」の存在は知られているし、(実際には「遺伝子」だが)それを「血の悪さ」と比喩的に捉える感覚は否定しない。しかし「部落差別」というのは、「人間性が『血』によって決まる」みたいな話だろうし、それは全然科学的じゃないから受け入れられない。

ただ、血筋や血統で物事を判断する思考に囚われている人がいるという事実は理解している。そして、そういう人たちの考えを変えるのは不可能だ。あくまでも僕の印象だが、「血がどうのこうの」と言う人は、年配の人がほとんどだろう。若い人の中にもそういう考えを持つ人は一定数いるだろうが、そんなにいるとは思えない。映画の中でも、部落出身の若者たちが「結婚差別」について語る場面が結構出てくるが、親に反対されることはあっても、付き合っている相手から拒絶されたという話をしている人はいなかった(50代の女性が、昔の話として、部落出身だと告げたら1人だけ、「じゃあ止めるわ」と言って恋愛を解消されたことがある、と言っていたぐらいだ)。

そう考えた時、この「血が云々」言っている差別は、時間と共に消えていくと思う。今、「血があーだこーだ」と言っている世代が退場すれば、たぶんそれで「血による差別」も消えるのではないかと僕は考えている。だからこれも無視していい。

さて、僕が「部落差別」で理解できなかったのは、③のその他の人たちだ。元々差別意識が強いわけでもなく、血による差別をしているわけではない人たちが、一体「部落出身」の人たちの何を忌避しているのかが、僕には全然理解できなかったのだ。

この理解できなさを、もう少しきちんと説明しておこう。それは、「結局『部落出身』って何なん?」という疑問に集約される。映画に登場する80代ぐらいの男性が、かつて誰かにこんなことを言ったという話をしていた。

【俺の背中に「部落出身」って書いてあるか?ないじゃろ。だったらわからんじゃろ】

確かにその通りだ。

僕はこの映画を観るまで、「『部落差別』は、両親が部落出身かどうかで判断される」のだと思っていた。要するに、「血の繋がり」で規定されるのだとなんとなく考えていたのだ。

しかし、大阪府箕面市の北芝出身の若者3人が話している場面があり、その内の1人が、「生まれたのは箕面市だけど、その後北芝に引っ越してきた。北芝に住んでいたことがあるから、自分も差別されるのかな、と」みたいな言い方をしていたのだ。

彼は母親に、「どうして北芝に引っ越すことにしたん?」と聞いたそうだが、母親は「なんか便利だから」ぐらいの理由だったそうだ。それ以上詳しい話はされなかったが、この話から判断すると、この少年の一家は、元々北芝とは関係ないが、後から北芝に移り住んだ、ということになるだろう。

こうなると「血の繋がり」の問題ではなくなってくる。そして、よくよく考えてみればそうだよな、とも思った。「血の繋がり」は、外から見たって分からないのだから、何か外から分かるもので判断しなければならない。そうなると、「部落に住んでいるかどうか」が基準になるというわけだ。

このことは、映画に登場した京都市の元職員の発言からも理解できる。

後で詳しく触れるが、1969年に同和対策事業特別措置法が制定され、33年間で16兆円の公金が使われた。行政は、「部落」を「同和地区」と言い換えたのだが、要するにこの法律は、「部落出身の人たちの生活改善の手助けをしましょう」という政策である。

ただここで問題となるのが、「この法律が適用される『部落出身』の人は一体誰なのか?」である。京都市ではいわゆる「属地属人」を基本方針としていたという。これは要するに、「今同和地区に住んでいる人」と「かつて同和地区に住んでいた人」を「部落出身」と定めるということだ。具体的には、

◯世帯主の本籍が同和地区にある
◯親戚の本籍が同和地区にある
◯戦争以前から同和地区に住んでいる

みたいな条件だったそうだ。

「属地属人」というスタンスは京都市のものであり、全国で同じスタンスだったかは分からないが、ネットで「属地属人」を調べると、「部落解放同盟が、この『属地属人』主義に反対していた」みたいな記述が出てくるので、京都市に限らず広く採用された考え方なのだと思う。そして結局のところ、そういうやり方でしか「部落出身」を判定できなかったというわけだ。

その元職員は、

【どこまでいったら部落民なのか分からない。だから逆に言ったら、差別される印も根拠も何も無いんですよね】

という言い方をしていた。

そう、僕にはこの辺りのことがずっと理解できないでいた。外見から「部落出身」であると分かるようなサインはない。「誰が部落民か見た目では分からないから、部落に住んでいる人は部落民である可能性が高いから遠ざけておこう」という判断だったのかもしれないが、そんな考えだけで240年間もわけのわからん差別が続くものだろうか。この辺りが、「部落差別」に対する僕の理解できなさのポイントだった。

映画を観て、僕なりに理解したことが、「部落差別」は2段階に分かれているということだ。

1871年に穢多非人の制度が廃止されてからしばらくの間は、「血の繋がり」を忌避していたのだと思う。もちろん今もそういう感覚を抱いている人はいるだろうが、この記事ではその話は触れないことにしたので置いておこう。

映画に出てくる京都出身の郷土史家が、六条河原はかつて処刑場であり、穢多非人の身分の者が処刑を担当させられていた、と語っていた流れで、しかし彼らはきちんと社会参加をして発言権もあった、という発言をしていた。ずっと排除されていたわけではない、というのだ。同じく京都の崇仁という被差別部落は、戦後、厳しい生活環境ではあったけど、商売をやっているところがたくさんあって、経済活動には関わっていた、みたいなことも語られていた。もちろん昔から結婚差別などあったと思うし、村八分のような厳しい差別が行われていた部落もあったと思うが、「部落民だから排除」という雰囲気では必ずしもなかったのではないか、という印象を持った。

しかし、1922年に水平社宣言が出され、「部落解放運動」が始まったことで、「部落差別」に新たな要素が加わったのではないか、と思う。それが第2段階目というわけだ。

これについて明確に語っていたのが、示現舎という出版社の代表である宮部龍彦だ。

さて、話の流れから少し脱線するが、映画の中で宮部龍彦の名前が最初に出てくる場面について触れよう。それが「『全国部落地名総鑑』復刻版出版事件」である。

示現舎は、1936年に発行された「全国部落地名総鑑」の復刻版を出版した。これは、全国36都道府県の5367箇所に及ぶ部落について、住所・地名・人口・職業などを網羅した本だ。このような「全国部落地名総鑑」の出版はこれまでにも度々問題となっている。かつては、一流企業がその本を購入し、就職面接などでの採用に活用していたとして問題視されたこともある。

示現舎の宮部龍彦は、部落解放同盟と原告245名から訴えを起こされ、「出版の停止」「ウェブサイトの削除」「1人100万円の賠償金」を求められた。

このような形で、映画の中で始めて宮部龍彦の名前が出てくる。しかし、この裁判の話の場面では、本人は出て来ない。裁判に関わる人間が、宮部龍彦とその行為について語るというわけだ。

ある人物は、「この名簿で結婚が破談になる人物が出たら、あなたその責任が取れるんですか?」と宮部龍彦に問いかけたそうだが、宮部龍彦は、

【それは、差別した本人が悪いのであって、情報を載せた私が悪いわけではない】

と開き直りやがったんだ、みたいに憤慨していた。この辺りの場面では、基本的に宮部龍彦という人物には悪い印象を抱いていた。

さて、この裁判はどうなったのか。現在も上告中のようだが、とりあえず一審(だと思う)の判決は、原告側の勝訴となった。

しかし、僕はこの裁判の判決にちょっと驚かされた。映画の中ではさらっと通り過ぎてしまったが、「えっ!?」と思うような内容だったのだ。

そもそもだが、この裁判の原告になるのにはハードルがある。原告になるということは、「自身が『部落出身』であることを公にする」ことでもあるからだ。弁護士は、「原告として訴えを起こしたかったが、子どものことを考えて泣く泣く諦めた人もいる」みたいに語っていた。まあそうだろう。だから、原告になった245名は、大いなる勇気を持って提訴に踏み切ったというわけだ。

さてその結果、勝訴という判決になったわけだが、「地名が公表されている36都道府県すべての差し止め」とはならなかった。なんと、原告となった者が属する6県については差し止めの判断が下らなかったのだ。

詳しく説明されなかったが、理屈はこうだろう。その6県については、原告が名乗りを上げたことで、「そこが部落であることが公の事実になった」と判断されたはずだ。だから、示現舎が復刻版を公開しても問題はない。しかし、原告が存在しない他の都道府県については、差し止めをすることの意味があるので、その主張を認める、というわけだ。

なんじゃそら、と感じた。確かに理屈としてはそうなのかもしれないが、それじゃあ、勇気を出して原告となった者がただ損しただけ、みたいになる。そのような判決は、「訴えを起こす気力を無くさせる」という方向に誘導するものに思えてしまうし、非常に残念な決定だと感じた。

さて、裁判の話はこれで終了だ。宮部龍彦の話をしていこう。

映画の後半、宮部龍彦本人が登場する。そして、実際に彼が喋っている話を聞くと、「決して賛同はできないが、話が通じない人間ではない」と感じた。監督(なのかな?)が「もし娘が、結婚相手として部落出身の人を連れてきたらどうしますか?」と聞かれた際、

【どうもしませんよ。反対も賛成もしないと思います】

みたいなことを言うし、倫理的にグレーなゾーンに足を踏み入れている人ではあるが、そういうレベルの人は世の中にたくさんいる。復刻版の出版には賛同できないが、宮部龍彦という人間はそこまで常軌を逸しているとは感じなかった。

彼は、「部落差別って結局、貧困問題だと思うんです」と言った後で、さらに、

【差別が無くなったって貧乏な人は貧乏だと思いますよ。貧困の原因は階層化だから、差別が無くなっても、貧困は無くならない】

みたいなことを言っていて、確かにそれもその通りだろうな、と感じた。

そしてその彼が、「部落差別の問題は、昭和に行政が作ったんだ」みたいなことを言うのだ。要するにこれは、「1969年の同和対策事業特別措置法に問題がある」という主張である。また彼は、「つまり、部落解放運動に対する忌避感ですか?」と監督から聞かれて、「そうだ」というような返答をしている。

そして、映画を観て、僕もその辺りのことが「部落差別」の根本の問題として存在するのだろうと感じたのだ。

先述した通り、1922年に水平社宣言が出され、「全国の部落出身の者に対して共闘を呼びかける」ことになる。それによって「部落解放運動」が始まっていくわけだ。

そして、「部落解放運動」の従事する者の一部が、かなり過激なことをやっていたようなのだ。少しでも部落差別に繋がるようなことを口にすると、「徒党を組んで押しかけてくる」「大勢に吊るし上げられる」みたいなことが実際にあったらしい。

そして、そのような事実を元に、「被差別部落の人は怖い」という感覚が生まれ、親が子どもたちに、「部落の近くを通る時は気をつけなさい」みたいなことを言うようになったそうだ。そしてそのような「威圧的で暴力的な振る舞いをする部落民は怖い」という印象が、「部落差別」に繋がっているのではないか、というわけだ。

映画には、過去に出版された様々な書籍が朗読される場面も多々あるのだが、部落解放運動について書かれた本にこんな記述があった。

【部落解放同盟が語る要求は、誰も否定できない命題として機能する。それはトランプのジョーカーのようなもので、要求を受け入れざるを得ないのだ】

なるほど、この感覚も分からないではない。部落出身の人たちからすれば、「今まで自分たちはメチャクチャ苦労してきたんだ」という想いがあって、それが部落解放運動への熱量に転化される。しかし一方で、その熱量を受け取る側は、「『差別を無くすべきだ』という部落解放同盟の主張は当然のものだ。反論はできない。それに、部落解放同盟の人たちに反論するとメチャクチャに反論される。だから、もはや何を言われても受け入れざるを得ない」という感覚になってしまう。決してどちらが悪いというわけではないのかもしれないが(とはいえ、明らかに行き過ぎた行為をしていただろう部落解放同盟のメンバーは悪いと思うが)、「部落解放運動」によって、一般の人たちが「部落の人たちと関わりたくない」という感覚になってしまったことは、不幸な流れだったのだと思う。

そしてそういう流れの中で、1969年の同和対策事業特別措置法がある。この法律についてある人物が、

【世界に冠たる福祉事業で、恩恵を受けた人はたくさんいる。】

と評価していた(ただ、具体的には覚えていないが、そう口にした人物も、「恩恵を受けた人はたくさんいるんだけどね」と、濁すような言い方だった記憶がある)。

しかし宮部龍彦はこの同和事業について、「公金をかすめ取る」みたいな表現をしていたのだ。

確かに、そう受け取られても仕方ない事件があった。部落解放同盟が、同和事業を悪用して大金をせしめていた、というような新聞記事が映し出される場面があるのだ。

またこの同和事業に対しては、部落出身の人にとっても難しい問題を引き起こしたそうだ。

【部落の人はいいね。土地をもろて、家も建ててもろて】

こんな風に言われたことがある、と語っていた人物がいた。これは要するに、「同和事業のお陰で、土地も家もタダでもらえたんでしょう?」という理解なのだ。しかしそれは間違った認識だと言っていた。二重にも三重にも抵当を入れて、自分のお金で土地も家も手に入れたのだ、と。しかし同和事業に公金が流れたことで「部落だけが良くなっている」という「妬み」が生まれたのだそうだ。

宮部龍彦は、

【同和事業では住宅改善が多く行われたが、住宅については同和事業でやらなくてもなんとかなったはず】

という風に言っていた。というかむしろ、同和事業で住宅改善を行ったことが逆に問題を引き起こしてもいる、と言うのだ。

彼は示現舎のHP上で「部落探訪」というコーナーをやっており、様々な部落を巡っては写真を撮ったりしている。その際、彼が部落に建つ建物を「ニコイチ」と呼んでいた。たぶん、「1軒の家を2つに分けている」みたいな意味なのだと思う。実際に、そういう風に見える均一の住宅が並ぶ光景が映っていた。

どうして同和事業の住宅改善で「ニコイチ」の建物が建てられたのか分からないが(狭い地域にたくさんの戸数を確保するため、とかだろうけど)、逆に、「ニコイチの建物がある場所は部落」だということが分かりやすくもなってしまう。宮部龍彦は、「部落探訪」によって部落を晒し者にしたいわけではなく、そういう「ニコイチ」のような”カッコいい”風景に興味があるということのようだ。ともかく、彼が言う「ニコイチの住宅があるから部落だと分かってしまう」という点は問題だなと思う。

また、別の人物がこんなことも言っていた。

【この地域の市営住宅は、部落にルーツがある人の入居に限っている】

同和事業で行われているのだから、「部落出身の人に限る」という制約は仕方ない気もするが、しかしその人物は、その制約があるせいで外から人が入ってきにくくなっている、とも言っていた。確かにそれもその通りだ。空いているなら、部落出身じゃない人にでも貸せばいい、そうやって外から人が入ってくれば部落の問題も薄れていくだろうが、「部落出身の人に限る」という制約があるせいでそこに制限が掛かってしまっているというわけだ。確かにそれも問題である。

この人物はそもそも、「同和」という名前が悪いと口にしていた。「同和」というのは、結局のところ「部落」を言い換えただけに過ぎないが、世間の風潮として、

【「『同和地区』という言い方をすれば差別にならない」っていうことになっている】

と指摘していた。確かにそうだろう。「部落」という言い方はどことなく差別的な響きがあって抵抗がある。それは「部落差別」や「被差別部落」と言った言葉が存在するからだと思う。しかし「同和」と言えば、なんとなく差別的ではない感じもする。同じことを言い換えているだけなのに、「同和」と言えば許されるという感覚を生み出してしまっていることが、一番のガンだ、という風に言っていた。

また、これは水平社宣言が出された頃の話だが、部落差別の研究者が、「国は危機を乗り越えるために部落差別を利用する」と言っていた。

1918年に富山で米騒動が起こる。1917年にロシア革命が起こったこともあり、日本政府はロシアの二の舞いを恐れていた。だから、大衆運動を抑えなければならなかったのだ。しかし米騒動は、自然発生的に生まれたもので、沈静化は難しい。そこで国は、「米騒動に参加しているのは部落出身の野蛮な連中なのだから、部落外の人は関わってはいけない」みたいなことを公の場で口にしたという。また、部落の人も部落外の人も同じように共闘していたにも拘わらず、部落の人だけが断罪され、部落外の人はお咎めなしみたいなやり方もした。部落の人がいかに暴力的であるのかを喧伝することで、危機を乗り越えようとしたのだそうだ。「部落の人は怖い」という印象は、そもそも国が作り出したものでもあるのだ。

さて、ここまで書いてきた様々な事情から、「部落差別」は水平社宣言辺りからフェーズが変わったのだ、と僕は理解した。それまでは「血の繋がりが忌避されていた」ものが、「部落の人は怖い人たちだ」という印象が様々な理由から形成されるようになり、それによって、「血の繋がり云々とは関係ない形で、部落出身の人が忌避されるようになっていった」ということなのだろう。部落解放運動は、部落の人たちがまとまって行動するのだし、新聞等のメディアで「部落解放運動の人たちは怖い」という印象を持った人たちが、子どもに「近づくな」と注意するのも分からなくはないし、そういう印象があったからこそ、同和事業に対して「公金を掠め取っている」みたいな悪印象を持つようにもなったのだと思う。そしてそのまま現在に至っている、というわけだ。

このような理解が正しいかどうか分からないが、僕はこれでなんとなく納得感が生まれた。もちろん、部落ごとに事情は違うはずだし、宮部龍彦も言っていたが「一般論としては語れない」わけだが、それまでの「部落差別なんてものがどうして存在するのかまったく意味不明」という状態は抜け出せた気がする。

さてではここからは、映画で描かれる、もっと個人的な話に触れていこう。

映画には、若者たちが「部落出身」であることを語る場面、京都の被差別部落に住むお婆さんの話、被差別部落に住む部落出身というわけではない主婦たちなど、様々な人が映し出され、自身の経験を語っていく。

その中でもやはり、若者たちの話が興味深かった。というのは、「20代30代の人たちも、『部落差別』という問題に直面しているのだ」ということが改めて理解できたからだ。

元々、部落出身だと「結婚差別」が生まれてしまうということは理解していたし、映画の中ではその「結婚差別」も大きな話題の1つとして会話に出てくる。しかしそういうことではなく、「自分が『部落』と呼ばれる地域に生を受けたこと」について、やはり考えを向けざるを得ないのだなぁ、と理解できたことが発見だった。

北芝の若者3人の会話で印象的だったのは、「差別的な言動に直面したらどうすべきか」についての議論だった。

彼らは一様に、「日常生活の中で、部落であることで差別的な扱いを受けることはない」みたいなことを言っていたと思う。しかしその一方で、「そういう可能性は常にあるのだから、そうなった場合にどうすべきかは考えておかなければならない」とも考えている。もちろんこれは部落差別に限らずあらゆる差別に対して当事者はそのような心構えを持っているのだろうが、「見た目では分からず、住んでいる場所でしか判断しようがない部落差別」について、20代の若者が、その心構えを有しなければならないという現実が、やはり根深い問題なのだと感じさせられた。

彼らは「ドキュメンタリー映画に出演する」という決意をした人たちであり、もちろんそれは本人の勇敢さもあると思うが、その地域における差別意識が決して高くはないからとも考えられるだろう。実際に箕面市北芝は、同和事業に依存しないまちづくりを90年代から始め、「開かれた部落」とも呼ばれている土地なのだそうだ。若者が自分たちで考えて様々な施策を行い、今では地区外からの移住者の方が多い、と言っていた。この記事で部落の地名として「北芝」だけ名前を出しているのも、そのような土地であれば問題ないだろうという判断からである(映画では、他にも様々な部落の地名が出てくるが、僕の勝手な判断でこの記事ではその地名に触れていない)。

さて、そんな北芝の若者の1人は、

【相手を変えることは大事だけど、それよりも自分が変わった方が楽】
【何か言われてもスルーできるような体力をつけておくことは大事】

みたいに言っていた。しかし別の1人は、

【流すんじゃなくて、相手に理解してほしいし、そのために闘いたい】

みたいなことを言っていた。この人物は、同窓会を開こうという動きの中で、思いがけず「部落に対する差別意識を持っているのかもしれない同級生」の存在を認識してしまい、その時に「理解してもらう」という行動が取れなかったことを悔しがっていた。

被差別部落に住んでいる主婦の1人は、思いがけず「大親友が部落出身だったことを知る」という経験をした。まったく悪気のない言葉で相手を傷つけてしまったかもしれない、と口にしており、部落出身の人でなくても部落の問題は大きく関わってくるのだなと感じさせられた。

京都に住むお婆さんは、被差別部落に住んでいたが、長いこと自分がそういう地域に住んでいることに気づかなかったそうだ。確かに、道を挟んで反対側の住民との交流はまったくなかった。「交流したいと思わなかったんですか?」と監督から聞かれて、「どうしたらいいか分からん」と答えていた。外からの人が入ってこなかったから、その地域の住民はみなパンツ一丁の裸で外を歩いていたそうだ。当時住んでいた家には水道さえ引かれておらず、生活はかなり大変だったそうだが、でも「楽しかったよ」と言っていた。市営住宅に住む今も、「長屋時代の方が大変だったけど楽しかった」みたいに言うのだ。

そんな彼女が、自分が被差別部落に住んでいることを理解したきっかけが興味深い。それが、1951年の「オールロマンス事件」だ。オールロマンスという雑誌に、暴露小説として「特殊部落」という小説が掲載された。それが、彼女の住む地区が舞台だったのだ。この小説がきっかけで、彼女は男性に混じって部落解放運動に従事するようになったという。旦那から苦言を呈されても止めず、市役所に乗り込んだりしながら生活環境の改善を訴え、少しずつ色んなことを理解しながら権利を勝ち取っていったそうだ。

映画の中には、かつて撮影された白黒のフィルムの映像も流れる。京都のある地区を撮影した映画で、劣化したフィルムを専門の業者に復元を依頼して上映できる状態にしてもらっていた。その地区には、ゴミの回収車もトイレの汲み取りも来ず、不法に(だと思う)バラックを建てて多くの人が住んでいたのだが、その生活の様子がかなり鮮明に映し出されていた。貴重な記録だと思う。

映画の冒頭では、現在でも総人口の1.5%程度がいわゆる「部落民」と呼ばれる人たちだそうだ。150万人ぐらいいる、ということだろう。部落問題には「寝た子を起こすな」という言葉がある。それは、「問題として取り上げるよりも、注目を集めずに風化するのを待つほうが、結果として問題解決の近道なのではないか」という考え方だ。部落解放運動が積極的に問題解決のためにアクションを起こすとすれば、その対極の考え方だと言える。部落出身の人の中でも、このように考え方に違いがあるわけで、やはり一筋縄ではいかないだろう。

非常に残念ながら、状況がどう変化しようが「①部落に限らず差別意識を持っている人」の人はいなくならないし、こういう人たちがいる限り部落出身の人たちが苦労せざるを得ない現実は恐らく変わらないだろうと思う。ただ一方で、部落差別の問題が正しく理解されるようになれば、「①部落に限らず差別意識を持っている人」の方が卑劣であるという認識が世間のマジョリティとして立ち上がってくる気がするし、そうなれば状況が改善される可能性も出てくると思う。

「関西在住60代女性」として紹介された、顔を出さずにインタビューを受けた人は、

【日本人がいる限り(部落差別が無くなることを期待するのは)難しいと思う】

という風に口にしていた。この女性は、「普段は差別的な振る舞いはしてないんですよ」とも言っていたが、先の発言は、「部落民は日本人ではない」とも解釈できるわけで、正直、なかなかの差別意識の持ち主だなと僕は感じた。

非常に難しい問題だが、僕自身は、まったく理解できていなかったところから、この映画によって、非常に広範な知識・理解を得られた気になったので、観て良かったと感じた。

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