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【本】國分功一郎「哲学の先生と人生の話をしよう」感想・レビュー・解説

本書には34の相談が載っている。すべての質問、すべての回答が面白かったわけではないけど、全体的には非常に面白い、よく出来た相談集だと思う。一般の方から質問を募集して、これだけ面白くまとまるというのは、やはり著者の力量だろう。

とりあえずまず、「一番面白かった質問・回答」と「一番感心させられた質問・回答」を紹介しよう。

「一番面白かった質問・回答」はダントツだ。まず質問から。

【マスターベーションばかりしてしまうのですが、どうすれば良いですか?<相談者 希志あいのは天使さん(東京都・21歳・男性)>

暇な大学生(男)なのですが、マスターベーションばかりしてしまいます。どうすれば良いですか?暇で退屈なので性欲を消費(浪費?)しています。彼女はいるのですが社会人で忙しいし、それにそういうことばかり求めるのもなんだか申し訳ない気がします。浮気やナンパにも手を出してみたのですが長続きしません。本当はもっと映画を観たり英語の勉強をしたりして自分に投資したいのですが…性欲が強い私のような人が、時間をもっと有意義に使うにはどうしたらよいと思いますか?】

質問を読んで爆笑した(笑)。ド直球の質問で、隠すところもんばくあけっぴろげ。それでいて、どことなく知性を感じさせる文章で、そのミスマッチ感も面白い。質問単体でも、本作中ダントツだ。

しかし本書では、回答もまた見事だ。普通こんな質問になかなか真面目に答えられないだろうが、著者はメチャクチャちゃんと答える。なんと、ディオゲネスという古代ギリシャの哲学者の話を延々と始めるのだ。なぜか。それは、このディオゲネスがオナニーが大好きだった、という逸話があるからだ。

【彼は、人が観ていようと、ところ構わず、どこでもオナニーをはじめたらしいのです。ある時、彼は広場でオナニーしながら、「ああ、お腹もこんなぐあいに、こすりさえすれば、ひもじくなくなるというのならいいのになぁ」と言っていたそうです】

これは爆笑するしかない(笑)。凄い人がいたもんだ。そして著者は、「オナニーばっかりしてても立派なことをした人もいるから恥じることなんてない!」と言って回答を締めくくります。凄い。

しかもこのやり取り、相談者のペンネームが「希志あいのは天使さん(希志あいのはAV女優)」だから、さらにカオスになる。本文中に、こんな一文がある。

【では、なぜ希志あいのは天使さんにディオゲネスを紹介するのかというと、このディオゲネスという人はオナニーが大好きだったからなのです】

なんというカオスな文章!(笑) まさか希志あいのも、古代ギリシャの哲学者と同じ文章に名前が出てくるとは思わなかったことでしょう。

とにかく、質問から回答から何から何まで面白い、見事なやり取りでした。

さてでは、「一番感心させられた質問・回答」に移ろう。このやり取りは、あとがきや解説で著者らが触れている「相談文に書かれていないことに注目する」という、本書の特徴をまさに体現するものだ。

かなり長いが、全文を引用することに意味があると思うので、相談文をすべて書き出す。

【義両親の態度が「ゴネ得」に感じられてしまいます<相談者 アキラさん(大阪府・35歳・男性)>

私には結婚して丸三年の妻がいます。妻の両親との付き合いで大きな悩みを抱えていてご相談です。価値観が合わず、お互いに歩み寄れないのです。
結婚したのならば「マイカー、マイホームを購入し、子どもを作るべきだ!」という考え方にどうしても同意できません。私は車が好きな人は車を、家がほしい人は家を買えばいいと思っています。が、それが絶対的な義務(正義)だと主張されるとどうしても反発する気持ちが生まれて来てしまいます。
「高度成長信仰」とも言うべき、別の価値観を想像しない固い信念が受け入れられないのです。車や家や子どもがイヤなのではなく「価値観の押しつけ」がイヤだという事を伝えたいのですがどうしても伝わらず悩んでいます。
また妻の両親は「親の老後は子どもたちが面倒を見るべきだ」という考え方を強く持っています。「自分たちも親の面倒を見て来たのだし、大変でもそれが当たり前だ」とよく言われます。主張は強烈です。
私の親は「子ども夫婦にこうして欲しい」という主張は基本的にはありません。「二人で決めればいい」というスタンス。つまり「注文の多い親」と「注文をつけない親」が私たち夫婦にはいて、そうなってくると多少お互いに妥協をするとしても「注文の多い親」のほうが結果として得をする状況が生まれてしまっています。
私にはこれが「ゴネ得」に感じられてしまい、どうしても妻の両親が好きになれず悩んでいます。
愚痴っぽい相談でスミマセン。どうぞよろしくお願いします。
※ちなみに妻は私の主張に半分は同意してくれるのですが、実家に遊びに行く度にリセットされて帰ってくる感じです】

さて、ここで少し考えてみてほしいのだけど、誰かからこのような相談を受けたら、あなたはどういうことを言うだろうか?アキラさんが抱えている問題に、どういう回答をするだろうか?


僕だったらたぶん、ありきたりな感じのことしか言えないだろうなぁ、と思う。「アキラさんの感覚の方が正しいのだから、義両親とは距離を置くしかない」という結論しかないから、その結論に説得力をもたせるためにどういう理屈をつけようか、という発想になるだろうな、と。

しかし、著者はまったく違った。著者はこの相談の冒頭で、

【今回のご相談内容の最も重要な部分は、アキラさんが最後に※印を付して、「ちなみに」という但し書き付きで書いてくださった部分です】

と書く。そしてここから相談への回答を始めるのだ。これはなかなかアクロバティックだなぁ、と感じた。著者は、アキラさんではなく、アキラさんの奥さんを心配するのだ。相談内容自体への回答は、僕とあまり変わらない。最終的には距離を置くしかないだろう、と著者も言います。しかしその過程で、まず「奥さんと両親の関係」をどうにかしなくちゃいけない。もしかしたら奥さんが大変な状況にいるかもしれないよ、と諭すのです。

相談文には、奥さんに関する記述はほとんどありません。しかし著者は、アキラさんの文章の端々や、本来であれば書くべきであるかもしれないが書かれていないことなどに着目し、もしかしたら奥さんが置かれているかもしれない辛い状況を想像する。そして、「アキラさんと義両親の関係」ではなく、まずは「奥さんと両親の関係」こそなんとかしなければならない、と回答するのです。

著者はあとがきでこんな風に書いている。

【相談への返信にあたっては特に方針を決めていたわけではなかったが、ある程度進めた段階で、自分が相談相手の文面を、まるで哲学者が書き残した文章のように一つのテクストとして読解していたことに気がついた。哲学者の文章を読む時には、哲学者が言ったことだけを読んでいるのではダメである。文章の全体を一つのまとまりとして眺め、そこを貫く法則をカンパし、哲学者が考えてはいたが書いていないことにまで到達しなければならない】

【途中で気がついたのだが、人生相談においてはとりわけ、言われていないことこそが重要である。人は本当に大切なことを言わないのであり、それを探り当てなければならない】

まさにその通りである。誰かに相談する際、文章の細部まで気を使うことはないだろう。しかしだからこそ、そこに相談者の細部が滲み出る。だから著者は、「ドラッグ」という単語に自己顕示欲を見、「クソゲー」という単語からロマンティシズムを感じ取り、「自分に嘘をつくとはどういうことか?」という相談内容の文章中に「自分に嘘をつく」事例を見出す。

また、一見恋愛相談っぽい相談に対して、著者はなかなか苛烈なことを言う。相談内容は書かずに、著者の回答の一部だけ抜き出してみよう。

【「プライドが高い」人で一番ブザマなのは、時たま、他人を見下す自分の気持ちに対して罪悪感を抱くことなんです。自信の欠如ゆえに他人を見下し、それによって自分のプライドを維持しているというこの構造そのものが問題なのに、そこには思い至らない(というか、思い至りたくない。思い至ったら自信のなさに直面することになるから)。だけど、やっぱりずっと他人を見下し続けるという状態に精神は耐えられないから、その代償として罪悪感を得る。
ところが、そういう人間はこの罪悪感がどうして発生したのかを考えることができない。つまり先の構造に思い至らない。それどころか、ちょびっとだけ現れた反省的意識によって自らの罪悪感を察知できたことに、なんだか知らないけど満足感を得たりするんです。要するに「そんな風に罪悪感を感じることのできる自分は繊細だ」と勘違いするわけです】

この文章は徹頭徹尾相談者に向けられたもので、すげぇこと言うな、と思った。他にもこんな風に、相談内容如何によっては、相談者その人をこき下ろすようなことをバサッと言ったりする。

【でも違うんですよ。<できるやつ>と<できないやつ>がいるんじゃないんです。<やりたいやつ>と<やりたくないやつ>がいるんです】

【したがって次のような結論が導かれます。プラス志向の人は、そもそもたくさんの事柄を考えないで済ましており、また、たくさんの事柄を考えないで済ますために多大なエネルギーを必要としているから、考えられる事柄が限定されている。ということは、プラス志向の人はあまりものを考えていないということになります】

相談した人がキレるんじゃないかって思っちゃうくらいズバズバ言うから、読んでいるこっちがソワソワする。解説の千葉雅也は、手厳しくなるのは【誰かを利用しようとする者】に対してだ、と指摘している(ただ、そもそも千葉雅也は、この「利用する/利用される」という言葉そのものへの馴染めなさを表明しているが)。

質問は、恋愛・家族・仕事に関することが多く、またそれらはほとんど人間関係についてのものだと言えるが、異質で興味深い質問もあった。質問の表題だけ書くが、

【相談というのは、どうやってすれば良いのでしょうか?】

という質問があった。これも最終的には人間関係に帰着する相談ではあるのだけど、「相談についての相談」というのは面白いと感じた。また著者も、自分も他人に相談するのが苦手だったと共感し、この問いに自分なりの回答を与えている。ちなみにその回答の中に、【誰かに話しを聞いてもらうと気持ちが楽になるのはなぜなのか、哲学的には全く未解明】と書かれていて、なるほどそうなのか、と思った。

さて、この「相談についての相談」と絡めて最後に一つ。解説で千葉雅也が、

【だから本書は、「本当の相談」を開始させるための、相談の前の相談なのである】

と書いていて、これも納得感が強かった。不正確になってしまうかもしれないが短く説明すると、「不適切な依存(利用される、など)は問題の解決を遠ざける。だから著者は、相談者の悩みを一旦受け入れることで、不適切な依存がそこにあるのだと指摘する。その上で、周りいる大事な人に改めて相談し直しなさい」というメッセージを、著者は相談者に伝えている、ということだ。相談者の中には、「今のままでは誰に相談しても問題は解決しない」と感じさせる文章の人がいる。そういう人を、「きちんと他人に相談できる個人」に仕立て上げるのが著者である、ということだ。確かに、言われてみれば納得という感じである。

本書は、メルマガで連載していた人生相談であり、相談者の悩みに答えると同時に、メルマガの読者にも何か伝わるように配慮した、とあとがきで著者は書いている。読者は、相談者と著者のやり取りの完全に外側にいるが、しかし、相談内容や著者による回答が、読者をどんどん引きずりこんでいく。本書の目次に掲載されている相談内容だけを見て、本書を買うかどうかを決めるのは止めよう。著者の回答は、相談内容そのものとは大きくかけ離れた飛躍をすることがあり、それもまた本書の魅力だからだ。


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