【映画】「夜明けのすべて」感想・レビュー・解説

たまにだが、女友達と生理の話になったりする。

みたいなことから話を始めてもいいのだが、止めておこう。本作では確かに、PMS(月経前症候群)とパニック障害が扱われるのだが、そのような「病気」は決して、作品の本質ではないからだ。

作中では他にも、「親しい人を自死で喪った者たちの集まり」や、「身体の機能に一部障害を負ってしまった母親」なども扱われる。そしてそれらに共通するのは、「自分のものなのに、心や身体が思い通りにならない」という感覚である。

そして、「そのような状態でも生きていかなければならない」という感覚と「日常」とが絶妙に織り交ぜられた作品だと思う。

作中では、登場人物たちの内面が分かりやすい描かれる場面はほとんどない。だから、先程僕が書いた「生きていかなければならない」というマイナスな捉え方は、あくまでも僕の解釈に過ぎない。PMSだろうがパニック障害だろうがなんだろうが前向きな人は前向きだし、そういう「厄介事」を一切抱えていなくたって前向きになれない人だっている。

ただ作中に、「パニック障害を患っている人の日記」の文章が表示される場面がある。主人公の1人が、電車の中でそのブログをスマホで読んでいる、という設定だ。そしてそこに、

【やりたいこともやるべきこともない。
生きていたくはないが、でも死にたくもない。】

みたいな感じの文章があった。

PMSに詳しいというわけでもないが、パニック障害についてもあまり基本的な知識がなく、本作中に説明された程度のことしか分からない。ただ、クリニックについてきた恋人(だと思う)が先生に、「電車にも乗れず、外食も美容院も行けなくて辛そうなんですけど」と口にする場面がある。それで思い出したのだが、少し前に、「パニック障害の人向けの美容院」がテレビで紹介されていた。その時に映し出されていたのは子どもの散髪客だったが、なるほど、ああいう感じをイメージすればいいのか、と思った。

それは、大変だ。

昔の僕は、今よりもずっとメンタルが脆脆で、「メンタルを安定的にコントロールすること」が結構難しかった。まあ、特段何か名前がつくような精神疾患みたいなことではなかったとは思うんだけど、感覚としてはやはり「こういう自分はしんどいなー」と思っていた。今もまあ、そんな風に感じる瞬間がないではないが、昔よりは大分マシだ。

PMSの症状がかなり酷い藤沢美紗は、学生時代はそこまでキツくなかったと話していた。年々、酷くなっていったのだ、と。ピルを飲みたいと医師に相談するも、母親に「血栓症の既往がある」という理由で止められており、普段は漢方薬が処方されているのだが全然効かない。そこで新しくアルプラゾラムという薬を処方してもらうのだが、彼女には副作用が強く出すぎてしまった。とにかく、強烈な眠気に襲われるのだ。

こうして藤沢は、自身の体調と”社会人としてあるべき姿”の折り合いをつけることができず、辛い状況に追い込まれてしまう。

僕も、全然そうだった可能性はある。別に、何かきっかけがあってメンタルが落ち着いたみたいなことはない。なんとなくでしかないのだ。だから、たまたま僕にとっては良い方向に転がっただけで、たまたま悪い方向に転がっていたら、僕は今以上に「まともさ」を失ったまま社会の中に存在していなければならなかったかもしれない。

そう考えると、本作で描かれる2人のことは、決して他人ごととは思えない。そして、それがPMSやパニック障害などの「名前が付く何か」でなかったとしても、何らかの理由で「自分の心・身体に翻弄されてしまう」という人はきっとたくさんいるはずだし、そういうすべての人にとってこの作品は「居心地の良い体温」を感じさせる作品ではないかと思う。

作品全体のスタンスとしてとても良かったのが、「起伏が無い」という点。もちろん、「起伏が無いのに最後まで観させられてしまう素敵な作品」であることが大前提の上で書くが、本作にはとにかく起伏が無い。特に、人間同士の関わりの描写において起伏らしい起伏が存在しない点が凄いなと思う。

例えば、PMSの藤沢とパニック障害の山添は、最初こそちょっとギクシャクした雰囲気なのだが、その後「同僚でも恋人でも、かと言って友人というわけでもない」という絶妙な関係性になっていく。

ただ、「そういう関係になったきっかけ」みたいな場面が描かれることはない。少なくとも僕はそう感じた。とにかくそういう、「分かりやすい瞬間」を描くことがない。点と点を繋ぐみたいに物語を展開していくのではなく、そうだなぁ、別々の木材を継ぎ手で結合し、その接合部をひたすらヤスリがけして「元から1本の木材だった」かのように整えていく、みたいな感じがする。一定のリズムでヤスリがけをしている音が聴こえるかのようなゆったりと穏やかな時間が流れる作品で、その静けさみたいな部分がとても魅力的に感じられる。

そして本作の「ざらついた感じの画質」もまた、そんな雰囲気を一層引き立てているように感じられた。フィルムで撮影しているみたいとでも表現したらいいのか、最近の「パキッとした映像」ではなく、どこか粗い感じが残る映像が、実際に流れている時間よりもほんの僅か時の流れを緩やかにしているみたいな感じもあって、とても良かったなと思う。

物語の舞台となるのは、栗田科学という小さな会社。子ども向けに顕微鏡やプラネタリウムの組み立てキットを作っているところで、詳しくは触れられないものの、「事情を抱えた人を引き受ける」みたいなこともやっているのだと思う。山添はどうも、元々は「キラキラ系の会社」に勤めていたようだが、恐らくパニック障害が原因なのだろう、「出向」のような形で栗田科学に籍を置いているようだ。そんな感じなので、最初はとにかく、全然会社に馴染もうとしなかった。しかし、パニック障害という”足枷”と共に生きざるを得ない山添にとって、次第のこの会社は居心地が良くなり、次第に心を開いていくことになる。

さて、そんな「栗田科学」という職場は、そういう「繭のような穏やかさ」を体現する空間としての役割を持つだけだと考えていたのだが、そうでもなかった。物語の後半では「プラネタリウム」が割と重要な要素になっていくからだ。

その中でも、「プラネタリウムの最後に藤沢が読み上げるある文章」がとても良かった。恐らく『夜明けのすべて』というタイトルの根底になっている部分でもあると思う。「夜明け前が一番暗い。これはイギリスのことわざだが……」から始まる文章の中に、「夜があるからこそ、私たちは宇宙の彼方の存在を知ることが出来た」みたいな記述がある。

もちろんこれは、星や宇宙に関する話なのだが、作品全体のテーマとも重ね合わせることが出来るだろう。つまり、「『病気』や『親しい人の自死』など辛いことは多々あるが、そのことが別の何かをもたらすこともあるのではないか」ということだ。そもそも「夜明け前が一番暗い(The darkest hour is just before the dawn.)」ということわざの意味は、「ダメなことの後に必ず良いことがある」「辛い状態がずっと続くわけではない」である。

藤沢と山添も、直接的にそんなやり取りをする場面がある。「PMSになって良かったこと?」「パニック障害もたまには良いことあるんじゃない?」みたいな感じだ。これはもちろん、「お互いの最もセンシティブな部分についても躊躇なく軽口が言える」という彼らの関係性を示す描写なわけだが、もちろんその会話の内容をシンプルに捉えるのもアリだろう。そりゃあ辛いことばかりだが、「良いこともある」と思ってなきゃやってられないよ、みたいな。

正直僕は、「ダメなことの後に必ず良いことがある」「辛い状態がずっと続くわけではない」みたいな言葉はあまり好きではなくて、「『しばらくしたら好転する』から何なんだよ。そんなんで『今の辛さ』は紛れないよ」と感じてしまう。ただこの作品の場合、そのような「強いメッセージ」が分かりやすく香ってくるみたいな感じでは全然ない。押しつけがましさみたいなものが全然ないと思う。

とにかく、そういう感じが素晴らしかったなと思う。

あと、僕はとにかく松村北斗が好きで、作品を観る度に「この人マジで上手いよなぁ」と感じてしまう。『キリエのうた』でもそうだったが、とにかく「テンションの乗らない役」がメチャクチャハマる感じがあって、ホントにそういう人として存在していそうなリアリティが凄い。僕は割と、「松村北斗が出てたら観ちゃうかも」というぐらい、僕にしては珍しくハマっている役者である。

あと、りょうを久々に見たなぁ。とても良かった。大昔だけど、中谷美紀とりょうが出てた『女医』ってドラマが凄く良くて、でも正直それぐらいしかりょうを観ていた記憶はないんだけど、『女医』の印象が強すぎて、自分の中では「結構好きな女優」に入ってるんだよなぁ。で、久々に見てちょっとびっくりした。

あと、「この人見覚えあるんだけど、誰だっけなぁ」と思っていた人がいて、エンドロールで謎が解けた。足立智充で、つい最近観た映画『王国(あるいはその家について)』に出ていた人だ。公式HPのキャスト紹介にも載っていないぐらい、決してメインと言える役柄ではないんだけど、なんか印象に残る役者だった。

とても良い映画だったなぁ。

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