【映画】「マイ・ブロークン・マリコ」感想・レビュー・解説

最近知り合った人が、なかなかしんどそうな人生を送っている。もちろん、この映画のマリコほどではないが、色んな状況から、かなりしんどいだろうなぁ、という感じがする。

そいつは、「周囲にあまり話さないと決めていること」がある。その秘密も、しんどさの要因になっているから、その話をしなければ自分の辛さを周りに正しく伝えきれない。このこともまた、難しいポイントだ。

それで僕は、別に何ができるわけでもないが、「そいつの味方でいよう」と思った。お節介かもしれないが、たぶん、そいつには味方が必要だ。

イカガワマリコにも、味方が必要だった。そして、味方はちゃんといた。シイノトモヨだ。この映画は、そういう話だ。

ただ、味方がいても、どうにもならないこともある。あるのだろう。これは、そういう物語でもある。

ブラック企業で働くシイナは、昼飯を食っていた食堂で、親友マリコの死を知る。睡眠薬を大量に摂取し、マンションの自室から飛び降りたという。マリコにLINEを送るが、普段ならチャット並の速度で既読がつくはずが、うんともすんとも言わない。
マリコが住んでいた部屋は既に跡形もなく片付けられ、亡骸はすぐに遺骨になるだろうとのことだった。クソみたいな会社でクソみたいな上司に怒鳴られてクソみたいな仕事をしている日々の中で、シイナは煙草を吸いながら考える。今からでも私に出来ることは何かないのか、と。
外回り中、唐突に思い立って家まで戻り、バッグに包丁を忍ばせる。そのまま、マリコの実家があるマンションへ。再婚した後妻が迎えてくれ、奥にはマリコの父親が遺骨の前で神妙にしていた。
こいつがすべて悪い。
シイナはマリコの遺骨を盗み、窓から飛び降りた。それから、生前マリコが海に行きたがっていたことを思い出した。マリコと海に行こう。親友との最後の旅が始まる。

全体的にはなかなか面白かったと思う。マリコが置かれていたクソみたいな現実と、結局マリコ以外に親友らしい親友がおらず、ブラック企業でこき使われているシイナのクソみたいな現実が微妙に響き合い、微妙にすれ違いながら、自分でも何をしたいのかはっきりとは分かっていないシイナの迷い迷う道中は、なかなかに興味深い。

シイナが結局、マリコ以外の親友(友人)を作れないでいた背景はイマイチよく分からなかったが、「マリコの呪縛」に囚われていたのかもしれないし、シイナの素行が周囲に受け入れられなかったのかもしれない。マリコは、言動でシイナを縛り付ける一方で、自分は奔放に生きる。もちろんそれは、「生き延びるための手段」でもあり、さらに「シイナの愛を確認する手段」でもあり、かなりややこしい。そして、そういうマリコと関わるシイナも、そのややこしさに巻き込まれている。

みたいなぐちゃっとした感じはとても面白いし、それを、子役を使った回想シーンを上手く織り交ぜながら描く構成も良かったと思う。

さて、個人的には、「永野芽郁っていうキャスティングは正解だったんだろうか?」と思う。これは、永野芽郁に非があるとかそういうことではないのだが、永野芽郁は煙草を吸おうが何しようが「やさぐれ感」が出ないなぁと、映画を観ながらずっと感じていた。

映画は、マリコが死んだことが分かる場面から始まるため、「それ以前のシイナがどんな女性なのか」が描かれる場面がほぼない。だからよく分からないのだが、なんとなく「人前で煙草を吸っていない」感じがしたので、もしかしたら、「マリコ以外の人には『やさぐれた感じ』を見せていなかった」のかもしれない。そしてもしそうだとすれば、永野芽郁の「やさぐれ感が薄い感じ」も理解できる。日常的には取り繕った良い感じの雰囲気を出していて、人目のないところやマリコの前でだけやさぐれた感じでいたということであれば、この映画に映し出されるシイナ(永野芽郁)の感じで正解だと思う。

しかし、そうであることを確定させる描写はたぶんなかった。そして僕は映画を観ながら基本的に、「シイナは誰に対してもやさぐれた感じで接していた人物なのだろう」と思っていた。そしてそうだとするなら、永野芽郁は「やさぐれ感」が薄すぎると思う。

そして、映画で描かれるように、シイナが汚い言葉遣いで話をするのなら、もっと「やさぐれ感」がある方が自然だったな、と思う。少なくとも、この映画におけるシイナの「やさぐれ感の無さ」には、説明が必要だと僕は思う。そうじゃないとちょっと、永野芽郁は整いすぎてるんだよなぁ。

「シイナという役がきっと醸し出したいのだろう雰囲気」と「永野芽郁の見た目が与える印象」のギャップがとても大きくて、どうしてもそこばかり気になってしまった。メイクなどでもっと「やさぐれ感」を出すとか、あるいはもう少し見た目から「シイナ」っぽい女優を選ぶかの方がベストだったような気がしました。永野芽郁は特に好きでも嫌いでもないのだけど、ちょっとこの映画にはあまりハマっていなかった気がするんだよなぁ。

ちなみに、シイナの子ども時代を演じた子役は、「やさぐれ感」出てた気がするんだよなぁ。まああくまで僕の個人的な感覚に過ぎないけど。その子役も、割と整った感じの女の子だけど、「やさぐれ感」は結構良い感じだった記憶がある。出演シーンが多くはなかったからっていうのもあるかもしれないけど。

一方の奈緒は、狂気を孕む役で、やはりそういう雰囲気を出すのが向いてる女優だと思う。マリコの「色んな意味でヤバさを感じる雰囲気」を絶妙に醸し出していた。一番好きなのは、シイナと待ち合わせてパンケーキを食べようと喫茶店で喋っている場面。この場面のマリコが一番ヤバかったと僕は思う。「感受性」というものがマリコの肉体から抜け落ちていて、まさに「壊れている」ことが如実に伝わるシーンだったな、と。

映画を観て改めて、「自分の視界の範囲内に『生きてるのがしんどい人』が入ったら、可能な限り『味方』になろう」と思った。人は、死んじゃう時は死んじゃうからどうにもならないことはいくらでもあるけど、それでも。

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