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悪筆の弁 ~曽祖父の日記より~

私の曽祖父について調べたいと思った。とはいえ、祖父に曾祖父のことをあまり聞いたことが無く何から調べて良いのかも分からない。
とりあえず手っ取り早く、曽祖父の追悼録の中の日記を見つけたので、その部分を抜粋して私の思うことを書いていきたい。

曽祖父は日記を毎日つけていたとのこと。そういえば私の祖父も毎日つけていた。やがて亡くなる前、病気がちになると、だんだん日記をつけるどころではなくなり回数が減っていく。その様子もいろいろな方々から寄せられた追悼録の文章を見ると、祖父と同じだったのだなと思う。

顔も、体型もそっくり。強いて言えば祖父よりも口がへの字に曲がっていること。戦争を乗り越えた世代。生きる厳しさが顔にも出たのだと思う。

また、終戦後日本に帰る際、日本の技術者は、一目置かれていた事もありロシア人にずいぶん探されたようなことも書いてあった。そんな中でも、無事に日本にたどり着き、平穏に暮らしていたことも、追悼録の写真からもよく分かり身内としてはホッと胸をなでおろす次第である。

さて、今回は見出し画像にもある石碑について少し書きたいと思う。

この石碑は曽祖父の実兄が亡くなられて50年以上たってからの事。兄とともに曽祖父が実際に住んでいた家の跡に、この石碑は建てられた。
金沢では曽祖父の実兄の顕彰会がくわだてられ、その記念事業の一環として、この石碑はたてられたそうだが、私がこの石碑に触れたのは、この石碑に書かれた文字に関するエピソードがなんとも面白いからである。

さてこの文字を誰が書くか…。実兄の近親者か、親交のあった方から適当な方をという申し出があったそうだ。

曽祖父は、実兄と仲の良かった友達が一番よいと思い、考えた。渡米中の友人には頼んだところで期日に間に合わない事もあろうかと却下。他にもいろいろ考えあぐねた末、芸大教授で親交のあった彼にお願いしようと、曽祖父は決めた。

やっと頼んだところ、いろいろな問題はあったが何とか承諾を得て一安心していたものの、なかなか書いてくれそうな気配がない。
そして最後には、とうとう
「僕には、もう書けない。第一に筆が無い」
と言う。筆などは買って準備すればよいと言っても、格好な適当な筆は、そうざらにあるものではないと言う。そんな押し問答のやり取りを重ねていても、立標識日の約束の日もあるものだから、気が気ではない。困り果てた挙句自分で書こうと決心したそうだ。

私が面白いと思ったのが、この状況、なかなか現代にも通ずるところがある。
実は書く気が無いのに、お願いされてた際に、断るのが面倒で、一度引き受けてしまうところ。
いざ書く段階になり期日も迫っていることから、本来ならすぐ書けば良いものの、書く気が無いのでどうもこうも、書きようがない。また、頼まれた自分にもプライドがあるので初めから断ることもできなかったのだろう。相手が諦めるのをひたすら待つ…。

申しわけないのだが、私は少し笑ってしまった。追悼録の別の部分にも書いてあったが、曽祖父は人に頼む際、決して押し付けてやらせることはしない。だが、何度もこうしたいという決意を話し続け、周りを味方につけ仕事を進めてきたようだ。

このいつもの戦法が、今回に限り上手くいかなかったのだろう。この芸大教授の方が一枚上手だったのかもしれない。

仕方なく大決心をして、本人曰く、悪筆は永久に悪筆。これを残してしまったことに後悔はあるが、その事情たるもの上記の通り。
自分の文字で書かれた石碑を、思いがけずして、後世に残す結果となったわけだ。

まことに僭越ながら言わせていただくと、この仕事のやり方、祖父もそうだったと思うが、自分にも通ずるところがあり、なんとも似ている。

人に頼んで、承諾を得た時の喜びよう、多分純粋に良い人に頼めたと満足して喜んだのが手に取るように分かる。

そして、雲行きが怪しくなっても相手を立てつつ様子を見る。
「あれっ、実際のところ書く気が無かったのか」
と気づいた時の落胆度合い。この部分も、私には痛いほどわかる。

そして、最後に書くのは自分しかいないと、周りとの兼ね合いもあり遠慮していた部分もあるのだろうが、この決断の潔さ。
やはり遠いご先祖様なのだけれど血のつながりはあるのかもしれない。

他にも自分と似ている部分は沢山あるが割愛して、どこか別の章で書きたいと思う。

しかし最後に、私は思うのだが、この墓石に記す文字。
実兄は、じつは生活を共にしてきた可愛い弟に書いてもらいたかったのではないかと思う。
死んでしまったら霊魂しか残らないと思うのだが、意外と亡くなられた人の意思や、いろいろな逆境を乗り越えて現世に残っている古いものたちには、私は意志があると思っている。

死に際に誰に会いたいか、どのような状況でどんな風に死にたいかは、自分で選んでいるような気がしてならない。

また、いろいろな状況を乗り越えて今に残る物にも意思があり、捨てないで欲しい、必ず後世に良い影響を残すからと発信している物たちは、必ず捨てない人を選んで寄り添ってくるような気がしてならない。実に私がそうだからだ。

そう思うとこの石碑に文字を誰に書いてもらいたかったのかは、一目瞭然。
生まれてから短い間だったかもしれないが、寝食を共にした大好きな弟に書いてもらいたかったのだと思う。

その結果までたどり着けて、早くに亡くなった故人は、ホッと胸をなでおろしただろう。そして満足した温かい眼差しで、この石碑を見ているに違いないと思うのだ。

今はもういない曽祖父も、それをきっと感じているとは思う。
僭越ながら私からも伝えたい。
「ひいお爺ちゃんは悪筆だと言っているけれど、お兄さんはとても喜んでいるよ。ひいお爺ちゃんの決断を尊敬するし、この決断をして本当によかったね」

もしかしたら、温かい眼差しで私を見てくれているかもしれないが、
「軽々しく何を言うんだ」
と、ちょっと呆れ顔でみているかもしれない。多分後者の姿だろう。
私はそんな曽祖父を、会ったことが無いが想像できてしまうのだ。

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