見出し画像

終の棲家デザイナ 太田健司の日常2

「やったー、入った! ホームランだよっ! 将暉! 小千谷選手が約束どおりに打ったよ! ほらぁ、まさ、き?」
 口を押えてうろたえる母親の横で、ベッドサイドにいた父親がまさきのゴーグルを外す。

「まさきーぃっ!」
 病室の部屋いっぱいのモニターの中で、グラウンドを一周する小千谷選手が一瞬足を止めて耳を抑えるようなしぐさをした。
「20時18分、ご臨終です」
 小千谷選手はホームベースを踏みいつものようにグラウンドに向かって一礼する。心なしかいつもより長く。
 顔をあげた彼は主審にタイムを要請すると、場内アナウンスブースに駆け寄り、何事か告げる。
 そのままグラウンドに向き直り帽子を脱ぎ胸に当てる。観衆も何事かと見ていると、球場の大型モニターに、「小千谷選手とともに病気と闘っていた山本将暉さん(9才)が、お亡くなりになりました。小千谷選手のホームランに送られて」との文字が小千谷選手と将暉の写真とともに掲示され、黙とうの呼びかけがなされた。
 黙とうが終わり、小千谷選手はマイクを手に、ホームランを打ち込んだレフトスタンドに向き合う。
「もうしわけありませんが、先ほどのホームランボールを将暉君の棺に入れてあげたいので、キャッチされたかた、お返しいただくことができませんでしょうか。もちろん、代わりにサインボールとバットをお渡しいたしますので、よろしくお願いします」。
 小地谷選手はスタンドに深々と頭を下げる。
 小さなどよめきが起こり、観客の一人がスタンド際に寄り、センターの選手にボールを投げ渡した。万雷の拍手が球場に響くなか、センターの選手はゆっくりと小千谷選手に向かって走り寄り、手渡した。
 その拍手は将暉がエンゼルケアをされている病室にも届いている。いつもは職業的に冷静さを保つ看護師も、嗚咽をこらえながら手を動かしている。泣きそうになるのをごまかすように取り留めない話をしている。
「電気屋さんとばかり思ってたあの建築デザイナさん、意外とやるじゃないの」
「でもさ、ご両親の話を聞いて、一緒に行きたい場所のライブ映像を流したり、将暉君の野球選手になりたいっていう希望が、こんなふうに実現するなんてね、良かったね、将暉君」
「このグローブはずしますか、おかあさん」
「そのままにしておいてください。小千谷選手がバットを握った感覚も、スイングするときの動きも、打った瞬間の感覚もそこに残っているはずですから」
「わかりました。でもすごいわよね、ベッドに寝ていながら野球ができるなんて」
「小千谷選手も選手会やプロ野球機構を動かしてくれて、試合中に小千谷選手の目線を再現するウェラブルカメラ装着したり、圧力センサー付きのユニホームをつけてプレーするのを認めてもらったんだって。若いのにさすがよね。独身なんだってよ」
「関係ないじゃない」
「でもさ、そういうしかけは全部みんなあのへんな建築デザイナが準備したんだってよ」
「へんはちょっとしつれいじゃない」
「だって、院長先生に棺桶屋の健ちゃんなんて呼ばれているのよ」
「ちょっとぉ、将暉君の前よ!」
       *
西行が晩年を過ごした堂はサクラに囲まれていたのだろうか。空海がいまもなお瞑想を続けるという高野山の奥の院の中はどうなっているのだろう。聖徳太子が最後に見ていた景色はどんなものだったのだろう。
 人はなぜ終の棲家という言葉に心ひかれるのだろう。終焉の地が病院ではなく自宅がより良いものと言われるのはなぜなのだろう。すべての人の自宅が、死にゆく人にとって安楽な場とは限らないだろうに。
 ホスピスや緩和ケア病棟を選ぶ人も多い。また、看取りをするというふれこみの老人施設も増えた。
 先日わたしも、東京にある施設の改装に伴い、看取り室をデザインした。多死社会の現代、施設での死は日常だ。多くの老人ホームは個室化されており、スタッフがだれも見ていない状態でなくなる人も多い。
 だから、わたしは、看取り室を施設内でいちばん人通りの多い場所に作り、いつでもだれでも気軽に立ち寄り、入れ替わり立ち替わり声をかけることができるようにした。予兆をみつければ、だれかがそばにいるようにできるのだ。一人では死なせない。そのための看取り室である。死に、存在感をもたせる試みだった。
 一人で逝かせることがぐっと減ったと聞いている。 
       *
「大前ご夫妻、本日は、ようこそおいでくださいました。わたくし、鵠楽舎代表、太田健司と申します。
 お電話では、お二人の終の棲家を考えておられるとか。今日は、具体的なお話を伺えればと思っております。
 さ、どうぞこちらへ。
 え? 壁のこの画像ですか。弊社でこれまでてがけたものです。資料を用意するまでの時間、もし興味を惹かれるものがございましたら、画面にタッチしてください。24時間の景色がご覧いただけます」
       *
わたしは建築デザイナである。建物ならばなんでもつくる。犬小屋も作ったことはないが言われれば作る。海の家も作ったことがある。コンサートホールもあるといえばある。最近は、病気の子供と両親のために好きなところへ出かけたり、体験したりできる、どこでもドアみたいなものも作った。もはや建築とは言えないのだが、VRアーキテクトとかっこつければなんとかなる。
 建築家仲間は陰で私のことを棺桶屋の健ちゃんと呼んでいる。卒業制作が棺桶だったということもあるが、主たる建築物が、ホスピスや終の棲家専門とみなされているからだ。
 終の棲家と言っても特別なものではない。強いて言えば、施主とともに年を重ねる家とでも言おうか。年をとれば、あっちが痛いこっちがあがらない、何するのが億劫、これも面倒くさいとなる。それでも、自宅で最期まで暮らしたいという人のためにあれこれ考えを巡らせて作るだけである。バリアフリーというわけではない。必要なことが必要になったら付け加えることができる設計だけである。
       *
「これも終の棲家ですか」
 夫のほうが、火山から流れ出る溶岩の写真を指差している。
「はい、フランスの火山学者でして、歩けなくなっても、溶岩の流れるさまを感じていたいとおっしゃいまして」
「へぇ。焼かれる前に焦げるのはごめんだな」
「こちらの水族館みたいなものですか」
 妻が指さすのは丸窓の向こうにぼんやりと魚が泳いでいる写真だ。
「あ、そちらは水族館ではなく、潜水艇なんです。海洋学者でしてね。終の棲家も日本沿岸でも海岸からすぐに数千メートルの深さまで達する海辺に建てておられました。もう一度、いや、なんどでもあの海に潜りたい、とおっしゃいましたので、小型の水中ドローンを作りまして、お部屋から操作いただけるようにいたしました。ご自身が良く使っていた潜水艇の窓をお部屋に再現しました」
 大前夫妻を打ち合わせ用のテーブルに案内する。大前は座って壁を振り返ると、一番下の隅を指さした。
「はぁ、そちらですか。ずいぶんと隅っこのものに気がつかれましたねぇ。実は、わたくしの兄、秀臣の写真です。え、なんで鳥かごに写真が入っているか? たいしたことではないのですがお聞きになられますか。兄は会社勤めの定年間近になにを思ったのか、山の上にある茶屋の主になりましてね。大前様は天空の棺というのをご存じですか」
 事務の山本さんがお茶を置くのを待つ。山本さんは私に向かってピースサインを出しながら客の後ろを通っていく。
 棺の話に持ち込めというのだろう。当事務所には棺の話乗って来ると契約成立の確率が格段に上がるというジンクスがある。今年はそこそこ稼いでいるつもりだが、山本さんはボーナスの積み増しが欲しいのかもしれない。なにか、買いたいものでもあるのだろう。
       *
ひとまわりも年が離れた兄は、物心ついたときからすでに、親戚のオジサン的存在であった。喧嘩をすることもなければ、父母のように無償の愛情をそそぐわけでもない。気の向いたときにかわいがり、お土産や自分のお古を気前よくくれた。
 兄が大学生になり家を出ると、なおさら時々来る親戚のおじさんになった。
 学校を出て電機メーカーに就職した兄は、わたしが社会人になるころには地方に転勤しており、その後も海外や国内の支店を支社を転々としていたので、疎遠な兄弟であった。わたしは実家で父母と生活しており、卒業後も、家は建て替えたが今も変わらない。兄は結婚をしなかった。何か理由があるのか、タイミングの問題なのか、それも聞いたことはない。
 老いていく父母の世話も頼むとも頼まれるともなく実家に残っていたわたしが担当した。その間、兄と会うのはわずかな親戚の葬儀ぐらいである。父母の病気治療費、介護にかかる費用はすべて兄がだしてくれた。気前の良いアメリカのおじさんだ。墓も事前に兄が建ててくれた。
 大病もせず、長く患うこともなく父はフッと亡くなった。
 父を追うように亡くなった母の四十九日の際に、兄は「ちかいうちに山に入るから、あとのことは頼む。俺のことは気にしなくてよい。死んだときには連絡だけはいくようにしておくから、時間があって気が向いたら来てくれ」と言い残した。
 半年ぐらい経ってから、わたしも名前ぐらいは知っている山の茶屋の主になったという手紙が届いた。学生時代も登山をやっていたようには見えなかったが、なんでこの山のだと、考えたところでしかたないのでやめた。ただ、こちらに届いたということだけは知らせたくて、両親の墓の写真を入れて手紙を投函した。
 わたしのほうも大手設計事務所から独立し、事務所の運営が軌道に乗るまでは必死だったから、兄の元を訪ねることもなかった。
 互いに思い出したように手紙のやり取りをする程度の付き合いが十年二十年と続いた。兄はわたしの結婚式にも出席しなかった。
 ある日、電話が鳴った。
 電話の相手は兄が暮らしているの山の茶屋からだった。そう聞いた時点で、覚悟をした。
「お兄さまがご危篤です。本人が知らせてくれというので電話をしています。間に合わないと思いますが、もし、時間が許せばお願いできればと思います」
 今現在の顔が思い描けない親戚のおじさんが死んだ。
 電話の人に聞いた道順の交通機関を調べ、改めて電話を掛けなおすと、「麓の斎場のほうへ直接おいでください」と言われた。
 20年近く会っていなかった兄との再会はあわただしいものだった。ただ、棺の中の顔が父と似ているなと思い、今朝鏡のなかに自分にも似ているなと思った。
 骨上げを待つ間、兄の最期に立ち会った人に「これはお兄さんから」と小さなノートを渡された。わたしの連絡先が、変わるたびに、二本線で消し、書き直されていた。
 ほかに私物は残っていないのかと聞くと、洋服や靴がわずか。あと、本もすこしだけ。「あぁ、スマホと、通帳とカードにハンコ。それから時計があったんだ」と、カバンの中から布袋に入れたものを渡された。
「他の荷物は、まとめてお手元に送りましょうか」
「衣服などは申し訳ないですが処分してください」
 兄は葬儀もだが、墓もなにもかも手配していた。骨は街の観光案内所から宅配便で初めて聞く海辺の土地の寺へ送られた。
 わたしはノートを胸ポケットに、ほかのものはカバンに入れて帰宅した。
 帰宅後、ノートを父母の仏壇に位牌代わりに供えた。通帳には500万円以上の残があった。後日、通常の相続手続きをして、両親の墓参りや、法要の費用、花代などにつかうことにした。兄のお骨のある寺にも線香代として送っている。
 兄のノートを開いたのは数年経ってからだ。
 ふと思いついて開いたものの、兄が残したノートにはたいしたことは書かれていなかった。
「彼らが飛び込んだ崖の景色はどんなものだったろうか。見てみたい気もする」という書き込みを最後にノートは空白が続いた。
 飛び込んだ、という表現になにか引っかかりを覚えたが、兄が暮らしていた茶屋は、多くの登山家の命を飲み込んだ日本有数の険しい山塊にあったのだから、ときには、捜索活動にも加わり、そのときの感想なのだろうと思った。
 ただ、見たい気もするというのだから、見せてやろうと、そのときわたしは思った。子どものころからたいしたやり取りはなかった兄だが、なにかと世話にもなったし、親孝行ならぬおじさん孝行に休日に山に登った。
       *
「兄が亡くなって3、4年経っていましたが、茶屋はそのときもやっていましてね。葬儀の差配をしてくれた人が兄の後を継いでいました。ここがさきほどご存じですか、とお尋ねした天空の棺で有名な茶屋になっていたんです。今の主が始めたと聞きました。主に兄が過ごした茶屋を案内していただき、兄が茶屋の中で座っていた場所から景色を見させていただきました。その後、天空の棺も拝見し、裏庭でやっていた、簡易版の棺も見せていただいたんです。そのときに、崖から落ちた人を救助するというクレーンをみつけましてね、主に兄のノートのことを話して、かごに入れて一晩吊るしてもらったんです。兄が肝を冷やしたのか喜んだのかわかりませんけれどね。そのときのことがご縁で、いまでは天空の棺の設計と制作をやらせていただいています。最近は自宅用の天空の棺も販売していまして、現地で体験して気にいった方が自宅のベランダなどに置いているみたいですよ。え、一度入ってみたい? かまいませんよ。山本さぁーん」
 わたしの声がよほど弾んでいたのだろう、山本さんは飛んでくると、入ってみたいと言った夫のほうを別室に案内する。
「奥様は準備ができるまでどうぞそのまま」
 別室のドアから山本さんが顔をだしオッケーサインを送ってきたので、奥様を案内する。
 いきなり旦那が棺桶に入っていれば驚くものだが、この奥さんは茶目っ気があり、棺桶の蓋の窓から旦那の顔をのぞくと、「ようやく逝ったのね」と笑いだした。旦那は苦笑いしながらも「なかなか落ち着くぞ、お前も入ってみろ」と声をかける。「あら、最近はお風呂も一緒に入らないからご一緒させてもらおうかしら」といいつつ、「あたしは、あちらの棺がいいわ」と別の棺を指さした。
 二人仲良く別々の棺に入りならんだところで、部屋を暗くして、プラネタリウム装置を起動し、天空の棺模擬体験をしていただいた。
「なかなかいいなぁ」
「そうですねぇ」
「俺たちの終の棲家も、安心できてゆったりとしたものがいいなぁ」
「でも、わたしは、生きている間は棺桶じゃなくて、温泉のほうがいいですけれどね」
「そりゃ、あたりまえだ」
 このままだと長くなりそうなので、「それでは、残り時間もわずかですが、そろそろあちらでお二人のご希望を伺わせてください」
 というわけで、大前さん夫妻には、この後ざっくりとした希望を伺い、次回の予約入れていただいた。
 山本さんのボーナス積み増しの確率はあがったようである。(つづく?)

#終の棲家 #天空の棺 #峠のデイサービス #メメントモリ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?