本日の「読了」

小沢慧一『南海トラフ地震の真実』(東京新聞 2023)

この時機に手にすることになったのは、図書館の予約順のめぐり合わせ。

読後感まとめ。
1)科学を装った「数字」を読む能力。
2)伝える力。
3)日本学術会議問題。
4)次は尾身茂氏のコロナ回顧録を読む。


南海トラフ地震は今後30年のあいだに起こる確率が80%と言われているけれど、確率もその確率計算の元となるデータもなにもかもが「?」であって、学者や国地方行政が予算を取るための「方便」だということらしい。
 発災確率が100%といえば、パニックになるか、自助努力の前に「政府は何してきたんだ!」 となるだろうし、20%といえば「なんとく大丈夫じゃね?」となるのが人情。80と言う数字は、下一桁が8円のスーパーのセールと同じ程度の心理効果を狙ったものなのだ。
 方便の数字だからといって地震がおこらないというわけではない。
 日本に暮らしている以上、明日、身に危険が及ぶほどの地震が起こるか否かは半々。次の朝も同じ。日々その連続なのだ。

予算を獲得し、それが減災に使われるにせよ、「煽ることなく」伝える方法はあったのではないか。電通や博報堂を使えとはいわないが、会議とは独立した形の「発表のしかた」会議があってもよいのではないかと。
「発表のしかた」会議はいわば、「最初の読者」であり、彼らの反応も踏まえ、会議側が伝えたいことが伝わる方法を考えるというステップを挟んでも良いと思う。

もうひとつ思いめぐらせたのは、日本学術会議問題だ。
 本書では、南海トラフ地震対策に関わった学者の中にも「反対」「異論」があった。確率計算手法そのものも学会内ではかなり信用度が低いようだ。異論反論、別の計算手法による確率も公式文書には「併記」されているものの、記者発表などの場では明らかにされていない。当然、広く一般市民にはつたわっていない。
 科学的見地が満場一致でないことはわかっている。
 そして政府や行政が主催する委員会や会議において、学者の「独立性」はどのように担保されるのか?
 それと私たちは政府が口にする科学を装った情報に対してどのように対峙すべきか。
 次は、コロナ禍下、政治と科学の間で奮闘した尾身さんの回顧録を読んでみようかな。
[ぶんろく 2024.01.16.]

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?