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父親との交換日記

 はじめて、交換日記をした相手は父親だった。幼稚園生だった私と毎晩遅くまで働いていた父親は生活リズムが合わず、そんなすれ違い親子のコミュニケーションが交換日記だった。父親が帰ってくる前に眠る日は、今日あったことをノートに綴る。朝起きたら、早朝に出社した父親から返事がノートに書かれている。ノートこそどこかにいってしまったが、たまにこのノートのことを思い出す。
 お友達と遊んだこと、休日になったらパン屋さんをおうちでしようねっていう約束、ゲームデータを誤って弟に消されたっていう怒りとそれに対する父の慰め。汚い文字で内容いっぱい詰め込んだ日もあった。反対に「パパへ」という3文字をたくさん敷き詰めた内容がほとんどない日もあったかもしれない。
 なんで交換日記が始まったのか、どうして打ち切られたのか、今どこにあるのか。全部曖昧だけど、父親を思い出すときに1番最初に交換日記を思い出す。当時も嬉しかった。まだ行方不明になる前は時折読み返して、そういうことをしてもらえたことがあったんだなあと思って嬉しかった。今も思い出して嬉しくなる。そんなことがあったなあ、なんかイラストも描いてくれていたなあという思い出でほっこりするのである。
 数年前に母親と父親に大きな溝ができて、その事実から私は目を背けるようになった。当事者同士は淡々として見えるのに私はネチネチとその事実に適応できず、ときどき不具合を起こす。もう数年も父親に会っていない。不具合を起こした際にLINEをブロックして、その間に連絡は来なくなった。ある時から既読がつかないことに父はショックを受けていたと弟から聞いた。今はブロックしていないけど、毎年欠かさずに送っていたという誕生日のお祝いメッセージも来なくなった。私は再び、両親を受け入れることができるのだろうか。私は父にもう一度誕生日のメッセージをもらえるのだろうか。もう私は大人で、両親がどうなろうと当人たちの自由であるというのに。それほど両親の仲の良さが自慢だったのだと気付かされる。だから、適応できない。
 将来私が結婚するときにバージンロードを隣で歩く人はいないかもしれないと結婚する予定もないくせに時々寂しく思う

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