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井坂勝之助 その6

示現流

勝之助、いつものように、梅、竹蔵を従えて川遊びをした帰路である。
陽は西に傾いているが、まだ明るい。
 今日は珍しく釣果があり、馴染みの料理屋でそれを捌いてもらうべく歩いている。
すると、何やら前方が騒がしい。
 見ると、数人の旗本奴が、芸妓数人と道いっぱいに広がり練り歩いている。
折しも、その向こうから歩いてくる武士が一人。
「おうっ、そこの田舎侍、邪魔だ!どけどけ!」
武士は何も言わずに真っ直ぐ歩いて来る。
「聞こえねえのか、この田舎侍!」
言い放った旗本奴、女物のような派手な着物に、鮮やかな緑色の鞘、刀装は螺鈿の細工が施してある。
「天下の大道にござるゆえ、御免被る」
旗本奴の間を通り抜けようとする。
「待ちやがれ!」と、肩口を掴もうとした手を鮮やかに捻り上げる。
旗本奴たまらず一回転して地面にたたきつけられる。
「見事な関節技・・・」
勝之助、感心して見ている。
 残りの旗本奴四人が、一人の武士を取囲み、刀の柄に手をかける。
芸妓たちは、悲鳴をあげ脇にある屋敷の白壁に張り付く。
旗本奴の中でも、腕のたちそうな男が、
「お主、我等が何者か知っての狼藉か!」
「存ぜぬ、また狼藉でもござらん」
「うーぬ、言わせておけば・・・」
 勝之助、この旗本奴に見覚えがある。
と、その旗本奴、抜刀の構えをみせる。
件の侍は、数歩さがり、腰を沈める。
「この男、先ほどから江戸の言葉使いだが、ややなまりがある。そしてこの構え・・・
 示現流・・・薩摩か」
薩摩といえば、外様中の外様である。
旗本相手となれば、どう転んでも良い結果にはならない。
それにしても、この男かなりの使い手のようである。

※示現流
薩摩古太刀術である。
溜め込んだ闘気を「ちぇーっ」という怪鳥のような声と共に斬撃する。
一撃必殺剣である。
これを、生半可に刀で受けようものなら、刀ごと頭蓋を割られる。

 旗本奴、刀に手をかけたものの動けない。多少、剣術をかじっているため、酔いが醒めるにつれ、相手の尋常ならざる殺気に気圧される。
こんなはずではなかった。
これまでは十人が十人、皆、道を譲り難を逃れるようにしてきた。
「一体、何者なのだ、この男は・・・」
あたりは、町人をはじめ野次馬が集まり始めている。
喚き声は出るが、身体は硬直して動かない・・・
とその時、
「もう、そのくらいにしたら如何かな、水野殿」
思わず振り返ると、井坂勝之助がニタニタ笑いながら立っている。
「い、いさか・・・ど・の・・・」
江戸侍の間で、この名前を知らない者は、ほぼ居ない。
剣術の腕前は勿論、その豪胆さは江戸市中に知れ渡っている。
街はずれに数十人が屯する無法者の巣窟に一人で切り込んだ・・・という逸話の主。
まして、その父親は井坂直弼、今や飛ぶ鳥を落とす勢いの幕閣である。
 旗本奴などが関われる相手ではない。
「そこもとが、一言謝れば済む話ではないのか?」
と言った勝之助の眼は、水野を射すくめるに充分なものだった。
水野は憑物から解放されたように、
「ゆ、許されよ・・・」
言い終わらぬうちに「おうっ、行くぞ」と、逃げるようにその場を立ち去る。
勝之助
「余計なことでありましたか」
「いえ、助かりました。それがしも少し強情すぎました」
「いや、さもあらん。あのような傾き者に虚勢を張られて、武士の面目を潰されては・・・」
「拙者、島津家江戸詰め、東郷平二と申します。失礼ながら、先生のお名前は?」
「これは参った、先生ですか・・・」
「井坂勝之助と申す」

                    

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