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「何分の1」分のアンデンティティ?

時々考えることがある。
何分の1までが血縁があると「部落出身」と呼べるのか。
考えの整理のために、少し書いてみたい。

まず、一つ目にこんな定義を考えてみる。
「One drop rule:アメリカの奴隷制度時代に始まった考え方の通称で,少しでも黒人の血が混じっていれば黒人と見なす」(出典元:imidas

これを参考にすると、片方の親が「部落出身」はもちろん、祖父母、曾祖父母のどちらかでも見なされることになる。
初めてこの定義を見たとき、それなりにショッキングに思えた。
でも、今は奴隷制度時代ではないから、実はそんなに参考にならない。
それに、人類アフリカ単一起源説(ヒトの祖先はアフリカで誕生したという自然人類学の学説)に基づくと、黒人の血はすべての人に混じっていることになる。
(差別者が、変えられない事実を基に特権を握ろうとしていた、暴力的な定義に私には映る)

二つ目は、運動団体による定義。
「歴史的・社会的に形成された被差別部落に現在居住しているかあるいは過去に居住していたという事実などによって、部落差別をうける可能性をもつ人の総称である。(『部落解放同盟綱領』2011年3月4日/第68回全国大会決定)

思ったより広いなぁという印象。あなたも、私も、誰でもということになる。
つまり、血の問題ではないということ。
私の「何分の1が」という疑問はおかしいと、ある意味捉えられる。

三つ目は、行政による定義。
「部落差別(同和問題)は、日本社会の歴史的過程で形作られた身分差別により、日本国民の一部の人々が、長い間、経済的、社会的、文化的に低い状態に置かれることを強いられ、同和地区と呼ばれる地域の出身者であることなどを理由に結婚を反対されたり、就職などの日常生活の上で差別を受けたりするなどしている、我が国固有の人権問題です。」(出典元:法務省

「など」って何だ?と思ってしまう。「など」が引っかかって、分かりにくい。

結局、定義は定義でしかなく、世の中に存在する定義は、定義する主体によって都合よく設定されている気もする。

私の疑問に立ち返ってみる。
例えば、本を読んでいると、「母方が部落出身で」とか「祖母が出身で」などと出てくる。
その際に、残りは部落出身でないのに、どうして部落出身としてのアイデンティティを選び取っていくのだろうと、不思議に思ってきた。

ただ、最近、その見方がすべてではないことも知った。
「私のはなし 部落のはなし」という映画で、「母は出身だけど、私は違う」といっている女性の話が出てきた。
静岡県出身の彼女は、大人になってから母に聞いたところ、実は母方は部落出身であると聞かされる。
でも、部落が何か知らないまま育ったから、「私は部落出身じゃない」という。

前者と後者の違いは、恐らくこうだ。

私は、部落問題の当事者として活動している人から話を聞いていたため、前者のような疑問が浮かんだ。
彼ら彼女らは、何分の1かの自分の背景と向き合い、課題として闘う道を選んだ。
でも、後者のように、表に出ていないだけで、そうじゃない人もいるのだ。
そして、「私は部落出身じゃない」と思っている人に出会うのは、難しい。
だから、例え血縁的にすごく薄いとしても、活動している人にばかり注目してしまうのだ。

後者のような人が、大人になってから部落問題と出会い、部落問題の当事者になっていく話は、『ふしぎな部落問題』(角岡伸彦 著)や『月刊 Human Rights 2022年7月号』でも紹介されている。
後者は、これから当事者になるかもしれない、ならないかもしれない。
でも、部落問題を自分ごとにする取っかかりを持っていることで、当事者になっていく可能性が高い。

要するに、部落当事者のアイデンティティは、何分の1などといった血縁によるものではない
被差別体験など象徴的な何かに触れることで初めて、当事者化するのではないかと最近は考えている。
そういうわけで、部落ディアスポラとして生きる人の中にも色々あると、あらためて考えはじめている。

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