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優しい言葉

ふと読みたくなってシャルル・ボードレールの『悪の華』を買いました。本の裏表紙を見てみましたら、ボードレールの『悪の華』は「罪の聖書」や「近代人の神曲」と呼ばれていると書かれてあります。

わたしはバクチクというバンドのファンなのですが、このバンドのギターを担う今井寿さんは、ボードレールが好きなのでしょうか。彼らの代表曲である「悪の華」もそうですし「ボードレールで眠れない」などボードレール関連の単語が随所に出てくる気がします。

そんなわけで、ボードレールはいつかは読んでみたいと思っていたところなのでした。読んでみた感想としては、わたしはとても好きな詩集でした。自分のように、普段は明るく振る舞っているけれど、その実性格の暗い者たちにとっては安心して読める(笑)ものだと思いました。そうして、不思議と「優しい言葉だな」とも思わされました。

雨ふり月め、この市の全体に腹でも立つか、
抱えた甕を傾けて、近くの墓地の死者たちに
気ふさぎな寒さをそそぎ
霧たちこめる場末には死の影どっとぶちまける。

『悪の華』より幽鬱

全編にわたって一貫しているのは、作者が弱者に寄り添っているところだと思います。忘れ去られる死者、社会や道徳に適応できないもの、悪霊、悪魔、弱者に寄り添っている、といえば聞こえはいいですが、とにかく悪いもの全ての味方のようです。

わたしは自分が善良でないことを知っている、というより、自分のなかに紛れもなく悪い心があることを知っています。で、その悪い心が暴れ出すのは、悲しいことがあったり、辛いことがあったり、環境に適応できなかったりして、心が弱っているときです。これは自分の持論でしかないのですが、世間でいう悪い人間というのは基本的に心が弱い人だと思います。

だからわたしたちは、生きている限りは少しずつでも強くなっていかねば駄目なのです。なぜなら心が弱い、ただそれだけで「悪」に流されてしまうから。

というのを、遠藤周作の『沈黙』を読んだときに思ったのですが。笑
でも、あの物語のキチジローのように、強くなれない人間とは絶対にいるものです。わたし自身だってそうです。いまだ乗り越えられないトラウマがあり、恨みがあり、それが自分を狂わせていると思うことがあります。

わたしが読んだ「悪の華」は新潮文庫の堀口大學さんが翻訳したものですが、調べてみると、この人の翻訳には誤訳が多いみたいで、中には「この人が翻訳したものはボードレールの詩ではない」と言う人までおられました。

が、どうやら堀口大學さんの意訳がわたしには合っていたようでした。少なくともここまで長々と書けるくらいには心を動かされています。そして読み進めていると泣きたくなりました。今のわたしにとってはなんて優しい言葉なのだろうと、そう思わずにいられなかったからです。

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