タナトス!
それは、死の衝動。
↑これはサンドウィッチマンのコントです。
街頭インタビューのコントで、
YESかNOで答える質問のはずがこの質問が出てきたのが面白かったです。
…
……
誰しも死にたくなることは、時々ありますね。
もちろん僕にも。
周りの人には、お前そんな死にたくなるような境遇じゃあねーだろ!って言われるかもしれない。
でも死にたいって感情は僕のものなんだ。
この湧き上がる感情は当人にしか分からないだろうし、
いつどこで死にたいって思おうが人の勝手なんだ。
そりゃあ、今まで大切に育ててくれた両親は悲しむだろうし、飛び込み自殺なんてしようもんなら家族も鉄道会社も大迷惑だ。
じゃあどうやって死ぬのが1番いいのか。
…
……
やっぱり全体火力なんだよね。
アポカリプス・ディを求める人は少なからずいるはずだ。
もろともに死ぬ。絶対的な力によって。
地球が爆発すれば全ての生命は滅ぶ。
そんなのもう、誰にも止められやしないじゃん?
だから諦めがつく。みな等しく死ぬんだから。
他の誰か、それも絶対的な存在から死を叩きつけてもらう。
死を与えてもらう。
受け身の死。
みんな求めている。
「明日地球が滅べばいいのに。」というセリフが陳腐化するほどに。
でも悲しいよ。全員の死ぬを望むなんて。
僕には幸せに生を全うしてほしい人がいる。
だからみな等しく死ぬなんて僕は望まない。
ピンポイントで隕石が僕の頭上に落ちてくるくらいがいいなぁ。
すごい確率だろうけどね。
そんな確率引き当てるならその運を宝くじに使いたいな。生への執着。
でも落下した隕石が直撃しても意外と死なないんだって。
隕石に選ばれしラッキーガイとして一躍有名になれるかも。生への執着。
やっぱり生きたいんじゃん。
…
……
とはいえ人間は生を享けた瞬間から死に向かっている。
寿命だ。
寿命こそがタナトスの表れなのではないか。
人生100年時代とはいうけど、
老いというものが存在しなかったらみんな、もっと生きたいだろ?
体の自由が効かなくなって要介護認定されてまで生きたくないもんな?
シワが増えて腰が曲がって醜い姿で生きながらえたくないだろう。
老人になればただ死ぬのを待つ。死ぬまで無気力にダラダラと何の目的もなく生きる。そんな生き方をしている人は多くいると思う。
寿命があるから死にたい、のではなくて
死にたいから寿命がある、のかもしれないね。
まぁそんなことはねぇんだろうけどな。
みんな、死の衝動を先天的に持っていて、それが寿命というタイムリミットとして刻まれている。
死の衝動を持たないものはタイムリミットが存在せず、永遠の時を生きる。
まぁそんなことはねぇんだろうけどな。
不老不死の人間なんていないもんね。
そもそも寿命なんて感情論とかではなくて生物学的な話なんだろうよ。心臓の拍動する回数とか。
…
……
このまま生き続けるか、死を選ぶか。
人はみな常にその選択に迫られているはずだ。
みんな生きることを選択している。
死の衝動だけでなく、生の衝動も存在するから。
でも死はいつでもスタンバイしてるぞ。
選ばれるときを待っている。
だから生と死は表裏一体なんだ。
…
……
僕はこの先、辛いことがあったとき、もう何もかも終わりにしてしまいたいと思うことはない。
もう少し生きてみたい。
生きていれば色んな人に出会える。
今の僕はそれが楽しみで仕方ないんだ。
死んだらそれは叶わない。
だから死にたくない。
生きたいんだ。
エロス。
それは生の衝動。
僕はひとまず生きることを選択し続けたい。
今そう思える。
生と死について考えた僕はまた一歩、祖に通暁した気がする。
…
……
今日のマイフェイバリットソングスは
「1999」にしなの歌
ノストラダムスの大予言を歌っているようです。
僕は2001年生まれなのでよく知りませんけど。
世界の終わりが来ても、いつもと変わらず愛を歌う。
世界が終わっていく様子を、恋人とともに、綺麗な花火を見るかのように眺めている。
そうして世界が滅亡していっても、
あの世であの夜の続きをしよう。
愛は変わらず相も変わらずそこにあるのだから。
そんな歌です。
ロマンティックですね。
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