見出し画像

【メルボルンでシュウマイを食べて思うこと】

 シドニーから勢いでメルボルンも訪れてる。今回が初訪問の土地で全くなんの知識もなかった上にごく短い滞在だったのでこのnoteを読んでメルボルンがどうとかを判断することのないようにお願いしたい。ものすごく短くまとめるならばメルボルンでシュウマイ食べたってだけのこと。もうそんなシュウマイだけって船橋か千葉で崎陽軒のシウマイ買ってこいよって話だけど実際にメルボルンでの最高摂取カロリーはシュウマイだったのだからこればかりはしょうがない。大きめのシュウマイを二つ食べれば大体のことはうまくいく。そんなお話です。

 まずは空港につきました。そこから事前に予約していたシャトルバスで市内へ向かいました。
 その後に滞在するホテルに荷物を預けてクイーンヴィクトリアマーケットという市場へ向かいました。このメルボルン滞在のハイライトです。最初の2時間で。

 
 まずはチーズ屋さん。掲載しているお店の写真は全て許可を取っています。いろんな種類のチーズがある。特筆すべきものではない。チーズ屋さんにチーズが並んでいる。それ以上でもそれ以下でもにゃい。

なんばグランド花月

 お菓子もキラッキラに輝いてる。映えてる。でも実際にこれらを買うかと聞かれれば?じゃあ視点を変えてみるよ。これらのお菓子をちょっとしたお土産のような感じでもらったら?めっちゃ嬉しいです。
 お買い物って面白い。買って嬉しいもの、もらって嬉しいものがあって面白い。

街角のお好み屋。近所の常連で夕方から賑わう。

 パン屋さんはしっかり焼かれたものが美味しそうに並ぶ。
 本来なら興奮のあまり長々と関係ないことを書き連ねるのが常だけれど諸事情でその熱を生み出せません。淡々と行きます。

オーダーごとにおばちゃんがイカをバッター液にくぐらせてプレスして焼き上げてくれる。熱々の上にたっぷりとしたソース。それを折りたたんで簡単な袋に詰めて出来上がり。

 乾燥した肉が連なる。よく噛んでからアシタカに与えると良いよ。

イズミヤの様子

 魚も並んでいたよ。

東急ハンズ江坂店

 肉もね。並んでいたの。肉屋に肉が!

ローソン 岸辺南店

 このメルボルン滞在もシドニー滞在と同じく夏の果物を多く食べる。メルボルン滞在ではカフェに2度行ったのみで、レストランなどには行かなかった。ユニクロには行った。ユニクロのショルダーバッグめっちゃ流行ってた。
 ALDIというドイツ系のスーパーとマーケットで買った果物やちょっとしたもの。それとお持ち帰りのスシロールでほとんど事足りるし美味しくて満足できた。

キクラゲと卵の炒め物

 マンゴーが好きなので市場で聞き込みを行う。いろんな種類のマンゴーがあるが一体どれが本当におすすめなのか。すると、ケンジントンプライド(写真の店とは別のところで買いました)という種類が一番いいと思うとの回答が。でも価格は他の種よりも安い。ひょっとして良心的なのかこのお兄さん!?
 この後部屋で食べたら本当に美味しかった。濃厚で後味にさらっとした酸味とエレガントなバラのような香り。他の種類と比較していないので本当のところはわからないけれど一個400円でこの美味しさはすごい。イメージとしてはスシローのお寿司一皿のお値段でめっちゃ美味しいマンゴーが一個まるまる食べれる感じ。
 一生のうちにどれくらいの数のマンゴーを食べることができるのかは今はわからにゃい。だから大切に選びたい。

 トマトもカラフル。
 わたしは黄色いものをよく食べます。野菜も果物も黄色いものに目がにゃい。エネルギーが補われる気がするし、そのエネルギーが自分の外にも良い影響を与えそうな気がする。みんなも黄色い果物や野菜を食卓に取り入れるといいかもね。なんだかいい日になる感じするよね。

刻みザーサイ

 みずみずしい野菜や果物で水分を補う。それはとても贅沢なこと。そして大事なことでもある。

 お芋もお買い得。ホテルにキッチンがついていれば茹でて食べたかった。また次回ね。
 市場の活気は街の活気だと思ってるの。血流を送るポンプのような役割があるって思ってる。太陽の見える場所で、空気が流れる場所で、人が大きな声で食べるものを売っている。それを聞くだけで体の中の水分が振動してお腹が空いてくる。食べ物は命で、命をいただいてそれがエネルギーとなる。自分以外の命を食べてわたしは自分の生きることのできる時間を得る。
 光、空気、水。街は動いてる。日本は市場や商店街が減ってしまった。市場の声のようなものとは違う形で大きな声をあげる人が増えたように思う。わたしはそれがとても悲しい。そんなこと世界のいろんなところで起きてるよ、そう思う方もいるでしょう。それでもね、わたしは日本が好きだから悲しいんです。もちろん悲しむだけじゃないよ。わたしにはできることがきっとある。

ザーサイ盛り合わせ

 博物館にも行った。きれいな建物だった。でもね、スケートボードを乱暴に練習するティーンエイジャーから三十代くらいの人たちが10人くらいでその前のベンチみたいな台とかでガシャンガシャンしてて不快だった。スケートボードが悪いと言う話ではなくて、どこでどのように振る舞うかという話ね。これも今わたしが悲しいと思っていることの象徴的なこと。満たされないものをどう消化するのか、そこにも思うことが多い。
 この子達が今目の前にある博物館に入ることができたら?自然や人が作ってきた奇跡のようなものに触れることがあれば?
 1度目は唾を吐くかもしれない。ひょっとしたら思いっきり楽しむかもしれない。いろんなパターンがあるはずで、きっと3度目には「あ、俺これおぼえてる」って感じるものが何点か出てくる。それが子達の感性に小さな温もりを灯すんだ。ほんの些細な灯火でもね、それはとても温かいものだよ。
 かといってわたしがこの子達に一緒に博物館に入ろうっていってもきっとそうはいかない。もしわたしが説得力のある人間であったり魅力あふれる人間であったら少しだけ世界がまともになる可能性が上がる。だからまずは大人が大人として輝くんだ。

ドラえもんの標本

 欲。それは誰もが持っている。わたしが常日頃帆立のお寿司やかんぴょう巻のお寿司を食べたいと願っていることも欲であるし、その欲を抑えることもまた欲であるとも言える。このオーストラリア旅行も全てわたしの欲である。生きるということには必ず欲が存在する。
 欲。わたしはこうしたい。わたしはこう思われたい。だからわたしは今このような状態にあるべきなんです。そしてそれは無条件に受け入れられるべきなんです。そのような思想をよく感じます。
 欲を律するというとは、欲と向かい合い、叶えようと思うのならばそのようになるように考え、行動することから始まります。与えられること、権利、それらと一緒にしてしまうと歪んでしまうことが多々あります。

 例えばSNS。わたしには思想の自由、表現の自由がある。でもその表現には自由がある代わりに責任が伴うよ。自由とは何もかもが許されるというものではないよ。だから欲をある程度律することができなければ争いや攻撃が増えていく。 
 傷つける。何が悪いの?わたしにはこの発言をする権利があるのに?もちろん権利はある。でもそこにはその発言に対するわたしの責任が伴います。権利は法と密接なものですから。
 それを理解しないと、やがて相手の傷を自分の勲章と勘違いするようになる。そんな世界は嫌でしょう?少なくとわたしは嫌だ。だから率先して距離をとります。
 
 

オイルサーディン

 しっかりとした展示から体験型の展示まで様々。とても楽しい。全体としては植物を含む生物学の展示が多かった。

体育館

 欲にとらわれると人は餓鬼道に落ちます。餓鬼となり永遠に満たされぬ強欲に苦しむことになります。なぜなら律することのできない欲に際限はなく、その膨張に追いつくほどの現実など得られるわけがないからです。
 欲。谷が欠けると書きます。谷の底にヒビが入る。底から更に落ちる。良い欲と悪い欲。それらとうまく付き合っていきたいと思います。

14歳

 展示はアートや生活様式、ファッションなども。3時間くらい滞在。

 メルボルンの南側にある市場にも行ってきた。ここはその場で食べるものが多いみたい。

ゲド戦記

 日差しが眩しい。
 

ヤフーオークション

 積まれた鶏卵。
 卵高いよね。でも鶏たちのことを思えばしっかりとした報酬を養鶏場が得ることができてしっかりとした環境で育てることができるためには仕方がないよね。
 とは言うものの日本においては物価の上昇速度は賃金の上昇速度を大幅に超えていると多くの人が感じているはず。
 世の中の多くのことにはエネルギーの移動が関わっています。ここがとても大事で、何をどこへどのように移動させるかを徹底して意識するといろんな無駄がなくなるんじゃないかなって思うのです。本当に必要のない無駄が多すぎる。この世の中に無駄なものなんかない!って話とは別の話です。

バットマンリターン

 この市場、映えてる。どこもかしこも映えて映えて映え倒してる。棚いっぱいのドーナツってもうこれさ、夢に見る光景じゃないか。しかもヌテラまで並んでて気を失いそうになった。

病院の窓に置かれたとうもろこし

 見てよ。敷き詰められたドーナツ。このカロリーだけで一年位分はありそう。一杯のかけそばの世界にこんな光景が出てきたら多分わたし耐えられない。心が苦しい。しかしどこまで映えれば気が済むんや!

富津漁港

 次はパイ生地に包まれて焼かれたものがずらっと並ぶよ。アースカラーといえばアースカラーだけど、日本のお惣菜コーナー的なアースカラーではにゃい。これはカロリーを蓄えた大地の色。斜め上から撮ればもっと映えていたことであろうよ。
 よく考えたら日本のデパ地下って相当映え散らかしとるんとちゃうかな。わたしが小さい頃からずっと映え続けとるよね。

朝獲れのカンパチ

 うずらの卵。こんなパックに入ってるから最初は何か爬虫類の卵か孵化キットかなって思ったの。普通に考えたらドーナツ屋の隣で爬虫類の卵の孵化キットを売るはずがないよね。どうかしてる。砂糖と小麦粉と油の香りでどうかしてたの。オーバードーズギリギリガンギまってた。
 甥っ子がこんな感じのコンテナ内でカブトムシかクワガタかの幼虫を孵化させてた。昆虫って多くの種が土の中で孵化するじゃない。なんか植物っぽさがある。生き物って面白いよね。カブトムシは植物。


ヤンバルクイナ


 疲れていたんだと思う。確かに映えるけどそれはわたしが求めていたものではない。わたしはメルボルンの市場で孤独を感じていた。そしたら焼売を見かけた。

オーガニックフルーツのスムージー

 フロイドメイウェザーJr.に「チャンプ。頭を上げろ。お前はこれまでもチャンプだしこれからもチャンプだ」そう言われた気がした。揮発した糖分と脂質で重い頭を最後の意識を繋ぐように上げる。するとそこには満面の笑みの中国系のおっちゃんの顔があった。
 中国系のおっちゃんがこれだけの笑み。思い出してほしい。食事を提供するお店で笑顔で働く中国系のおっちゃんを見たことあるだろうか。わたしは思い出せなかった。大体はブスッとした感じで黙々と美味しいものを作るために重い鍋をふり、丁寧に何度もいろんな技法で火を入れていく、そんな姿。
 よっぽど儲かっているのか。もしくはよっぽど納得のいく味を決めることができたのか。いや、幸せを感じ取る感性を大事に育ててきた人なのかも。そのどれであるにせよわたしはこのシュウマイを注文して食べなければならぬ。
 黄色い皮のシュウマイと白い皮のシュウマイを指さして脳内が肉汁で爆発しているのに気づいた。脳から肉汁が漏れ出していることに気づいた。「一個。一個」わたしは英語でもなく中国語でもなく日本語で注文していたのだ。それでもおっちゃんは笑顔でわたしの意図を汲み取りそれらをトングで摘み上げた。同時にわたしのハートも、だ。
「ソイソースインサイド」
 おっちゃんがシュウマイを指さして言う。わたしの脳内グーグルに正確な翻訳を依頼すると「こいつはな、練り上げる時にすでにソイソースを混ぜ込んであるのさ。そんでもって抜群にジューシーなんだ。だから別途ソイソースをかける必要なんてねえよ。な?その必要はねえよなぁ?は?ラー油はどうかって?お前なあ、今は俺が質問してんだよぉぉぉ!このソイソースを練り込んでしっとりジューシーに蒸し上げられたシュウマイに別途ソイソースをぶっかける必要なんて安いピッツァの上のポルチーニのかけら程もねえよなぁって聞いてんだよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!なのにお前は質問に質問で返すのか?反問権は得たのかよぉぉぉこのビ○グソがァぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」
と返ってきた。つまりは最高にファンキーってこと。
 

アンチョビとフェンネルのサラダ シチリア風

 シュウマイしか見ずにシュウマイのみを買った。それ以外にも色々なお惣菜が並ぶ。だがその総量は少ない。今まで映え散らかしてきたどのお店よりも少ない。その隣でおばさまが餡を生地に包んで次々とシュウマイや餃子を作っていく。そして大量の客がやってきてはそれらがあっという間に買われていく。つまりガチの人気店ってこと。店の売りはきれいに陳列された状態の絵にあらず。いざ、一本勝負!

 

アルバ産白トリュフのリゾット

 でかい。今ままで捕食してきたどのシュウマイよりもでかい。記憶が走馬灯のようにわたしの脳から右腕を通り箸を経由してシュウマイに触れ、シュウマイが第二の心臓となり鼓動を上げ始める。シュウマイ越しの記憶。蘇州の山で捕食したシュウマイよりも、インドネシアの森の中で捕食したシュウマイよりも、インダス川で捕食したシュウマイよりも、でかい。生まれてこのかたシュウマイのみを捕食して生きてきました。それでもこんなに大きなシュウマイに出会ったのは初めてでした。
 箸とシュウマイとわたしのトライアングルがやがてピラミッドとなり、わたしの持つシュウマイの記憶が世界遺産となる。
 シュウマイを包む皮がパピルスに見えてきた。記憶と記録。記録媒体、それがシュウマイの皮の存在する意義でありわたしは今ここにこの歯形を刻む!太陽!わたしは太陽を克服するぞ!JOJOーーーーーーーー!!!!!!!
 

肉肉しくてぶりぶり。美味しいよ。でもシュウマイってあまり大きな個体を食すものではないかなって正直思いました。なんせ一個のシュウマイがタケダ漢方胃腸薬180錠入りの瓶ぐらいの大きさで、ぶりぶりな分噛む事が困難。崎陽軒のシウマイくらいのサイズが最適なのかなって思いました。


 続いてはビクトリア国立美術館。ここは生涯忘れられないと思う。すごく感銘を受けた作品があったし日本画の美しさも。
 展示されている芸術作品についてはあえて写真などを載せません。もし機会があればぜひ楽しんでくださいね。今現在入場料は無料でした。

 

勝田台駅

  
 美術館でどうしてもほしい本があったけれど買わなかった。そのことをいまだに引きずってる。すごく重いしAmazonで買えそうとか考えたわたしが浅はかでした。どうしよう。美術館に連絡して取り寄せようかにゃ。
 出会い物は買っておくべきってことを学びました。

 巻き寿司と聞いて食べないわけにはいかにゃい。三本の巻き寿司を買い求め街を彷徨う。

ブリ大根

 彷徨う。メルボルンの街は人が行き交い活気があった。空を見上げればクレーンや建築途中の建物の景色が広がる。明るいのにどこか重たくて、なんとなく村上春樹さんの風の歌を聴けを読みたくなりました。
 初めて読んだのって高校生の頃だったかな。授業中に大人しく読んでいて、わたしはそのよくわからないものに惹かれていきました。
 次に読んだのが1973年のピンボール。そして羊をめぐる冒険。ダンスダンスダンス。冷たく冷えたビールやよく選んでしっかりと炒られたピーナッツ、ピナコラーダ。いろんなものや人が出てきては消えていく。時にそれはわたしにも重たくのしかかります。この日の空のように。
 でもその空と向き合うには十分な時間とそれに耐えうる心の準備が必要。だからわたしは風の歌を聴けを読みたくなります。その空を少し遠い場所からみることのできるこの作品を。そして少しの間を目を閉じていると、ねえ、聴こえてくるでしょう?かっこう。












 

本日も【スナック・クリオネ】にお越しいただいき、ありがとうございます。 席料、乾き物、氷、水道水、全て有料でございます(うふふッ) またのご来店、お待ちしております。