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数学とは

数学とは身体的か、それとも身体的でないか。

久しぶりに、読んでみました。
いつぶりかは、思い出せません。

著者の森田氏は独立研究者という肩書きです。
私はおそらく社会的には独立教育者と呼ばれる立場であろうと思います。
独立教育者が独立研究者から学ばせてもらっています。

私は数学というものをこう定義して活動をしています。

「数学とは、ビジネススキルである」

そういう意味で、私は数学というものは極めて身体的なものだと思っています。他でもない私自身、これまでの人生もこれからの人生も、間違いなく数学を使って動作をするし、数学を使って動作をすることを(主にビジネスパーソン)に指導していくからです。私の細胞や血液のほとんどは、数学でできています。

岡潔(数学者)は数学研究を契機に、心の究明へと向かいました。もしかしたら私は数学の学習を契機に、ビジネススキルの究明へと向かった人間なのかもしれない。人それぞれ。だから面白い。


数学とは多面体です。

数学とは、言語である。
数学とは、アートである。
数学とは、風景である。
数学とは、世界(観)である。
数学とは、学問である。
・・・・・・・
どれもが数学の一面を表現しており、間違いはひとつもありません。三角関数が必要だと主張する人がいてもいいし、ある前提においては不要だと主張する人がいてもいいのです。ただし双方が衝突することは好ましくありませんが。

名著。興味のある方は読んでみてはいかがでしょうか。読むにあたってはある程度の数学的素養は求められると思います。いくつか言葉をピックアップしておきます。若干、私の感性による表現に変えているものもありますが、ほとんどが著者の表現そのままです。

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・数学の外に向かうか、内に向かうか

・数を道具としてみるか、それ自体を研究対象としてみるか

・ギリシア語で「学ばれるべきもの」がmathematicsの由来

・数学をする者もまた、日常の行為の習慣を手放すことを余儀なくされる。数学は単に身体的な行為であるだけでなく、日々の習慣からかけ離れた行為なのだ。

・常軌を逸脱した行為の中から、常識を超えた風景が生まれる。それは数学という営みの醍醐味でもある。

・古代ギリシャの数学:実践より理論重視。計算より論証。インドの数学:実用重視。計算がメイン。

・数学者 ニコラ・ブルバキ(フランス) 公理によって定まる構造を重視する「構造主義的」な数学に再編成した。

・数学者は原理的。正しいと証明できるものでなければ信じない。科学者としては素晴らしい姿勢だが、社会においては摩擦を生むことになる。やはり数学と人間(社会)との相性は絶望的に悪い。

・問題が解けることを証明するのは簡単。その問題を解けばいい。しかし問題が解けないことを証明するのは極めて難しい。

・その問題は何を解く問題なのかを明らかにせよ。(例)   次の2つの数字の大小を判定せよ 「9(小さい文字)」と「10(大きい文字)」 どちらでも正解になってしまう。



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