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雑多な考えのまとめ。#7

最近X(旧:Twitter)のアカウントでつぶやいてるからあんまりここに書く必要がなくなってきました。
でも140文字じゃなぁ、というものもあるので引き続きやっていくつもりです。


・気を遣えるにも種類がある

自分は自称、気が遣える人間なのですが、これは人に好かれたい、もしくは嫌われたくないという思いから他人に対して気を遣っています。主に人と食事なり遊びなりの間に「今この人これがしたそうだ」とか「こう思ってそうだ」とかを考えて先回りの行動を取ったり、道を歩いている時に後ろから自転車が来たことを伝えたりして、ちまちまとポイント稼ぎをしています。
ですが、この前会社の食事会で同席した同期の男の子がとんでもない気遣いモンスターでした。
その時までに一回しか話したこともなかったのに向こうは名前を覚えてくれていたし、自分よりも視野が広いと感じることも多かったです。
接していてこの人はとにかく人が好きなんだろうなと感じました。「陽キャ」という言葉は世間で言えば少し揶揄するニュアンスが含まれてると思うので、おそらく「根明」という言葉が適切な気がします。とても快活でコミュニケーション力が高いもののそのテンションを他人に強いるような感じではなくとても接しやすいタイプでした。
自分の気を遣い方は打算的なタイプで言わば「ビジネス」の気を遣いだと思うのですが、彼の気を遣いは楽しんでやっている「趣味」の気を遣いだなと思いました。功利的な心を持った気は性根からの気には太刀打ちできないなと感じました。

ほんとすげぇな。


・自信があることが全てなのか

自分はめちゃくちゃに自信がないタイプで、自信たっぷりそうな人を素直に尊敬しているのですが、時折そんなに自信があって大丈夫なの?と思うこともあります。自己弁護なのかもしれませんが。
自信がある人の中には自分が正しいと信じて疑わない人もいます。自分の意見が正しいのだから違う意見の人は間違っているのだ、という姿勢から他人に攻撃的な人をSNSとかで見かけますし、自分が好きなのだからこれが至高でありそれ以外はダメなんて考えの人もいました。
そういう人を見ると少しゾッとしてしまいます。意見や考えなんて完全に白黒をつけられるものではないし、好き嫌いなんて人それぞれで万人が好きなものなんてありえないと思っているので、そこまで他人を否定できてしまうことに疑問を覚えます。
まぁ人それぞれなんだからそういう強い主張を持つことも自由だろなんて言われてしまえばそこまでなんですが。
結局のところ自信があることがというよりも、他人を否定してしまうことに対して違和感を覚えているだけなのかもしれませんね。


・小学生の時ってなんであんなに友達できたんだろ

小学生の時に友達だった子の家の前を通った時にふと「どういう風にその子と友達になったんだっけ」と思ったのですが全く思い出せませんでした。いつからかも覚えてないのにしょっちゅう遊んでいたのははっきりと覚えています。小学校では友達が割と多かったのですが、きっかけをはっきりと覚えている子は幼稚園が一緒だった、とか親同士が仲良かったとかの一部の子だけでいつから?どうやって?な子がほとんどでした。
きっと今よりも友達のハードルが低かったのはあるとは思うのですが、さらに言えばおそらく積極性が高かったんだと思います。いい意味で恐れ知らずだったんだろうなと。その頃から別に成長なんて大してしてないのに、プライドばっかりが育ってしまって守りに入ってしまってますね、現状は。
久しぶりに小学校の同級生とも会ってみたいけど声掛けてもマルチとかを疑われそうだな。


久しぶりだけどサクサク書けた気がします。
改行とかあんまりしなかったんで読みにくかもですが。

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