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1.17 震災を意味あるものにするために

震災は免罪符になりうる

震災はとてもセンシティブな問題だ。
被災者や被災地の為というだけで、普段はあり得ない色々なことが許されてしまう。

ボランティアには色んな特権が与えられ、周りはボランティアに協力しなければ批判的な目で見られる。ある程度のことが、ボランティアなら許されるのだ。

復興の為なら法律を変えるのも簡単。お金も降りやすい。
だから実体は、ボランティアよりも震災に乗じて儲けようとしてる人の方が多かったりもする。実際、長田区はお金がたくさん出るからと大き過ぎる建物をたくさん建てた。

震災はセンシティブな問題だから、復興への活動に反対意見を言いにくい。言えば、思いやりがないと言われてしまう。

震災の日をどのようにして迎えるべきなのか

1.17や3.11が近づくと、震災の「泣ける話」がよく放送されるようになる。
これから何度も同じような震災が起こることは間違いない。だから過去の震災から学ぶべきことはたくさんある。

でも、そういう放送はほとんどない。そんなかたい放送をしても視聴率をとれないという問題もある。
でも本当の理由は、日本が民主主義だからだ。日本では民意が全てなので、震災に強い町を作るためには民衆の総意が必要になる。その為に「泣ける話」を放送していかないといけない。それが日本のためになるから(?)
そうやって強烈なインパクトをそれぞれの脳裏に刻み込むこんで、いいように人を操りたいという思惑があるのだろう。

だから、せめて震災の日くらいは学ぼう。
震災を意味あることにするためには、振り返るだけじゃだめだ。未来に向けて、自分で考えて行動する必要がある。


僕らは震災から何を学べるのだろう

地震の被害はここ100年のこと。建物がなかったら、ただ揺れるだけ。何かが壊れて被害を受けるということはなかった。そう考えると、人間が作ったものによって被害を受けている。震災は人間が産んだものだ。

震災は、いくら対策しても想定外は起こる。防げないことはある。
だからこそ被害にあわないより、被害からどうやって立ち直るかを知っていくべきだと思う。

地震が終わっても、震災による苦しみは続く。
個人レベルで出来る震災対策は、ソフト面が中心になる。震災でめちゃくちゃになった後、どう生きていくべきか。神戸でも東北でも、それが分からなくてもがいている人は多い。なんとか自分たちで生きようとしている。

そこから学べることはきっとたくさんあるはずだ。

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