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1_08_退屈な会議の対処法。

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あなたが、不幸にも、退屈で退屈で仕方がない会議に出席してしまったとき、残念ではありますが、その会議に対しては、もう、何も期待することができません。諦めましょう。だめな会議にありがちなのが、会議の内容が、事前には良くわからず、出席してみてはじめて、「そういうことなの?」というのが判明するパターンです。しかし、「そういうことなら帰ります。」ということもなかなか難しいと思いますので、耐えてください。
しかし、ただ耐えているだけというのももったいないので、こんなときは、自称「会議評論家」に変身してください。
なぜそんなことをお勧めするのか・・・

ぶっちゃけ!
「ものの見方を一方向からではなく多方向から見られるようになるためです!」

正直に言います。私自身、これまで、退屈で退屈でどうしようもないと感じた会議に出席したことが何度もあります。

組織の規模が大きくなればなるほど、業務が細分化されればされるほど、必然的に関係するメンバーの数が増えるため、その分、会議をスムーズに進行させるための調整の量も増えてしまいます。
そうなると、会議を成功させることがどんどん難しくなり、あなたが会議の主管者でない場合でも、会議を実施する前から「次の会議は上手くいかないような気がする。」と感じることは少なくありません。

実施する前からこんな状態なのですから、実際に会議を実施したところで目的を達成することができたのかどうか。推して知るべしです。出席者が活発に意見交換し、建設的で、無駄がない、いわゆる「会して議する。議して決する。」がしっかりと実践されている会議がどれくらいあるのでしょうか。

会議が上手くいかない原因は様々考えられます。
議事進行役の段取りが悪かったとか、参加者の発言が的外れで議論の道筋を元に戻すのが大変だったとか。
もしも、あなたが、そんな会議の出席者だったとき、「これはだめだ。時間の無駄だ。」と感じ、「その原因はここにありそうだ。だったら、こうすべきなのではないだろうか。」と気付くことができたなら、どうすべきか。

まずは、その会議の軌道修正ができないかを考え、それを試みることが必要です。
自分だけでなく、出席者全員が、貴重な時間を割いている訳ですから、時間の無駄になってしまうのではないかと感じた会議をそのまま見過ごす訳にはいきません。
少しだけ勇気を出して、言い方に気をつけながら、自分が考えたことを素直に発言してみましょう。発言の訓練です。

しかし、もしも、その試みが失敗に終わってしまったら。。。
仕方ありません。その日は諦めましょう。深追いは禁物です。なぜなら、あなたが発言することにより、より大きな混乱を招いてしまうという懸念があるからです。
ただでさえ上手く進んでいない会議に対して、混乱を増幅させることになれば、今度は、あなたが原因で、皆さんの貴重な時間を奪ってしまうことになりかねない。いや、そういうつもりがなくても、結果、そうなってしまう可能性が非常に高い。だから、悔しいですが、引き下がりましょう。

その代わり、その会議がだめになってしまった原因や、その対応策の案など、自分なりに考えたあらゆる情報を”嫌なことノート”に書いておきましょう。
だめな会議の出席者であるということと、改善のための発言が消されてしまったことで、もう、十分嫌な想いをしていることでしょう。だから、次回以降の、より良き会議にするためのネタにしておかなければもったいない。

ですから、今出席している会議については、だめ会議として一度だけ許してあげましょう。改善は次回以降になることも許してあげましょう。しかし、退屈だからと言って、進言が通らなかったからと言って、幽体離脱とかしている場合ではありません。”無視”からは何も生まれませんから。

では、このだめ会議の時間をどのようにして過ごすか?
これに対する一番の対処法は、”会議評論家”になってしまうことです。

あなたは、もう既に、この会議は出席するに値しないと判断したことでしょうから、立派な参加者として振る舞い続ける必要もその意味もほとんどないでしょう。だからと言って居眠りする訳にもいかず、ぼんやりして内容をスルーする訳にもいきません。そんなときに限って「どう思われますか?」と振られてしまうことの多いこと多いこと。ですので、会議で話し合われる内容を聞き逃す訳にもいきません。ならば、徹底的にダメ出しする側にまわってしまおうという訳です。念のため申し上げますが、もちろん、その場で直接発言することでダメ出ししてはいけませんよ。何度も申し上げますが、もうその日は諦めましょう。

急遽、”会議評論家”になったあなたの初仕事は、今、正に目の前で繰り広げられているだめ会議について、ありとあらゆる評論を行うための情報収集です。良い点や悪い点を徹底的に拾い出しまくります。そして、何点満点でも構いませんので、拾い出したものすべてに点数を付け、それがなぜその点数になったのか、理由も添えておきます。

これを実施し続けるとどうなるか?

だめ会議とはどのような会議か?について自分の言葉で語ることができるようになり、自分の勝手な推測でありながらもその原因(らしきもの)を掴むことができ、改善策の案を生み出すことができるようになるでしょう。
それが高じれば、最終的には「だめ会議にならないためのチェックリスト」を自分なりのテンプレートとして作成することができるようになると思います。このチェックリストは、自分だけでなく、仲間にも使ってもらえるようなものになるはずです。より良い会議を実施するために、大いに役立つことと思います。

”会議評論家”の活動として重要なことは、「だめ会議となった原因は何か?」と「原因を引き起こしてしまった背景にはどんなことがあると考えられるか?」の2点ですが、特に2点目については、「誰にとってのどのようなことが原因につながったのか?」を考えることになるので、そのパターンも膨大ですし、ほぼ全面的に自分の推測になります。
だから、その推測が正しいかどうかは、わからないことのほうが圧倒的に多いのですが、そんなことは気にせず、様々な人の立場に立ってみて、その原因までに至ったと考えられる活動を想像してみて、だからこうなったのではないか、と推測してみるという試みが重要です。
つまり、会議評論家になって実施することが、ものの見方を一方向からではなく、多方向から見られるようにするための訓練になる、ということです。

見聞きした「事実」については、疑う余地はありません。しかし、その事実に対し、「だから、これは○○ということである。」とか、「だったら、○○という対応が必要である。」といった見解や判断は、人それぞれに違ってくると思います。このような、いわゆる自分の意見を持つためには、多面的に物事を捉えることが欠かせません。それを怠ると、文字通り”偏見”しか出てきません。
そして、そのような取り組みの中から、「自分ならどうするか?」を考えることで、素晴らしいオリジナリティ溢れるアイデアが生み出せるのではないか、と思うわけです。

もっと言えば、退屈な会議を退屈な会議としてしか認識することができず、ただ時間が過ぎるのを待つだけということでは、あまりにももったいない。それを、「このだめ会議の原因はなんだろう?」とか、さらには「だめ会議だけれと、その中でもだめじゃないことはなんだろう?」など、こういった意味でも多面的な見方を実践することは、決して難しいことではなく、自分の気持ち一つだと思います。

「ちょっと、いろんなことを考えてみようか・・・」と思うこと自体が、既に一方向からだけでない見方をしようとしている表れだと思いますので、「だめ○○」に出くわしたときには、是非評論家に変身して、楽しんで取材してください。
そして、運悪く「ため○○」に出くわしたとき、そのときの気持としては、「反面教師として勉強させてもらいます。」という程度でちょうど良いと思います。どうせ退屈なのですから、悪い見本としての良いケーススタディだと思って、じっくり観察してください。

会議を自分が主管することになったときは、その会議のことについて、報告や相談のために上司と話しをすることが多くなると思いますが、そのときには、既にノウハウとして持っているチェックリストを見せながら抜け漏れのないように話し、自分が進めようとしている段取りの内容をレビューしてもらえば良いと思います。きっと「基本を押さえて、しっかりと仕事ができている。」と褒めてくれることでしょう。
退屈でどうしようもないから実施してることなのに、それで、退屈感は払拭できるわ、上司には褒められるわで、いいことずくめですよね。是非!

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