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1_13_たいしたことはない・・・

このnoteは、投げ銭スタイルで投稿しております。
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仕事で失敗した。上司に叱られた。同僚に冷ややかな目で見られた。例えば、そんなことがあったとしましょう。すると、その日はモヤモヤした気持ちで会社を出ることになるかもしれません。もう、何かにつけて気に入らないという状態になりますので、帰りの電車でも、帰りの車でも、他の乗客の、他のドライバーの、一挙手一投足が腹立たしい対象になる可能性大です。家に戻っても、そのことが頭から離れず、自分でも気がつかないまま、全然関係ない家族に対してもイライラしてしまったり、素っ気ない態度になってしまったり。それが原因で、雰囲気が悪くなったり・・・
こういう状態に陥ってしまう原因は、何も、仕事上の出来事だけではありません。あらゆることにその可能性はあります。しかし、いずれにしても、負のメンタリズムを引きずることに、良いことなど何一つありません。
だから、それが、どれだけ”大変だ!”と思えることだとしても、気に病んで仕方ないことだとしても、全然気にすることなどありません。なぜならば、、、

ぶっちゃけ!
「気にしようが、気にすまいが、死にはしないからです!」
ちょっと乱暴だけど。。。

同じものを見ても、同じことをしても、それを、「ものすごく重大だ」と捉えるか、それとも、「全然大したことない」と捉えるかは、それを評価する人の気持ち次第です。
いかなる物事も、それを”単なる事実”と捉えると、だれが見ても目に映るものは同じ。違うのは、その事実を、どのように捉え、どのように解釈し、どのように思うか、ということだと思います。

トラブルに巻き込まれたときや、状況が切迫しているときは、「全然大したことない」と思うことは本当に難しいことかも知れません。しかし、そういうときこそ、『05_「それが仕事」と思ってみる。』でお話ししたように、”こういう悪しき状況も含めて自分の仕事だ”と、無理矢理で構いませんので、そう思って対応してみてください。

そう思えば、たいていのことは、大したことなんてないのです。

もしも、これが、職場でのお話しだとするならば、こう考えてみてはどうでしょう。
まず、一生懸命やっていれば怒られたりはしない。
怒られたところで、それが何日も続くものじゃない。
何日か続いたところで、閑職に追いやられたりしない。
閑職に追いやられたところで、退職させられたりしない。
退職させられたところで、死にはしない。
死なない限り、頑張っていける。

めちゃくちゃなことを言ってるのは百も承知です。しかし、どうやったって変更のしようがない、過ぎ去ったことをずっと考えていても仕方ありません。だから、このように考えることができれば、今の、自分が置かれた状況と照らしあわせてみて、「まだ大丈夫。」とか、「まだ頑張れる。」と、少しでもポジティブに捉えやすくなるのではないか、と思う訳です。

そりゃ、誰だって、怒られたくないし、追い込まれたくないし、ましてや、職を失ったりしたくなどありません。私だって、困ります。だから、この極端な考え方は、本当にそうなってしまうことを想定したお話しではなく、あくまでも、気持ちの持ち方として、そういう心構えで居ましょうよということです。

もしも、「これは、生まれて初めてと言って良いくらい、大変なことになってしまった。。。」ということに遭遇したとしても、時間の経過とともに、全てが和らぎ、過ぎ去った時間を振り返ったとき、”そんなこともあったな。”と思えることでしょう。
そう思えなければ、何もかもが死ぬほど辛いことであるし、しかも、何一つ和らがないのならば、あなたも私も、とっくにこの世に存在していないことでしょう。

正に戦乱の最中であれば、如何にして戦禍を避けるかということに神経を奪われてしまい、疲弊し、”これがいつまで続くのか・・・”と出口の見えない闇を彷徨ってしまうと思いますが、頑張って耐えていれば、いつしか終わります。
だから、トラブルに見舞われたりして、正に今、「大変だ!」というときこそ、努めて、「いつかは終わる。」と考えて、冷静な自分をいち早く取り戻してください。

とは言っても、これが一番できてないのが、何を隠そう私自身。
トラブルが発生すると、いや、まだ、それがトラブルなのかどうかもはっきりしないうちから、瞬間的に全身に緊張感が走り、冷静さを失ってしまう。そして、気が付けば、心も体も疲弊しきってしまい、フラフラになってしまいます。
だから、これは、自分自身へアドバイスしているようなぶっちゃけ!なのかもしれません。

以前、社内で、とあるボードゲームのようなものをしたことがありました。それは、4人一組で行うゲームで、順番にターンが回っていく形で進められるものでした。
自分の番が回ってきたとき、ある条件下にある場合は、1枚カードを引かなければならないのですが、このカード、ラッキーなことが書かれたカードもあるし、アンラッキーなことが書かれたカードもあります。割合としては、確か、アンラッキーなことが書かれたカードのほうが多かったように思います。
自分がカードを引くことになったとき、思わず、「うわぁ、最悪。」とつぶやいてしまったのですが、それを見て、当時の部長が、「なんで、最初からダメだって決めてかかるの?ラッキーカードかもしれないじゃない。」と言うのを聞いて、ふと気が付きました。
確かに、最初から「だめかも・・・」と思った状態でアンラッキーなカードを引いてしまうと、本当に、底の底まで落ちていく感覚になりますが、「いいかも・・・」と思った状態でアンラッキーなカードを引いてしまっても、自分の中に、笑い飛ばせる雰囲気があるし、何となく、尾を引かない感覚になるな、と。
カードの束から、一番上のカードを引くルールですので、”カードを引かなければならない”と決まった瞬間には、既に結果は決まっています。
ですから、カードを引くときの、引き手の気持ちと結果の間には、全く相関関係はありません。つまり、カードを引く前にポジティブな気持ちになっているからと言って、必ずラッキーなカードが出るとは言えませんし、逆に、ネガティブな気持ちになっているからと言って、必ずアンラッキーなカードが出るとも言えません。
そもそも、相関関係がないのであれば、何事に対しても、あらかじめ、”良い結果になるように思うなぁ。根拠ないけど。”と、イメージするほうが、よほど良いと思います。
あらかじめ良いイメージを持っておくと、そうなったときの喜びが大きいことはもちろん、そうならなかったときのダメージも少なくて済むし、そして何より、そうならなかったからと言ってそれがどうした、たいしたことはない、、、という思考につながりやすいのではないか、と思います。これとて、自分が、その状況をどのように捉えるか、という、気持ちの問題だと思います。

特に仕事の場合、どうせまた、その場面になったら、目の前の”良くないこと”に対して最大限の努力をして困難を乗り越えていかなければならないんです。だったら、それ以外のときは、あまり気にしないほうがいい。だって、足掻く量で、進展の量が決まる訳ではないから。そして、どんなことだって、大したことはないのだから・・・

冒頭の例で言うなら、一旦職場を離れたら、帰りの電車くらい、帰りの車くらい、好きな本を読んだり、音楽を聞いたり、今を楽しみませんか?家に帰ったら、ホッと一息ついて、家族が居るなら、子供が居るなら、みんなと、楽しく団らんしませんか?
その時々を一生懸命楽しんだほうが、気持ちが切り替わりやすくなる。また、改めて、頑張ってみようという気持ちにもなりやすく、良いイメージをもっておくと、そうならなくても、また、たいしたことはないと思える。
まずは、気持ちを軽くしておかないと、物事なんて打開しようという気持ちにはなりませんものね。

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