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”素材病”について考えてみる

脱輪さんのこちらの記事を読んだ感想です。
ちなみに記事の元になったツリーについて以前に一言呟いていました。

・”素材病”と”かろみ”

”素材病”について考えるためにとりあえず俳句に触れよう。
俳句のことを語れるほど知らないが、脱輪さんの明治維新の話から思い浮かんだので。
「いや日本映画の話やろ?」と言われるかもしれないが、映画の話は最後の方に。

NHKの『英雄たちの選択』という歴史番組が好きなのだが、ずいぶん前に松尾芭蕉を扱っている回があった。そこで芭蕉の晩年の俳句理念”かろみ”について出演者の先生が「深く考え易しく語る」ことだと話していて、テレビの前で「芭蕉めっちゃすげえ」と感動したことがある。
芭蕉のことを知らないのに、それまで芭蕉を甘く見ていた。
理由は正岡子規の『俳人蕪村』にある。与謝蕪村はあらゆる点で芭蕉に優れていると子規が再評価した、という国語教育のせいで芭蕉を舐めていた。
(でもそもそも子規の言う”写生”と蕪村の句って全然違うやんか…なんて疑問はとっくの昔に萩原朔太郎が『郷愁の詩人』という蕪村論で展開していたことも知りました。青空文庫で読めるのでぜひ。)

「深く考え難しく語る」のが古典の和歌、また言葉遊びの浅さに留まったのが談林派のような芭蕉以前の俳諧だとすると芭蕉の”かろみ”と子規の”写生”は似ているように見えるが、違う。
”素材病”という言葉と絡めるなら、”かろみ”は素材を手に取ってこねくり回してから語るものでここに主客の分離もなく、”写生”は客観的な素材をどう切り取って語るか、だろうか。
”写生”の方が素材に対して親和的ではないリアリズムがあり、脱輪さんが「明治維新がクソでか」だと語るようにこのリアリズムこそが近代的な産物だろう。

しかし、この”写生”の概念は西洋の絵画の技法を子規が日本の詩に採り入れたものなので、日本文化だけが”素材病”になってしまうことに繋がらない。

だからこの後に子規の弟子の高浜虚子が”写生”の概念を「素材をそのまま提供すればいい」という”客観写生”に発展させ、それが絶対的になったことが”技術軽視”に繋がり”素材病”の原発病巣になったのではないか。

・日本文化は“素材病”に取り憑かれている!
「素材の味のままで·····」という発想が、男性のすっぴんショート信仰や処女信仰にまで通じ、感覚(感じたまま自由に····)重視=技術軽視の傾向と結び付きつつ、王道エンタメへのトラウマを形作っている。

『日本文化は“素材病”に取り憑かれている!』by脱輪

子規が揚げた”写生”は決して「素材の味のままで…」ではなく、自己の内面によって素材を切り取るものであったし、そこには”かろみ”と同じく「深く考え」ることが必要だったわけで、虚子もそれを引き継いだはずだが、言葉だけが絶対化されたせいで日本文化は病んでしまった。
王道エンタメには”かろみ”と同じく「深く考え易しく語る」ことが絶対必要なのである。
(関係ないんですが、処女信仰も日本で近代以前にあったのか、ぜんぶ明治維新のせいじゃないのかという疑問も浮かびました)

・王道エンタメと軽佻派

”素材病”の一つの原因かもという例として子規や虚子について語ったが、その問題は彼らではなく、彼ら権威に対して盲目的に服従することである。
戦後、日本の文壇に対するアンチテエゼとして織田作之助が書いた『可能性の文学』という文章があって、それにも同様のことが書いてある。
この文章は志賀直哉以来の日本の正統な小説、オダサク曰く”偶然を書かず虚構を書かず、生活の総決算は書くが生活の可能性は書かず”のまさに”素材病”そのもののような小説へ反旗を翻す文であり、脱輪さんの記事のように日本の王道エンタメへの嘆きを書いた文でもある。

・いいかげん、ウチらの国は“素材病”から脱却して、火を使い(他者へのお・も・て・な・しではなく自己の肉体性=エゴと向き合い)、調理することを覚え(=技術)、文句なしにおもしろい王道エンタメ映画を作るべきではないのか?(=素材がどこ産で〜とかじゃなく、とにかく食って旨い料理を出してくれ!)

『日本文化は“素材病”に取り憑かれている!』by脱輪

彼等は人間を描いているというかも知れないが、結局自分を描いているだけで、しかも、自分を描いても自分の可能性は描かず、身辺だけを描いているだけだ。他人を描いても、ありのまま自分が眺めた他人だけで、他人の可能性は描かない。彼等は自分の身辺以外の人間には興味がなく、そして自分の身辺以外の人間は描けない。

『可能性の文学』by織田作之助

映画と小説、時代も異なるが、このお二人の嘆きは同じものに見えるのだ。

さて、こんなオダサクとともに「日本軽佻派」を名乗った映画監督が川島雄三である。
45歳という若さで日本の映画の斜陽期を見ることなく死んだこの監督が、同年代の市川崑と同じくらい長生きしていたら、と考えると、まあたぶん何も変わっていないかもしれないが、”愛国者”としては惜しい人を早く亡くしたと感じてしまうくらい好きなエンタメ監督だ。

そして、この”軽佻派”という言葉が好きだ。
映画や小説には深みはもちろん必要だが、ある程度の浅薄さも必要であると権威に対して自嘲する意味合いの言葉で、戯作精神と言い換えられるかもしれない。前述した”かろみ”と通じるものがある。

・最後に

”写生”は、”素材の味をそのまま…”という意味でもなく本当は”素材病”に繋がるものではない。無秩序である客観的な風景を(絵画なら消失点を軸として)秩序あるものとして再構成するものだ。

それから、思い浮かんだのが小津安二郎である。

吉田喜重が小津映画について、無秩序である現実を映画というまやかしで秩序的に再現したもの、と語っていたが、(戦後の)小津作品こそ日本の家庭という素材を本来の意味で”写生”した映画で素材の味を大事にしつつ”素材病”に陥らなかった映画かも、と思った。

ちなみに小津安二郎は俳句が好きだったらしい。

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