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望んで、望んで、望めばいいよ。

読書が趣味ではあるけれど
幅広くいろいろな本を読むかというとそうでもなく
かなりジャンルは偏っている。

本棚に並んでいるのは心理や精神世界や
人生哲学やスピリチュアルな分野のものばかり。

ほとんどその分野のオタクだ。


そんなわたしが初めて
「引き寄せの法則」というものに出会ったのは
ロンダーバーンの
「ザ・シークレット」という本でだ。


当時、鬱と不眠の治療に通っていた
心療内科の医師がわたしに勧めてくれた。


心療内科医(精神科医)がそんなドスピな本を
治療中の患者に勧めてくるなんて
今では少し驚きだが
今思うとあの先生、
かなりそちらの分野にも詳しかったんだな。


かれこれ15年以上前の話だ。


わたしは鬱だったし
実際にネガティブな現実を扱いきれず
(そのほとんどが母との関係で起こることだった)


常にぐるぐる思考で押し潰されていたのを見て
” 思考が現実を創っている ” ことを
あの先生は、それとなく伝えてくれたのだと思う。


実際に、先生の言葉で直接
「思考が現実を創っている」と言われたら
鬱状態の当時のわたしには圧が強く
単に ” 説教 ” と感じただけかもしれない。


初めて出会う引き寄せの法則は
本当に衝撃的だった。


自分の波動が自分の現実を引き寄せている。
だから現実を変えたければまず先に
自分の波動を変えていけ、
というのが引き寄せの法則の本質だ。


豊かになりたければ、
目の前の現実を無視して
まず心の中を豊かな氣分で満たせ。


恋人が欲しければ
今、実際に恋人がいないという現実を無視して
もし恋人がいるとしたらどんな氣分になるかを想像し
そのしあわせな氣分の中にいろ。


その氣分に合わせて
後からそれに見合った現実が創られていくから。


現実は鏡だ。
そしてあなたの波動(氣分やそれを生み出す思考)が、
鏡に何を映し出すかを決定付ける本体だ。
鏡は先に笑わない。
まず、あなたが先に笑え、というのが
引き寄せの教えの原則。

そして「ザ・シークレット」では
願いの叶え方、みたいな書き方で
その法則の本質を語っていたように記憶している。

(もうその本は手放してしまって手元にないので、当時の朧げな記憶で書いているけれども。)


BMWの車が欲しければ、
その車の写真でも眺めながら
実際にそれを運転している自分の氣分を想像し、
それに浸ること。

そうすると、
いつの間にかその車は手に入っている、
というような。


それらはわたしに
甘く魅惑的な夢を与え
わたしの氣持ちは確かに少し明るくなった。


もうこの苦しい現実から
どう抜け出せばいいのか
いつか抜け出せるのか
夢を見る氣力や
出口の先の光を見る信念も
失いかけていた時期だったから。


そこで実際に色々試してみた。


小さなものから大きなものまで
叶う願いもけっこうあった。


だからしばらくは
この遊びに夢中になって
あれも叶えたい、これも叶えたいと
望みをノートに書き出したりした。


そのうちに、
ビジネスや
色々な成功法則のセミナーなどでも
" 望みリスト " を作るとか
”願いを現実化する方法”とかのテーマで
それらが活用されていくのを
多く目にするようになった。

(この頃にはもう、鬱は完治して通院を卒業し
 その先生とお会いすることもなくなっていた。)


その辺りから段々と
わたしの中で引き寄せの法則や
望みリストの作成は
なんだか苦しいものになっていった。

それは多分、
叶う叶わないに焦点を当てすぎたり
それが執着になっていったり


あるいはまた


世間や周囲に評価されるものと
自分の本当の望みとを混同し
その棲み分けができなくなって
かえって自分の本音を
見失っていったからだと思う。


実際に
「引き寄せ」という言葉が一般的になればなるほど
「引き寄せられない」とか
「願いが叶わない」と言って嘆き、
逆に苦しんでいる人たちも増えていたようだ。

そういった人たちを
「引き寄せの法則は魔法じゃない。願うだけで行動しないスピ難民」
と揶揄したり
「エゴの願いは叶わない」とか
「エゴまみれになって、かえって波動が落ちる」とか
警鐘を鳴らすスピリチュアルリーダーもいたりした。


今は思う。


望みというのは外側の
自分以外の誰かや何かになるために


それになるために
それに近づくために


あるいは
誰かに羨ましがられるために


そこに到達する可能なルートを
思考で考え抜き
無理矢理に引っ張って来たり
力づくで絞り出したりするようなものではない。


もっと自然に湧いてきて
その湧いてきたものに
丁寧に大切にジャッジなく
耳を澄ませて聞き取るのようなものなのだと。


望みを出すとか、
目標を設定するとかいうよりも
そっと汲み取るという方が
わたしのイメージに近い。


自分の内側からの声に耳を澄ませ
聞き取る。
受け取る。
汲み上げる。

それを素直に言語化していく。


それには自分との対話が不可欠だ。


どうしたい?
今、何を思ってる?
わたしに、どんな行動を取ってほしい?


その問いかけの繰り返し。


言語化された望みが
自分の奥底に届いた時、響いた時は
次の瞬間から自分が変わった。


努力とか重い腰を上げるとかいう感覚ではなく
スムーズに歩き出せる感じ。


さ、やろう!
みたいな軽やかさ。


本当の願いにコミットしたら、
自然と動き出せるのだと思う。


それが「決めるだけ」とか
「設定する」とか
言われているものの正体な氣がする。


自分なりのその結論に至るまで
わたしもそうやって色々と
右往左往して来た。


イメージしても叶わないものをみて
「エゴの願いだったんだろうか?」とか

こんなことばっかりしていたら
エゴまみれになってかえって苦しい!とか。


ただ、
引き寄せの法則で一番肝心なのは
あなたの思考や波動と、
現実はリンクしている、関連しているから、
現実に不満があるなら
自分の内面で何が起こっているか見つめ、
それを変えていきなさいということなのだけれど。。。


そして今は思うのだ。
エゴ(自我)まみれの願いでも
真我からの願いでも
もしそれが、
自分の内側から聞こえてくるなら望めばいい。


望みに向かって歩けばいい。


世界平和を望む声が高尚で
億万長者になりたいと思う心が低俗だなんて
そういうジャッジも、いちいちいらない。


そもそもわたしは、
聖人君主ではないし
それを目指してもいない。


だから素直になんでも望めばいい。
望んでみて、苦しくなったら
その望みを捨ててもいいし
より心にしっくり来るものに
修正をかけてもいい。


望んで 望んで 望めばいいよ。


それが人生を創っていくし

それが生きるということなのではないかな。


今日この日まで生きてこられた
自分への恵みと奇跡に感謝しながら。


そして自分の望みは常に
自分の内側が教えてくれる。


どうしたい?
何をしたい?
この先どこに向かいたい?


常に自分が自分に聞いて行く。


答えは常に、内側から来る。


みんながみんなBMWがほしいわけじゃない。
誰しもが世界1周旅行に出たいわけでもないし
ペットと暮らしたい人も、
暮らしたくない人もさまざまだ。


望みの中身は人の数だけ、千差万別だ。


それを個性と呼ぶのだろうし
自分だけの望みを自分で汲み取り
それに向かって歩くことを


自分らしい人生と呼ぶのだろう。


だからこれからもわたしは
望んで 望んで 望んで生きよう。









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