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わたしに繋がる最適環境

今日は無性に外で本が読みたくなり
一人で静かに本を読むのに最適な
近所の喫茶店に行って来た。


そう、カフェじゃなくて喫茶店という感じのお店。


珈琲の種類やブレンドが何種類もあって
お客さんの顔を見て
その人のイメージに合わせた食器で淹れてくれる。


店内は一人で来ているお客さんが多く
ゆったりとかすかに流れるジャズのBGMが
誰かのおしゃべりで聞こえなくなることもない
静かな静かなお店。



逆に友達とおしゃべり目的で行ったら
ちょっと迷惑かな?と思うほど
静かなお店だ。


ゆっくり自分と繋がって
本の世界に入っていくには
最適な環境。


まだ20代の頃
鬱になったことがあり
その時、一番先にダメになったのが音だった。


テレビの音、街中の騒音、流行りの音楽。


あらゆる音が自分に揺さぶりをかけ
如実に具合が悪くなった。


なのでその時期は
家の中で無音で過ごすことが多かった。


そして唯一大丈夫な音楽が
クラシックだった。


別にそれまで、
クラシック好きだったわけではないのにも関わらず。


心療内科の主治医にその話をすると
鬱の人のあるあるらしく
そのために心療内科の待合室の音楽も
クラシック音楽以外
かけていないとのことだった。


骨折でも一度折れた骨は
またくっついたとしても
その部分は脆くなりやすく
以前のような強度には
戻りにくいという話を聞いたことがあるが
メンタルもその傾向があるのかも知れない。


鬱になる前はそんなことはなかったのに
それ以来
わたしは未だに騒音が苦手だ。

テレビをBGM代わりに付けっ放しにすることは皆無だし
車の中も自分一人で運転している時には
音楽は何もかけない。


逆に話していても人の声に敏感になった。

聞いていて心地の良い声、
心地の良い話し方というのがあって、
(あくまでも ”わたしにとって” )

どうも声というのは
その人のエネルギーなのか
人となりなのかが
誤魔化しようがなく乗るようで
心地よいと感じる人の声だと
話の内容の如何とは関係なく
ずっと聞けるような感じがある。


きっと影響を受けやすいのかも知れない。


わたしという性質の中に
そういう他からの影響の受けやすさのようなものがあり
本当に自分に繋がりたい時
自分の声を見失わないでいようと思う時
静かな静かな静かな環境が
必要なのかも知れない。


だから家の近所に
静かな静かな環境で
ただ自分一人の時間を自分の内なる声だけを聞いて
過ごしたい人が集まってくるようなお店があることは
わたしにとって
この上のない幸運なのです。


ゆたかな時間を、ありがとう。

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