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価値があるのは成果じゃなくて、強みじゃなくて、人だから。

昨年末から週に2−3回パートで働き始めています。

収入面で働く必要があるからかというと
それはもちろんある。
(これから子どもにべらぼうにお金がかかる予感しかない。)


・・・のだけれど
それ以上に、

ずっと家の中でコツコツとしたこと
(例えば占いとか)だけをしていると、


氣分が変わらないとか
体力が落ちるとか
色々と他の面でも
「なんかエネルギーが落ちるなぁ」
と感じることが増え


時々は外に出て働く必要を感じたから
ということも、あったりします。


わたしは働くことは基本的に好きで
目の前のことに集中して
心を込めて仕事をすることが
とても楽しいです。

どんな仕事であったとしても。
(よほど適性がない仕事でない限り。)

今回の職場は
採用基準はどうなっているんだ?
というくらい
良い人しかいない。


職場というのは大抵
一人か二人くらいは
癖が強かったり
アクが強かったりする人が
いるものだと思っていたけど
そういう人が一人もいない。


どうやったらこういう人選が可能なのかしら?


面接くらいじゃ人柄なんて
そこまで深くはわからないよね?


何らかの選考基準のせいでこうなら
その基準、
各企業とも教えてもらったらいいのでは?
と思うくらい、良い人ばかりです。


お客さま相手の仕事だけれど
まぁこのお店、仕事が丁寧。


わたしは元々このお店のお客で
このお店のファンでもあったのだけど
裏方に回ってみて
「こんなに丁寧に心を込めてやっていたんだ!!」と
結構感動したものです。


ですがその分、
スタッフに求められる姿勢、態度、あり方などは
なかなか厳しいものがあります。


パートであっても、
業務中必死にメモを取り
毎回家で復習してから行かないと
当日結構仕事になりません(汗)。


ただそういう姿勢で働いた方が
こちらも充実感だとか、
達成感だとかあるので
そのこと自体には別に
不平不満はありません。


だけど一点、
たった一点だけ
思うことがあります。


ある社員の方が
とても良い人なのだけど
いまいち仕事ができないらしいのです。


パートのわたしレベルでは
その出来なさは
そんなに氣にならないというか
氣がつかないというか


まぁその程度の凸凹は、
人にはあるよねと思う程度なのですが


経験年数から言って
会社からしたら
もう少し出来ててほしい状態のようです。


みんな良い人だから
その人が傷つくような物の言い方をしたり
他の人とその人で
態度に差をつけたりはしないけど


でもパートのわたしにも
周囲が  "困ったなぁ" と思っているだろうことは
感じ取ってしまえるような空氣はあります。


そうなるとわたしの方もなんとなく
その人の何がそんなに問題なんだろう?と
観察してしまうことがあります。
(失礼だな。ごめん。)


占いをやっているせいもあるのか
「この人のきらりと光る強みはどこだろう?」的に。
(よけーなお世話。。。)


結果、こういう人って別に
どこの職場にもいるよね?
というのがわたしの感想。


わたしは夫と職場結婚なのですが
例えば夫の職場(わたしの元職場)では
確かに人より多少ミスが多かったり
その時その時での必要な流れを掴むのが
少し苦手だったりする人は


管理職になったり
出世したりはしていかないかもしれないけれど
その人なりに真摯に仕事に取り組んでいる
イチ社員としては
やはり貴重な存在なのではないかなぁと。


何より周囲に優しく、
氣配りもして
人のミスも責め立てることなく
黙ってフォローするような
良い人だし。


そりゃあね
舐めた態度で仕事して
それが故にミスを連発して
クレームを大量生産するというのであれば
それは困ると思うけど
普通に真摯に働いてるじゃん?と
思うのですよね。

そこでわたしは、はたと思いました。


ちょと成果主義過ぎるせいではないのかしら?と。


それはこの職場に限ったことではない。


学校教育の場でも
家庭教育の場でも


社会全体が
何かができることが良いことで


成績が良いのが良いことで
運動ができるのが良いことで
何かを創り上げられるのが良いことで
お金を生み出せるのが良いことで


しかもそれを
より高く、深く、広く、満遍なく
できればできるほど良いことだって。


確かにそれはそれで、素晴らしいことでしょう。


価値のあることでもあるでしょう。


だから、その価値をたくさん生み出せる人が
評価されやすい構造になっていくのでしょう。


でもさ。


そもそもは順番が
違ったのではないかなーと思うのですよね。


そもそもは
もともと価値のあるその人が、
生きていくために働いているんだよね。


価値のない誰かが、
働くことで価値ある存在になるために
生きているわけじゃない。

人のために仕事があるのであって
仕事のために人がいるのではない。


いつから強みや
才能や
成果や
結果や
お金が
その人そのものよりも
価値があるもののように
扱われるようになったのだろう?


これはもしかして
現代の病のひとつなのではないかなと思います。


価値のあるその人が
凸凹はありつつも
いま目の前のことに一所懸命に取り組んで
自分と人のために働いている。


それを超える価値ってないよねと思う。


そう知識や概念としてではなく
本当に腑に落ちて


自分自身と
自分の子どもと
自分の周囲のすべての人に対して
見る目が変わったわたしがいたの。


それはこの先のわたしの生き方や
子どもとの向き合い方を確実に
より楽で温かいものにするだろうと思うのです。


ありがとうございます。


その人は、今月末で退職されるそうです。


できるだけわたしにわかりやすいように
言葉を尽くして仕事を教えてくれて
ありがとうございます。


ミスしても
嫌な顔ひとつせず
いつもフォローに入ってくれて
ありがとうございます。


接客が素晴らしい
説明がわかりやすいと
わたしの心が折れそうになる
少しだけ前に
いつもプラスのフィードバックをして
自信を与えてくれようとして
ありがとうございます。


あなたは素晴らしい
上司であり、先輩であり
人でした。


公私共に
今後ますますのご活躍とお幸せを
心より
お祈りしています。


ありがとうございます。









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