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117 「先生の電話」心得

以前、教師の「電話力」という記事を投稿しました。
途中にあった話題を今回は掘り下げてみようと思います。

「先生、今日も電話してましたね」とよく言われます。そういや今日も、同じようなことを言われました。事務連絡ならすぐに終わりますが、話し込むこともあります。

「お家でのご様子はどうですか」

さっと切り上げることもあれば、こうやって聞き取りをしたほうがいいときがあります。見極めの方法はありません。僕は手数を多くし、声色とか、返答とかから読み取ります。タイトルは「心得」とありますが、心得など本来ありません。

心得ではなく、心がけ。

こういう気持ちで電話でじっくり聴きます。「聞く」から「聴く」モードです。中学校で担任をしていた頃は、誰にかけるかメモしないと忘れるくらい、何件もかけていたことがありました。子どもたちが幼いので、足らずの部分を僕とお家のひとで、お互いで補完し合うような話をしていたように思います。

高校の先生になってみて、わかったことがあります。多くの生徒は家で話しません。特に自分に都合の悪いことは言いませんし、わからないことが圧倒的に多いもの。だからこそ、見えていない者同士でやはり補完します。

ちょっと逸れますが、子どもが何を考えているかわからない、見えないと思うことがあります。学校とお家とで、隈なく見逃さないようにするのもいいと思いますが、僕はこの立場を取りません。

僕もお家の人も、見えないところは見えないままでいい。だからいっしょに考えられるのだと思います。

第一、子どもに逃げ道を与えず息が詰まるような関わり方は得てしてうまくいきません。逃げていいし、場合によってはわかっていながら〈逃がす〉こともあります。そっちに行くよね、とわかっていて放置。そっちに行ったら「やっぱりこうなりましたね」と、起きたことで考える。

未然に防ぐべきこともあります。でも、命の危険や安全を脅かすようなことでなければ、子どもの行き先を完全に封鎖してしまうのは逆効果に思います。自制できる子は「ここからは行ったらあかんよ」と言えば鉄柵もいらないし、罰則もいりません。一本のラインを引くだけでいいし、そんなものも必要ないかもしれない。

多くはそうならないし、それを日常目の当たりにしている家族はたまったもんじゃないと、そう思っているから「どうですか、最近お家で??」という投げかけが有用に思えるのです。

電話で伝えるべきことは

電話でいったん〈聴く〉モードになったら、注意深く相槌を打ちます。「うん、うん」のときもあるし「はい、はい」のときもある。「うん」は失礼だとか、そういうテクニカルなことや相手への敬意がないとか、そういうのはここではあまり関係ありません。あとから思えば「あ、もうちょっとこうすればよかったな」と思うこともありますが、相談しあっている時間を共有できることが何より大切だと思うからです。

「先生、たいへんですね」と、電話を切ったら言われることがあります。近くで聞いている先生方からはそう見えるかもしれません。でも、僕は「ここは聴くか」と思って聴いているので、そこまで負担に感じません。長くなりそうなら「また、ゆっくり話しませんか。気づいたらけっこうお時間いただいているようなので」と、やんわり次回を促します。2時間くらい話して耳が痛いことも、かつてはありましたねえ…(さすがにこれは疲れます 笑)

先生からの電話は、だいたいのご家庭で「おっ」と構えるものです。だからこそ、ビジネスライクにさっと切り上げるときもあれば、「今日はちょっと相談があるんです」「言いにくいことなのですが」と、わざとその特別感を利用することもあります。

先の〈心がけ〉以外でもし心得があるとすれば、気になったらかける。これは冒頭の記事で述べました。

手書きのアナログさがこの時代にかえって人の心をうつように、電話にも同じものを感じます。伝えるべきはコトでもモノでもない。そう思ってこれからも電話で話すのだろうと思います。

スギモト