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113 〈理〉と〈情〉

正論が通用する対話はある意味簡単だ。そしてそういうときの正論とは相手の言論を封じるためのものであって、実は対話の余地がない。大きな武器だけど、やり方を間違えばこちらは正しいが絶対に埋まらない断絶を生む。

と、いつもみたいに難しい書き方をしてみたけど、言いたいのは「結局は情だよね」ということ。こっちで対話を終えられるとだいたいは両者幸せなかたちで終われる。体力もいるし、腹を割って話さないといけないし、負けたくないという気持ちではおそらく情で対話を終えることはできない。勝たなくていいところで完全に勝ってしまうとあとからやりにくくなるだけだ。負けにいくというわけじゃなく、相手を言い負かそうということを手放した対話であるということ。僕が思う指導の理想形。特に保護者とヒリヒリする対話の場合は。

「おかあさん、こんな話ばっかりしてほんますいません。こいつ、ほんまはこんなことしたくないと思うんですよ」

「僕はそこまで思い至りませんでした。いっしょにいてたらつい、わかって気になってしまうんですけど、やっぱりそうじゃないですよね。いっしょにいるだけで言うこと聴いてくれるならおかあさん無敵ですよね」

「心配ですよね、そりゃ。今ならそれはわかるんですけど、僕はそのときそこまで気が付きませんでした」

もう話すのがしんどくなって、こういう感情の吐露で思わぬ方向に話がいくことが多々あった。生徒指導の究極のノウハウがあるとすれば、結局は自己開示じゃないかな。そして、譲れぬラインをしっかり相手に伝えること。そうでないと何でもありになる。そこの駆け引きは経験かな。

〈情〉だけでもダメ。〈理〉があるから〈情〉が活きる。難しいわ。でも、こういうのが実はめっちゃおもろいんですよね。

スギモト