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土管のむこう

 今回も私の幼少期のお話です。

以前にも少しお話しましたが、私は小学校1年まで市の中心部に住んでいました。
当時は高度経済成長期が始まったばかりで、私の家の近くでも戦後すぐに建てられたバラックと呼ばれる木造家屋から、モルタル造りの一戸建てにどんどん建て変わっている最中で、あちらこちらに空き地がありました。

また、インフラ整備も進みはじめていて、空き地には下水道工事用の大小の土管が積み上げられていました。
ちょうど「サザエさん」や「ドラえもん」に描かれているような空き地がリアルに点在していたのです。

また、これは私の地域だけだとは思いますが、公設のゴミ箱が道の脇にいくつか設置されていました。
大きさは奥行きが深めのドラム式洗濯機くらい。
両側面と背面がモルタルだか、コンクリートだかで造られており、少し手前に傾斜した上面には木製の蓋が、前面にも取り外して掃除ができるように木の板がはめられていました。
底はなく、中は地面がむき出しの状態です。

当時はまだプラスチックゴミはほとんどなく、生ゴミは庭に埋めるなどして各家庭で処理していたので、ゴミ箱に入っていたのはほとんどが紙のゴミだったように記憶しています。

そのような周囲の環境のなか、幼かった私たちは空き地でさまざまな遊びをしていました。
ある日のこと、6,7人でかくれんぼをしていたときに、近所のお菓子屋の息子Kくんが一時行方不明になるという事件がおきました。

親や近所の大人たちが探しても見つからず、いよいよ警察に通報しようかという頃になって、空き地の土管から泣きながら這い出てきたので、事なきを得たのですが、大人たちは土管の中は何度も見たのにと不思議がっていたのを覚えています。

そのあとすぐに私は郊外に引っ越してしまい、事の詳しい経緯はわからずじまいだっらのですが、のちにKくんとは偶然同じ高校に通うようになり、約10年ぶりに
行方不明だった時のようすを聞くことができたのでした。

かくれんぼをしたあの日、Kくんには最初から隠れ場所のあてがあったのだそうです。
それは、空き地のそばにある、鍼灸院の板塀の前に設置されていたゴミ箱の中でした。
これまではその陰にかくれて、すぐに見つかってしまっていたので、今度はその中に隠れてやろうと思っていたのでした。

鬼が10数えているあいだに、Kくんはゴミ箱に走り寄り、蓋をとって中をのぞきこみました。
ゴミ箱は掃除したばかりらしく、中には何も入っておらず、底の地面がひんやりとした色をたたえて見えているだけです。

Kくんはしめしめとばかりに潜り込み、頭と両手で頭上に木の蓋をささえるようにして、少しだけ隙間をあけてあたりの様子を確認していました。
鬼は一度だけゴミ箱の陰を見に来ましたが、そのあとは見当違いのところばかりを探しています。

Kくんはしばらくその様子を目で追っていましたが、いっこうにこちらの方には来ないので飽きてしまい、しまいには頭上の蓋を閉じてしまいました。
真っ暗なゴミ箱の中はひんやりとしていて心地よかったそうです。
彼はしだいに眠たくなってきて、膝を抱えたまま寝込んでしまったのでした。

どれだけ眠っていたのでしょう。
気がつけばあたりはしんと静まりかえっていて、仲間の子どもたちの声も聞こえてきません。
Kくんは頭上の木の蓋をそっと持ち上げてみました。

見るとあたりはすっかり夕暮れになっているようでした。
茜色の曇り空のもと、街全体も少し濁ったようなオレンジ色に染まっています。
Kくんはゴミ箱を抜け出し、あらためて周囲を見回しました。
空き地には誰もおらず、周囲にも人の気配はありません。

彼は不安になって表通りまで駆けて行きました。
しかし、ふだんは車が行き交っている県道にも一台の車も走っていませんでした。
大声で友達の名前を呼んでみましたが、答えてくれる者は誰一人としてありませんでした。
静まりかえった夕暮れの町でKくんは一人呆然と立ちつくしていました。
その足元には彼の不安な心を象徴するように、自身の影があいまいな色を帯びて薄く伸びているばかりです。

するとどこからかかすかな音が聞こえてきました。
パカリ、ポクリ、パカリ、ポクリ、パカリ、ポクリ…
音のする方を見ると、県道を一頭の栗毛の馬が荷馬車を引いてこちらに向かって来ています。

パカリ、ポクリ、パカリ、ポクリ…
荷馬車の荷台には電信柱にするらしい一本の細長い丸太が積まれていて、その先端につけられた真っ赤な小旗がひらひらと揺れています。

パカリ、ポクリ、パカリ、ポクリ…
手綱を引く者は誰もおらず、ただ一頭の馬だけが首を上下にゆらしながら、蹄(ひずめ)の音を響かせてゆっくりと歩いて来るのでした。
Kくんの前を通り過ぎるとき、馬はその大きな丸い目で、道端に立つ彼をジロリと一瞥しました。
それを見てKくんは急に恐ろしくなり、近くにある彼の自宅の菓子店へと逃げて行ったのだそうです。

息をはずませて走り込んだ店先にはやはり誰もいませんでした。
両親や姉の名を呼びながら、奥の部屋を見てまわりましたが、どの部屋ももぬけのからです。
彼は半ベオをかきながら店頭へと戻ってきました。

店にはふだんと同じように、色とりどりのお菓子が並んでいます。
それらを眺めていると、Kくんは急に空腹であることに気が付きました。
今ならつまみ食いをしても両親に叱られることはなさそうです。
彼はそっと黄色いキャラメルの箱に手を伸ばしました。

その時ふいに間の抜けたような音楽が鳴り始めました。
近くの県庁から流れる夕方5時を知らせる音楽でした。
ドヴォルザークの交響曲第9番、「新世界から」の第2楽章、通称「家路」のメロディーが、無人の夕映えの町に、間延びしたゆっくりとしたテンポで流れています。
その物寂しいメロディーを聞いていると、彼は再び恐ろしい心持ちになり、キャラメルを取ることも忘れて店を飛び出しました。

再び県道に出ると、さっき馬がやってきたあたりになにやら黒い影のようなものが見えます。
目をこらして見るとそれは一頭の黒い大きな犬でした。ドーベルマンでしょうか?
さっきの馬同様ゆっくりとした歩き方でこちらに向かって来ていましたが、Kくんの存在に気づいたとみえ、徐々に歩みを早め、ついにはこちらに向けて早足で駆けてくるようでした。

「このままでは襲われる」と直感したKくんは、空き地めがけて一目散に駆け出しました。
またあのゴミ箱の中に隠れれば、犬をやり過ごせるかもしれないと思ったからです。
必死で逃げる彼の耳には、ひどく場違いなテンポで「家路」のメロディーが聞こえ続けています。

空き地が見え、ゴミ箱まであと少しというところまできた時には、犬はもう10メートルほど後ろに迫っていました。その激しい唸り声も聞こえてきます。
このままではゴミ箱の蓋を開けているうちに追いつかれてしまいそうです。
Kくんはとっさに、空き地に積まれてある土管へと進路を変え、その中の彼がぎりぎり入れそうな太さのものに潜り込みました。
泣きながら懸命に土管の中を這い進む彼に、土管の口からは、いまにも飛びかからんばかりに激しく吠える犬の声が響いてきます。

やっとの思いで土管を這い出た彼を待っていたのは、怖い顔をした両親や近所の大人たちでした。
あたりはもうすっかり夜になっていましたが、ちらりと振り返った土管の穴のむこうには、茜色に染まった町が小さく見えていたのだということです。
この日以来Kくんは、中学にあがるころまで、県庁から流れてくる夕方のメロディーが怖くてしかたなかったのだとい言って、この不思議な話を終えたのでした。

初出:You Tubeチャンネル 星野しづく「不思議の館」
テーマ回「異界に纏わる不思議な話」
2023.7.22

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