見出し画像

日本はもう、本当にダメかもしれない

1月12日(水)の夜、newspicksのオリジナル番組「WEEKLY OCHIAI」に、なんと岸田首相が出演した。

新型感染症で国内が大変な時期である。しかも就任後3か月以内に行うのが通例とされている日米首脳会談すら、いまだ実現していない。

そんな渦中にある現職の総理が、インターネット番組に出演するという前代未聞の出来事に、ただただ驚いた。岸田首相をブッキングできたnewspicksや、WEEKLY OCHIAIのパワーにも驚いた。

そして何よりも驚いたのが、数あるインターネット番組の中で、あろうことか「newspicks」の「WEEKLY OCHIAI」をわざわざ選んで出演を決めたということだった。

newspicksは主に政治経済について扱う、有料のメディアである。会員は経営者や各界の著名人、エリートやインテリが中心だ。「新しい資本主義」という、「ちょっ、何言ってんのかわかんないんですけど」と、思わず突っ込みを入れたくなるような思想をぶち上げた岸田首相は、特にこうしたエリート層から一貫して厳しい批判にさらされている。つまり、彼にとっては完全にアウェイのメディアなのだ。

そしてWEEKLY OCHIAIホストの落合陽一氏。頭が良すぎて、これまた「ちょっ、何言ってんのかわかんないんですけど」と突っ込まれることで有名な、新進気鋭の論客だ。(なお、私も彼の言っていることはいつも半分くらいしか理解できない。)そんな彼と1on1でまともに対談できる人物は、そういないだろう。

故に、岸田首相がこの番組に出演することには、ほとんどリスクしかないように思えたのだ。案の定、番組の告知があってからは、newspicksユーザーの間でちょっとした騒ぎになっていた。かく言う私も、『岸田首相の「ビジョン」を問う』という番組のタイトルには、ちょっと悪意のある風刺を利かせ過ぎなのではないかと感じたほどである。

しかし、あえて出演を決めたからには、彼にも何か勝算があるのかもしれない。もしかしたら、メディアお得意の切り取りでイメージが悪くなっているだけで、本当は有能な人物なのかもしれない。この出演をきっかけに、今まで批判を受け続けてきた層から、一気に信頼を勝ち取る目論見なのかもしれない。そうした僅かな期待をもって、22:00の放送を待った。

そして視聴した。(厳密には放送終了後の見逃し配信を2倍速で見た。)その感想は…



…予想を遥かに超えて、甚だ残念なものだった。

落合氏が番組内で行った質問は、おそらく事前に首相側にも伝えてあったものだろう。準備はできただろうし、実際準備をしていたはずだ。

それにもかかわらず、何一つ具体的で明確な回答を聞くことはできなかった。2倍速でも「あー」「うー」「えー」「ん-」「まー」が耳について仕方がない。こんなことは初めてだ。もはや放送事故。切り取りメディアでの印象の方がまだまし、という異例の事態。

結局、タイトルの狙い(?)通り、彼は「ビジョン」など一切持ち合わせていない、ということが完全に露呈してしまう、地獄のような30分間となった。

まだいい。それだけなら想定の範疇だ。

私が最もがっかりしたのは、次のやり取りだ。

落合氏:いわゆるID型の。つまりマイナンバーであるとか、プラットフォームにログインするためのアカウントであるとか、あれに情報を紐づけていくっていうのが、今までの情報のやり方だと思います。例えば、健康データをマイナンバーでアクセスできるようにしようとか。googleでもフェイスブックでも何でもいいんですけれども、あれに紐づけようとかで。
もう一方、例えば近頃で言うと、暗号資産、ブロックチェーン、NFT。分散型の方法で、例えば個人の暗号化されたウォレットに何かを紐づける。アートを送るとか、データを送るみたいなのも盛んに行われていると思います。
(でも、)例えば全世代社会保障とか厚労省の人とかの話を聞いてると、こっちのマイナンバーとかに紐づけられるデータの数っていうのは、多分そんなには多く運用できないというか。つまり、googleとかフェイスブックとかアマゾンとかマイクロソフトのデータセンターみたいなものを、国が主導でガリガリ動かすみたいなイメージとはちょっと違って。
おそらく個人で管理するデータと、プラットフォームに紐づいたデータって2つあると思うんですけれど。なのでデジタル田園都市国家の肝は分散化にあると思ってるんですね。で、そういった時、日本っていわゆる暗号通貨とか暗号資産とか、仮想通貨とかブロックチェーンとか、課税制度と税法の関係ですごく遅れちゃった印象が僕の中であるんですけれど、あの辺のブロックチェーン周りの技術についてどう(お考えですか)。

岸田首相:あのぉー、そういったブロックチェーン。暗号資産といった技術。これもあの、例えばデジタル田園都市構想を考えるうえで、これを決して、あの、排除するものではないと思っていますが、まあ、ただ、あのそういったまあ、暗号資産等についてはいろいろ課題もあります。そのー。えーっと。んー。そのぉー。(引きの映像で激しい貧乏ゆすりが写る。明らかに動揺していると思われる。)ええー。さまざまなこの資産の、この流出の問題であったり。まぁ、おっしゃるようにその課税の問題であったり、ええーっと…。それから。ええその、要は犯罪との関係であったり。

落合氏:まあ、そうですね。人身売買だったりとか、違法な薬物を買うのに使われたことも、まあ、確かに過去の歴史ではありますよね。(温かい合いの手。)

岸田首相:そういった課題はあるということを認識しながら、まあそのそれとどう?えええ向き合っていくのか?ん-。その。まあ、イノベーションと、そして個人情報等と、この幸せとの兼ね合いみたいなものも考えながら、あーまあ、そういった技術を排除するものではなくして、えー、可能性について考えていくことは充分あるんじゃないかなと思います。

落合氏:…あ、ありがとうございます。

(精一杯文章で表現してみたが、これが限界。落合氏が質問をしている際の岸田首相の様子や、岸田首相が答えている際の落合氏の表情などに注目していただきながら、ぜひ番組をご覧いただきたい。)

落合氏が何を言っているのかわからない読者も一定数いらっしゃると思うので、簡単に解説しよう。

まず、仮想通貨とか暗号資産というと、ビットコインを初めとする投機商材を思い浮かべるだろう。それはそれで間違いではないのだが、今回の話の要点はそこではない。背後にある技術「ブロックチェーン」によるデータマネジメントこそが、落合氏の問いの本質である。

ブロックチェーンとは、「分散型台帳技術」と訳される。「分散型」の対義語は「中央集権型」である。国家や自治体、金融機関など特定の「中央」がデータを管理するのではなく、日本中、世界中にある無数のパソコンが「分散」して管理することで、そのデータの信用性を担保するという技術だ。

次に「台帳」。これはデータのトレーサビリティ(流通経路)を記録することを表す。

以上をできるだけわかりやすく理解するために、既存のお金(通貨)と暗号資産の比較で例示しよう。

まずお金の場合。例えばAさんからBさんにお金を振り込んだとしよう。Aさんの通帳にはBさんにお金を振り込んだことが記録され、Bさんの通帳にはAさんからお金が振り込まれたことが記録される。そして、そのやり取りの保証をするのは、間に入った金融機関となる。お金自体にはそのやり取りが記録されることはないし、その後BさんからCさんにお金を振り込んでも、それがもともとAさんのお金だった、ということはCさんにはわからない。

一方で、暗号資産の場合はこうだ。AさんからBさんにビットコインを送金したとすると、そのやり取りの内容がビットコインそのものに記録される。つまり、暗号資産自体が台帳の役目を果たすわけだ。その後、BさんからCさんに、CさんからDさんに送金がなされた場合にも、その記録がビットコインに次々と書き込まれていくことになる。(なお、Dさんがこれまでのやり取りの記録を閲覧できるわけではない。暗号化された記録がビットコインの中に格納されていくだけである。)暗号資産の背景にある技術が、ブロック(取引記録の固まり)チェーン(記録の繋がり)と言われるのは、それが理由だ。

この発明は、世界に衝撃を与えた。それまでお金が抱えていた(私が思いつく限り少なくとも)よっつの問題を一気に解決する可能性があったからだ。

ひとつめがトレーサビリティの問題。お金自体には何の記録もないため、そのお金が作られてから現在まで、どのようなやり取りがなされたのかは、手元のお金をどんなに凝視してもわからない。だから、それを補完するために、会社であれば経理の担当者が台帳に、家庭であれば通帳や家計簿に入出金先と金額を記録するわけである。それを年に一度まとめて税務署に報告し、徴税がなされるわけだ。お金がアナログなものであるために、それにまつわる作業もどうしてもアナログとなってしまう。しかし暗号資産の場合は、それ自体に取引の記録が書き込まれている。よって、年末調整や確定申告などの手間を限りなくゼロにすることが技術的には多分可能であり、徴税も容易となる。かつ脱税などの犯罪も、極めて困難になる。粉飾決算も起こらないし、会社の金庫に出処のわからないお金が貯め込まれることもない。

ふたつめが送金問題。これまでは間に入る金融機関が、そのやり取りを保証し仲介することの手間賃として、送金手数料を徴収していた。それが暗号資産になれば、仲介者は不在となる。手数料も限りなくゼロに近づく可能性が出てきた。直接のやり取りだから、送金スピードも速い。(まあこの辺りはデジタルマネーでも既に実装されてきている。)

みっつめが偽造問題。どれだけ印刷技術が進歩しても、お金には常に偽造紙幣の問題がついて回る。一方で暗号資産は、偽造はもちろん・取引記録の改ざんもできない。

よっつめが盗難問題。暗号資産はそれ単独では機能せず、個人のウォレット(暗号資産を入れておく財布)に紐づいた秘密鍵というものが必要になる。例えるなら金庫を盗んでも、それとは別に保管されている鍵がなければ意味をなさないのに近い。よって盗難が非常に困難となる。

つまり、お金に「機能」を持たせることで、そのやり取りにまつわる安全性や効率性、生産性が劇的に向上するわけだ。

さて、あくまでもこれはブロックチェーンを「お金」というものに応用した場合を示したものに過ぎない。今回の本質はそこではない。あくまでも「データマネジメント」の手法についてだ。

例えば普段私が関わっている医療業界について考えてみよう。

ひとりの人間が生まれてから死ぬまでの間には、たくさんの病院にお世話になることだろう。現在、個人の診療録はそれぞれの病院に管理されている。例えば引っ越しによってA病院からB病院に受診先を変えたとしよう。その際、またB病院で一から手続きや診察、検査などを行うか、またはA病院がわざわざ紹介状を書いて、B病院に送るという手間が必要になる。これが医療資源の無駄を生むだけでなく、医療現場の生産性を著しく落とす一因となっている。

また、何らかの持病が急に悪化して、救急車で運ばれたとしよう。救急隊は、この患者が誰なのか、どんな持病を抱えているのか、普段どこの病院にかかっているのか、といったことがすぐにわからない。よって、手当たり次第に近隣の救急病院に連絡をする。時には、たらい回しになってしまうことだってある。首尾よく患者が搬送されても、ドクターは初見の患者を空手で一から診察せざるを得ない。

以上は全て、患者の診療録というデータが、中央集権型で管理されていること、つまりそれぞれの医療機関で独立して管理されていることにより起こる問題だ。

もしこれが、分散型の管理となったら、一体どんな世界になるだろう。

患者は、自分の診療データを、自身のウォレットに入れて持ち運ぶ。そしてそのデータを、かかった病院に本人の意思で提供する。すると医者はこれまでにどんな病気にかかり、どんな検査がなされ、どんなアレルギーを持っていて、どんな治療が行われ、どんな薬が処方されたかということが、手元の端末で瞬時にわかる。診察後、患者のウォレットに医師が新たな診療録を追加していく。それを再び患者が持ち運ぶ。よって、そこに病院同士の無駄なやり取りが発生することはない。

また、その患者が外出先で急変して救急車で運ばれたとしよう。予め同意があることが前提だが、救急隊は生体認証(静脈か指紋か虹彩などだろうか)を用いて、その患者データを呼び出すことができるようになる。そうすればすぐにかかりつけ医に連絡をすることができ、適切な指示や搬送先を仰ぐことができる。搬送先でも迅速に効果的な処置が施される。結果、旧来のシステムでは手遅れになってしまった患者が助かるようになるかもしれないのだ。

更に、今回の新型感染症で露呈した、日本の公衆衛生上の課題も解決できる可能性がある。患者個人を特定できない形で、各自のウォレット内にあるデータを国や自治体が収集、分析することができれば、極めて有効な施策を、現場に一切の負担をかけることなくタイムリーに打つことができるようになる。例えば現在のように、病院が保健所にFAXを流して、保健所から病院に電話で確認をする、という阿呆の所業などはほとんどなくすことができるかもしれないのだ。

ここまで述べたことは、あくまでも私の拙い知識にもとづいて、実装が可能ではなかろうか、という妄想によるものだ。おそらく専門家からすれば、突っ込みどころがあるだろうし、技術的、政治的に不可能なアイディアもあるかもしれない。

しかしこうした理想を掲げることが、リーダーに必要な「ビジョンを描く力」なのではないかと私は思う。こんな世の中になったらいいな、という妄想を大風呂敷を広げて展開してみる。それを官僚や専門家に披露し、可能な限り実装してもらう。これこそが、政治家の仕事なのではないだろうか。

ちなみに断っておくが、上記のようなブロックチェーンにまつわる知識について、60歳を過ぎた初老の政治家に詳しい理解を求めること自体に無理がある、というのは私も同意する。外交、内政、安全保障など、政治家が考えなければならないことは無数にあるわけだし。

だから、彼が落合氏の問いに対して知見がなかったこと自体はあえて問題にはしない。(いや、本音は「デジタル田園都市構想」を国が掲げているにもかかわらず、そのトップにデータマネジメントについての最低限の知見がないことは致命的だと思うが。)

問題にすべきは、彼が知ったかぶりをして、なんとかその場をやり過ごそうとしたその姿勢だと思うのだ。彼は「聞く力」を自認している。それは周りの声に易々諾々と従うことでは決してない。真の「聞く力」というのは、わからないことを素直にわからないと認めて教えを請い、常に新しい知恵を身につけることだ。そしてその知恵を自らの中で咀嚼し、考えをまとめ力説し、人々の心を揺さぶり、人々を動かすことができなければ、リーダーとしての責務を果たしたことにはならないだろう。

最後になるが、今回の落合氏との30分間のやり取りの中で、ひとつだけ収穫があった。それは、彼が噓のつけない性格で、裏表がなく、底抜けに「いい人」である、というのがわかったことだ。前述の受け答えにおいて、動揺を全く隠せなかったのが、それを良く表している。そうした性格だからこそ、周りの仲間や支持者から慕われ、首相にまで上り詰めることができたのだろう。

だが、危機に瀕している今の日本に必要なリーダーは、残念ながら「いい人」なんかではない。

ワクワクする壮大なビジョンを描き、官民を動かし、停滞している日本を復活させ、国民を幸せにしてくれるリーダーなのだ。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?