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選択-責任

夏休み中考えたこと

私は夏休み中よく遊び、あまり踊らず、勉強は全く、インターンも、就活準備も、何もしませんでした。

凄くストレスでした。合ってるか分からずした選択だったからです。時期的に考えて、全部すべきことをしませんでした。でも私には何もしない時間が必要だったように思った。ほんとうにただの直感で、直近に病んでいたとかそういうことじゃないんです。

だから私は「何もしないことをする」と自分で選択したのに凄くソワソワしました。取りたい行動とすべき行動という訳じゃなく、どちらもすべき行動として相反して存在していたからです。

だけどそのことに気がついた時私は何もしないことを恐れているな、休息を恐れているなとふいに我に帰りました。我に帰れたのは普通と違う感覚かもしれないけど、私は私とやっと向き合えた、成長したように感じられた。競争社会資本主義社会で生きていると自分を高め向上心を持てる一方で、完璧で、なんでもこなせることが徳であると思わされやすいです。私もそういう環境にいて完璧主義者になりすぎていたし、そうあることが自分にとって負担すぎたのに、善いことだという周りの意識に負け疑えませんでした。

だけど自分を大切にすることと頑張ることは両立できる。だって結果だけを追求してたら自分があるいは他の何かを壊したり失っちゃうし、自分だけを労ってたらそれもそれで成長できない。要するに状況を見て自分の声を聞いてその時に一番ベストな選択をするだけだった。中庸が得なる善。休むべき時には休むべき。それも頑張っている判断。やるべきこと自体はシンプル。(まあそこに期限のあるタスクややるべきこと優先すべきことが関わってくるから大変なんだけどね!)

休むこと、手放すこと、幸せになること、何かを台無しにすること、その全てを恐れなくていい。
未来が分からなくて怖い?どうすればいいか分からない?
失敗すれば答えが分かるよ!:)
だから行動や選択を恐れなくていい 自分のやりたいようにやってみよう。チャンスを逃さないようにセンサーさえ起動させとけば、その答えを逃すこともないはずだし
失敗するたびに経験を得て成長できる、このことは嘘じゃない、本当なはず。そう信じることにした

My body My choice, My happiness My choice, My life My choice.
「私の選択」
確かにちょっとめんどくさいんだけど、それは自分と向き合うことにもなるし、行動や評価は私自身が責任を持ってしなければいけない。勿論そのものさしを他人に向けてもならない。歩くも走るも休むも責任を持って自分が選ぶのだ。



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