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だれかの苦しみを消費すること

映画「ディア・エヴァン・ハンセン」をみにいきました。まだ観ていない人はネタバレあるのでご注意を〜! この映画は2015年に公演されたミュージカルを原作にしています。学校になじめず、鬱と戦う主人公の心の葛藤を描いた物語です。

学校へ向かう前、パソコンにむかって自分宛の手紙を書き、必死に自分を励ます主人公。何度もテキストを打ち込んでは嫌な記憶がフラッシュバックしている主人公の辛さが、痛いほど伝わってきました。この映画には主人公だけでなく、ほかの登場人物もさまざまな苦しみを抱えて生きています。

しかし、作中に一人だけ、本当の自分の気持ちを伝えることなく、亡くなってしまった人がいました。

彼の死が世界中に拡散されても、彼を偲ぶ声が何万もつぶやかれたとしても、彼の本当の気持ちはどこにもない。誰かに代弁されたり勝手に想像されたりすることしかできない。こんな無念なことってないのでは、という私の気持ちも、彼にとっては勝手な想像でしかない。

誰もいない森で倒れたら、ほんとにクラッシュしたことになるのかな、音さえたてたことになるのかな

認知されないこと、存在しないことにされることの辛さを伝えるだけでなく、自分の承認欲求のために、だれかの苦しみを消化していないか、そんな問いも投げかれられているように感じる映画でした。


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